16 正体

「王様、裏切者の正体が分かりました」


部屋の扉の向こうで叫ぶ声に、オレは取っ手を掴む手ももどかしく、扉を開け放った。


てっきりアムルかと思ったが、そこで肩で息をしているのは、アムルの配下の者だった。


あいつ、まだ怒っているのかと思いつつ、すぐに本題を尋ねる。


「それで、裏切者は誰だ?」


配下の者は一瞬言い淀んだが、意を決したようにその名を口にした。


「その…、アムルです」


え?


オレは青天の霹靂へきれきに打たれたように動けなくなった。


それは、何かの間違いだろう。


「アムルとは、私の従者であり、内政長官のアムルか?」


当たり前のことを真顔で聞くオレに、配下の者はかえって恐れを抱いたのか、凍りついた表情をした。


「は、はい…」


一瞬、この前オレがアムルを叱責したからか、と思ったが、そうではない。裏切者は、それよりも前から行動を起こしていた。


であれば、やはり、何かの間違いだ。


「そんなことはあるはずがない。アムルと私は、初めから苦楽を共にしながら、ここまで来たのだ。このような場で冗談など言うでない」


オレは半笑いを浮かべた。


そこへ、テヘンやキジたちが駆け込んで来た。


「裏切者がアムルだったって、本当ですか…」


テヘンが泣きそうな顔をしている。


オレは笑みを浮かべたまま、優しい口調で言った。


「いや、それは誤報だ。慌てるでない」


それを聞いた軍師キジが、無理矢理オレの前に体を乗り出してきた。


「ともかく、アムルの部屋に行ってみましょう」


そのようなことするまでもない、と思ったが、アムルに会って話をすれば皆の誤解もすぐ解けるだろう、と思い直した。


「分かった」


早速、アムルの部屋に向かおうとするオレを、キジは両手を広げて身をていして止めた。


「お待ちください、王様。護衛をお付けします」


「アムルの部屋に行くだけなのに、なぜそのような者がる!?」


オレは、キジを怒鳴りつけていた。


だが、キジは微動だにせず、オレの行く手を制し続けた。


そのうち、ルンメニ、ダガ、ファフィーの第2パーティーと、ハジクが駆けつけた。


第1パーティーは、今、最終決戦の戦闘に入っていて、ここにはいない。


オレは、前にテヘンとルンメニ、右にハジク、左にダガ、後ろはファフィーに守られながら、三階の端にあるアムルの部屋へと向かった。


アムルの部屋の前まで来ると、テヘンが中に声を掛けた。


「アムル、いるかい? 中に入るよ」


だが、中から返事は聞こえなかった。


テヘンが扉に手をかけ、鍵が掛かっていないことを確かめた。


テヘンがもう一度声をかけ、そっと扉を開ける。


部屋の中は明かりがついていなかったため、昼間なのにほの暗かった。


一瞬、オレはアムルに初めて出会った時のことを思い出した。


あの時、アムルは両手両足を鎖で繋がれ、包帯でぐるぐる巻きになっていた。


今よりもっと薄暗い部屋だったこともあり、てっきり魔物だと思ったぐらいだ。


今回は、部屋の奥まで見通すのは簡単だった。


そこに、アムルが背中をこちらに向けて座っていた。


なんだ、ちゃんと人間の姿をしているじゃないか。


男にしては肩幅の狭い、見慣れたいつもの小柄な背中。


やっぱり何も変わっていない。


「アムル」


テヘンの呼びかけに、アムルがこちらを向いた。


その瞬間、皆の足がギクリと止まった。


顔はアムルの顔に間違いなかったが、目だけが赤く爛々らんらんと輝いていた。


「これは、魔物の目だ」


ルンメニが叫び、オレとテヘン以外の皆が臨戦態勢をとった。


オレは、じっとアムルの顔を見つめた。


涙もろいアムルは、しょっちゅう泣いて、目をぐじゅぐじゅにしていた。


だから、赤い目のアムルは見慣れている。


だが、今日の目は、確かに光って見えた。


ということは…。


いや、だが、そんなはずはないのだ。


これは何かの間違いなのだ。


「アムル、その目はどうした?」


ハジクが絞り出すように言った。


すると、アムルはすっと立ち上がり、オレだけを真っ直ぐに見て口を開いた。


「王様、あなたと初めてお行き会いした時、私は既に魔王デスゲイロの手によって、魔物の血を体内に流し込まれていました」


そんな…。


嘘だ。そんな告白は聞きたくない。


「その血はだんだん濃くなっていくようでした。昼間は全身全霊で魔物の気配を押し殺していたので、人間として振る舞うことができました。ですが、夜になると、抑え込む気力が薄れて、魔物の自分が表に出て来てしまうのです」


皆、アムルの話を黙って聞いていた。


「魔物の自分に支配されてしまわないよう、私は夜な夜な苦闘していました。みんなは魔物と戦っていたかもしれませんが、私は内なる魔物とひそかに戦っていたのです。王様もご存知なかったでしょう?」


無論、知らなかった。いつも明るいアムルが、たった一人で、人知れず苦悩していたなんて…。


「転職の適性検査を一人受けなかったのも、正体がバレる恐れがあったためか?」


アムルがこくりとうなずいた。


「なぜ、もっと早くこのことを伝えなかったのだ?」


オレは思わず尋ねた。


「だって、私が魔物だなんて告白したら、私は王様の従者でいられなかったでしょう?」


アムルの声が涙声になった。


「でも、もうダメなんです。グフッ…」


アムルの様子が少し変わった。


「最終決戦が近づくにつれて、魔王デスゲイロ、いや、デスゲイロ様の干渉力が増してきたのです。私はもう、これ以上魔物の血にあらがえない。グフフフフ…」


オレはもう一度、アムルの顔を見た。そして、気付いた。


アムルが泣いていない。


声は涙声になっているが、その赤い目から涙がこぼれていない。


いつものアムルなら、もうとっくに幾筋もの涙がほおを伝っているはずだ。


オレはそこでようやく認めざるを得なかった。


オレの前にいるのは、もはや人間のアムルではない。


「王様、どうなさいますか?」


テヘンがかすれるような声で聞いてきた。


どうすると言われたって…。


目の前にいるのが魔物のアムルであっても、だから討伐しろとはどうしても言うことはできない。


オレが答えられずにいると、アムルの体が一瞬赤く光った。


「グフフフフフフーーー。グアアアアアアアアアーーーーーーー」


アムルの雄叫びが、部屋中にこだました。


と同時に、アムルの体がみるみる巨大化していく。


あわや天井を突き破らんばかりの、筋骨隆々の魔人にその姿を変えた。


もはやアムル自身にも制御ができないようで、有り余る両腕の力で、辺り構わず殴りつけている。


辺りはグラグラと揺れ、天井や壁から石の破片が崩れ落ちてくる。


「ここは危ない」


ルンメニが、一団をひとまずアムルの部屋の外に誘導する。


そこで、キジが改めて冷静に指示を出した。


「この分だと、城内はもちろん、城外の町の住人にも、避難命令を出した方が良さそうです。皆さんは、城の二階・一階に漏れなく声を掛けながら、一緒に退避してください。町の住人の避難に関しては、アム…」


キジはアムルの名を出しかけて、思わず口をつぐんだ。


このような時、普段ならばアムルに命令を下している。


だが、今は彼が危険の対象なのだ。


さすがのキジも、少し焦りがあるのかもしれない。


「町の住人の避難に関しては、私が手配をします」


そう言い直して、真っ先に階段を駆け下りていった。




オレたちは、三階の自分の部屋から飛び出してきたルイ、二階にいた各国の国王名代みょうだい・軍師と第一パーティー以外の戦闘員、一階で寝起きしている使用人やまだ見習いの戦闘員などと共に城外に出た。


城の周囲のレンゲランの町でも、キジが直属の配下や内官たちを総動員して、避難に当たらせていた。


町の人々は、驚いたような不安な表情で、レンゲラン城を見つめていた。


レンゲラン城の三階は、アムルの破壊によって、天井がほとんどなくなり、剥き出しの状態になっていた。


崩れかけた石の柱や壁の間から、魔人と化したアムルの姿が時々見えた。


オレの周りにはかなりの人数がいたが、誰も言葉を発しなかったため、アムルの雄叫びと破壊の音だけが耳に響いた。


「あれが本当にアムルなのですか?」


ルイが、ムキュを抱き締めながら悲しげに言った。


「ああ」


オレはそう答えるのが精一杯だった。


そこへ、キジが町の避難指示の段取りを終えて帰ってきた。


「町の住人の避難は、もうしばらく時間が掛かります」


キジの報告に、オレは無言でうなずく。


キジは、一度アムルの方に視線を送ってから、オレの正面に立って居ずまいを正した。


「王様、どうか、あの魔人の討伐をお命じください」


オレは、頭に血が上っていくのを自分でも感じた。


「あれは魔人ではない。アムルだ」


「いえ、王様。あれはもはや以前のアムルではありません。完全な魔物です。このまま放っておけば、レンゲラン城とレンゲランの町は破壊され、あるいは町の住人に危害が及ぶやもしれません」


オレは一瞬、避難を続けている住人たちとアムルの姿を交互に見たが、言葉を抑えることはできなかった。


「黙れ! アムルを討伐せよなどと、よくも言ったな。それ以上言ったら、お前とて容赦はせんぞ」


「いいえ、黙りません。王様とアムルとの関係は、充分承知しております。ですが、王には国全体を守る責務がある」


「分かっておる。だが、仲間の一人を守るのも王の役目だろ」


「王にはまだ、あの姿が仲間に見えるのですか?」


見える。


声にこそ出なかったが、オレは心の中で叫んでいた。


身体は変わり果て、土気つちけ色になり、表情も失われてしまったが、顔にはまだアムルの面影があるではないか。


「王様がアムル討伐を命じて下さるまで、私はここを一歩も動きません」


キジはそう言って、その場にどっかりと座り込んだ。


それを見届けて、オレはキジを睨んだ。


「キジよ。これまでは大目おおめに見てきたが、今度こたびの王に対する無礼は許し難い。今、この時をもって、お前を軍師から解任する。いや、これ以上我に盾突くのであれば、斬る!」


オレは、隣にいたテヘンの腰から剣を抜き取ると、その切っ先をキジの頭上に突き付けた。


「王様…」


周りから一斉に制止の声が上がる。


キジは切っ先を真っ直ぐ見返してから、あえて首筋を伸ばして言った。


「斬りたければ斬るがよろしかろう。私は命をして、王に進言申し上げているのです」


その気迫に、オレは幾分我を取り戻した。


剣を持つ手が脱力したのを狙って、テヘンがオレの手から剣を奪い返した。


辺りが静寂に包まれる。


その時、王の部屋から持ち出していた石板から着信音が鳴る。


このタイミングでの着信…。まさか…。


オレは震える手で石板の画面をタップした。




軍師キジのアムル討伐の進言を聞き入れますか?


   ①はい      ②いいえ


   ※制限時間:5分




こんなむごい選択があるだろうか。


オレは、このどちらかを選ばなければならないのか。


既にカウントダウンは始まっていた。


こんなの、選べるわけがない…。


最初の2分、オレはそれだけを自問自答していた。


他に何かを考えることはできなかった。


残り3分の表示を見て、オレは、ヘルプ画面を呼び出した。


「選択を選ばなかった場合」の項目が、一度辿たどったことを物語るように、リンクが別の色になっている。


オレは、そこを再度タップした。


前に開いた画面だが、オレはそれでも確認したいことがあった。




『制限時間内に選択が行われなかった場合


「やり直し」が残っていない場合は、ゲームオーバーとなり、現実世界に戻る権利を失います』


オレは、その説明文を下まで読み進めた。


『あなたが選択を行わなかった場合でも、その選択はランダムに実施されます』


その一文を読んで、オレはうな垂れた。


つまり、オレが現実世界に戻る権利を失うことを引き換えにしても、この選択は無かったことにならない。


どちらかの選択は確実に行われてしまうのだ。しかも、オレの意思とは関係なく。


それならせめて、オレが選択するしかないのか。


残り2分。




国を守るため、国民を守るため、オレはアムル討伐の命令を出さなければいけないことは分かっている。


だが、頭の中に浮かんできてしまうのだ。


テヘンと一緒に大笑いしているアムル。バラン将軍の洞窟に何度も歩かされてぶー垂れているアムル。オレが当たり前のことを聞くたびに、口を尖らせるアムル。


そして、危険な場所にオレも一緒に行くと聞いて泣き出すアムル。町ができた時、国が独立した時に目を潤ませるアムル。すぐに目がぐじゅぐじゅになるアムル。


残り1分。




オレはどうすればいいのだ。


もう時間がないのに、オレの頭は真っ白だった。


これまでは、なんとかギリギリのところで選択の答えを出せていたのが、最後の最後で何も考えがまとまらない。


いや、まともに考えることすら出来ていない。




残り30秒。




残り10秒。




気づくと、制限時間が過ぎていた。


そして、ほとんど無意識に、②の「いいえ」をタップしていた。


選んだというよりも、①の「はい」に、どうしても手が動かなかったという方が正しいかもしれない。


「皆の者、す、すまん」


それを聞いたキジが、無念そうに叫んだ。


「王様ーーー」


オレの選択により襲撃をまぬがれたアムルは、城の三階をほぼ破壊し尽くしていた。


次は、城外のレンゲランの町に標的が移るのも、時間の問題のように思われた。


「王様」


その時、オレを呼ぶ声がした。


一歩前に進み出たのは、テヘンだった。


テヘンは、意を決した表情をしていた。


「王様、私がアムルを倒しに行きます」


「な、何を言っている?」


テヘンは、ぐっと涙をこらえるようにして言った。


「アムルは苦しいと思うんです。今、アムルは苦しんでいる。一番の友が苦しんでいる姿を見続けるわけにはいきません」


いや、おかしい。


オレは「いいえ」をタップしたのだ。アムル討伐は無くならなければいけないはずだ。


石板の画面を見直した。


やはり、「いいえ」を選択した結果が表示されている。


テヘンがアムルに話しかけるように言った。


「アムル、僕ならいいだろう? 僕が今、君を楽にしてあげる。でも、もし君の方が強くて、僕がやられてしまっても、安心してくれ。僕は決して君を恨んだりはしないよ」


テヘンは、サッと素早くオレに一礼した。


「待て、テヘン」


だが、テヘンはオレの言葉を振り切るように、城の方へ駆け出した。


きっと、オレの選択は完結している。


だが、これは、テヘンの選択なのだ。


それを見て、キジが立ち上がり、戦闘員の皆に声を掛けた。


「テヘン将軍を援護せよ」


皆も一斉に、城へと戻っていく。


「やめてくれーー」


オレが叫ぶと、ふとアムルがこちらに顔を向けた。


遠くだが、オレには見えた。


アムルのその両目から、涙が流れていた。


アムルには、まだ人間の心が残っている。


オレは、皆の背中に叫びたかったが、嗚咽おえつがこみあげて声にならなかった。


頼む、アムルを殺さないで。


オレも駆け出そうとして、足をとられて地面につんのめった。


すぐに起き上がって、また走り出す。


何度も足がもつれて転んでは走った。


アムルはまだ魔物になり切っていない。


テヘン、頼むからアムルを殺さないで。




三階は、開けた空間になっていた。


その前方で、アムルとテヘンが対峙していた。


アムルは、不思議そうな顔でテヘンを見つめている。


テヘンはアムルに何かを話しかけているようだった。


次の瞬間。


テヘンはアムルとの距離を一気に詰めた。


アムルの巨体の前で地面を蹴ると、アムルの心臓目掛けて飛び込んだ。


「テヘン、やめてくれー。アムルはまだ人間だ」


オレは、声の限りに叫んだ。


しかし、それよりもわずかに早く、テヘンのスキルが発動していた。


近接超打撃ソードストライク!」


アムルの巨体はさすがに吹き飛びはしなかったが、テヘンのスキルを至近距離で受けて、くの字に折れ曲がった。


そこへ、キジの合図で、五人の攻撃系魔導士による雷魔法が、一斉にアムルの体を打ちのめした。


アムルの巨体は、その場で静かに崩れ落ちた。

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