第94話 吐き出された澱み

「どうしたの、朝っぱらから」

 この声には聞き覚えがある。お婆さんの声だ。


 一方で、お爺さんの表情は、怒っているとも、赦しているとも、憎んでいるとも、憐れんでいるとも言えないような、何とも言えない表情。感情が読み取れない。


「あら、この子は。私を助けてくれたお嬢さんじゃないの?」

 お婆さんも覚えてくれていた。

「で、何でうちに来たのかしら?」


「こんなところで立ち話も、お互い体裁ていさいが悪かろうよ。散らかってるが、家に入りなさい」

「お、おじゃまします……」断ることもできず、言われるがまま清水さんの家に入った。

 いわゆる田舎の昔の家だ。庭があり、縁側があり、畳の部屋があり、廊下の木の床はキシキシ音が鳴る。

 お婆さんも同席し、お爺さんは簡単に説明した。


「あんたが言うことが本当なら、もちろん褒められたことじゃない。でも、黙っていれば分からないことを、敢えて謝りに来た。何か事情があったんだろう。差し支えなければ、話してくれんか?」


 アタシは正直に話した。

 峯蔭高校に通っていること。その中で成績が最下位で、一学期の期末考査で這い上がらないと学校を辞めさせられることになって、勢いで家出してしまったこと。家出したけど、ほぼ無一文のアタシが生き延びるためにお婆さんにこっそり近づいたこと。お婆さんを助けたのは結果オーライだったこと。

 言い訳はしない。アタシがやろうとしたことは明らかに窃盗だったことを自白する。


 加えて、もう一つ謝らないといけないことと、感謝しないといけないことがあった。

 夏休みに入ってすぐのときに、お爺さんから『おみやげ』を受け取ろうとしていたこと。

 あのときは全然分からなかった。親友の澄佳からのお願いだったし、物を受け取って澄佳に渡すの仕事だったから。

 『受け子』とか『特殊詐欺』とか『闇バイト』という言葉を知らないわけじゃない。シュージの家に行ったときに、テレビでもその手の報道がなされていた。

 まさか自分が当事者になるなんて。それも、他ならぬ澄佳からだったから、アタシに危害が加わるようなことはないと思っていた。

 でも、それはアタシが勝手にとらわれていた妄想だった。


 お爺さんは、あのとき、瞬時にアタシが悪いことに加担していると察したのだろう。でも、お婆さんを助けたことに免じて、『おみやげ』じゃなくて『お礼』と称して便宜を図ってくれたのだ。あのときのお爺さんの言葉の意図がやっと分かった。お爺さんはアタシが犯罪者になり下がってしまうことを、食い止めようとしていたのだ。


 でもアタシは、それを真剣に考えなかった。澄佳のことを盲信したのだ。

 結果として、それが大きくなって、シュージには迷惑をかけた。どこかで踏みとどまって澄佳を早くさとしていれば、そして、澄佳が悪事に手を染めてしまった背景を読み解いていれば、姉の郁佳だってあんなことにはならなかったかもしれない。


 話せば話すほど、アタシの恥をさらけ出すことになる。でも、ありのままを話し続けた。なぜなら、それが誠意を示すことだと思うから。

 別にシュージに感化されて、嘘つくことができなくなったわけじゃない。アタシだって、もともと嘘は嫌いなんだ。でも、不良じゃなくても、成績が悪かったりすると、何とかごまかそうと、嘘や隠し事や言い訳や作り話を重ねて生きてきた。そして、行き着いた先が『犯罪』だった。直截的な因果関係はなくとも、染み付いたそういった習慣は、いとも簡単にアタシの人生を転落させかけた。『不良じゃない』というのはアタシのただの自己満足の妄執もうしゅうに過ぎなかったのだ。


 だから、すべて白状して、清廉潔白になる。シュージがそうであるように。よどみきったアタシには眩しい存在だけど、アタシはシュージが好きだ。

 そのためには、シュージにふさわしい人間にならないと。


 全てを吐き出したとき、アタシの目は涙で溢れていた。


「実はね、私ね……」お婆さんが口を開いた。「犬山駅で、あなたが何か良くないことをしでかすんじゃないかと思ってたの」

 お婆さんは顔つきと話し方こそ穏やかだが、アタシにはハンマーで殴られたほどの衝撃を受けた。

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