04 流行り病

ハルホルム国との同盟締結から三日後。


オレはルイの部屋で、まったりとムキュいじりにふけっていた。


手のひらサイズのムキュをちょこんと床に置いて、頭の方から耳ごとゆっくり後ろに撫でていく。


それを何度か繰り返すと、すぐにウトウトと体が揺れ始める。


まだ眠たい盛りなのだ。


その様子がたまらなくかわいい。


見ると、部屋の隅には、オオウサギのムキュの時よりはだいぶ小ぶりになったトイレが設置されている。


「ムキュはトイレでしっかり用を足してくれるか?」


「その気配があった時に何度かトイレに運んであげたら、少し習慣がついて来たようです。まだ他の所で粗相そそうをしてしまうこともありますが…」


自然の中で野生として生きることが体の芯まで染みついていた先代のムキュに比べて、まだ小さいということもあり、今度のムキュの方がしつけはだいぶしやすいようだ。


短い眠りから覚めたムキュに、オレはルイの許しを得て、餌を少しあげることにした。


野菜の葉っぱとニンジンがあったが、小さいからまだ柔らかい物の方がいいかと思い、茎付きの葉っぱをムキュの鼻先にかざした。


それをしばらくの間じっと目の端で見ていたムキュは、何の前触れもなく小さい口を大きく開けて、ぱくりと頬張った。


おー、これは先代にも負けない食いっぷりだ。


満足そうに口をモグモグさせているムキュを、もう一度ゆっくり撫でる。


この食欲ならニンジンをくれても問題ないなと思い、今度はニンジンをムキュの鼻先に差し出す。


すると、ムキュは野菜の葉っぱの時よりも鼻をひくつかせて、前のめりにニンジンに食らいつこうとする。


やはり、小さくてもニンジンの方が好きなのか。


ただそのまま素直にあげるのもつまらないなと、オレのいたずら心がちょっとうずいた。


ムキュが食い付こうとする直前に、ニンジンの位置を少し上に上げる。


食い付き損ねたムキュは、ニンジンを目で追いながら、再び口をオレンジの先っぽに近付ける。


だが、その口を避けるように、オレはニンジンの位置をまた上にずらした。


それを何度か繰り返していると、ムキュは上手に後ろ足だけで立った。


「あー、立っちした」


ルイが歓声を上げる。


オレは更にニンジンを立てて、ムキュの口元から後頭部の方に、ちょんちょんちょんと小刻みに動かしていった。


ムキュは揃えた前足でバランスをとりながら、後ろに逃げていくニンジンを目で追っていったが、遂に踏ん張り切れなくなって、後ろにボテッと倒れた。


それを見て、オレとルイは大笑いする。


だが、ルイは笑いながらも、ムキュを抱き上げ、オレの手からニンジンも取り上げた。


「もう、王様ったら、ムキュが怪我でもしたらどうするんですかあ」


こんなことで怪我はしないだろうと思いつつ、オレは舌をぺろっと出してルイの部屋を後にした。




ほんわかした気分にひたりながら自分の部屋に戻ってみると、石板に水色のランプが点滅していた。


おやおや、着信がありましたか。


オレは呑気にベッドに仰向けになりながら、石板の新着画面をチェックした。


どうやら新しい選択が来ているようだ。




港町レーベンならびに国境の封鎖を行いますか?


   ①はい      ②いいえ


   制限時間:7日間




え、何これ?


オレは思わずベッドから飛び起きていた。


レーベンと国境の封鎖とは、ただ事ではない。


今までのまったりモードが一気に覚めた。


それともう一つ気になるのが、7日間という制限時間の長さだ。


これは今までにない異例の長さだ。


7日間の中で選択すればいいということか。


異例ずくめの選択に、オレの中で不安だけが積み重なっていった。




その日の午後、定例の会議が開かれた。


まずは、外交担当の軍師キジが報告を行った。


「同盟国ハルホルムとは、その後、とどこおりなく文物の交流が盛んになっています。また、その他の国につきましても、情報がだいぶ揃って来ております。次回の会議において、今後の施策をお伝えできるかと」


普段のオレなら、尻をつねられたことを思い出して、心の中で文句の一つも呟いているだろうが、今はそのような余裕はない。


次に、内政担当のアムルが発言した。


「特に取り立てて申し上げることはありませんが、町の中で体調不良者が二名ほど出ているようです」


これも普段なら聞き流してもおかしくない内容だったが、妙に胸騒ぎがして気になった。


「一体、何の病気か?」


そこを突っ込まれるとは思っていなかったアムルは、一瞬口をアワアワさせた。


「いえ、そこまでは分かりません。微熱が出ていると聞いてますので、単なる風邪ではないですかねえ」


「それならばいいのだが、最近は他国との交流も増えてきているゆえ、思わぬ病気ではないかと少々気掛かりだ。すまぬが、患者と町の様子を注意して観察し、その経過を日々報告してくれ」


「はあ、分かりました」


アムルは釈然としない様子ながら了承した。




翌日の夕刻。制限時間、残り6日。


オレは執務室で、アムルからの報告を受けていた。


「罹患者は昨日より一人増えて三名になりました。医師が訪問して診察したところ、症状はせきと微熱。やはり、風邪ではないかという見立てでした」


「そうか」


オレの思い過ごしであれば、それでいい。


「王様、少し心配し過ぎじゃないんですかあ」


「かも知れん。だが、王として、万一のことも考えねばならんのだ」


アムルは「へーー」と、長めの溜め息を吐きながら、こんな言葉を口にする。


「王様ってけっこう大変ですよね」


けっこう…。


アムルとしてはオレの労苦を慰めたいという気持ちから発した言葉だったのかも知れないが、少々的が外れている。


そこは、本当にとか、心底とかと言うべきだろう。


アムルの悪気のない失言に、張り詰めていたオレの心がいくらかなごんだ。


「アムルは王になりたいか?」


ふと、そんな質問をしてみた。


「私がですか?」


アムルは必要以上に顔を赤らめながら、しばらく考えて、


「なりたいとは思いません」


王の面前で堂々と言った。


「人には、向き不向きというものがあると思うんです。私はやっぱり、王様に仕えるのがしょうに合っていて、仕えられるのは苦手ですね」


「それを言ったら、オレも王には向いてはいない」


すると、そこは即座に返答した。


「王様は、その何と言うか、王様にふさわしい王様です」


アムルは自分のことのように胸を張った。


自分では分からないが、ずっと一緒にやって来たアムルが言うのだから、少しは信じてもいいのかも知れない。


「人は、役目についたら、無我夢中でもがいているうちに、それなりにはなるものだよ」


オレはそう言ってから続けた。


「アムルも、なったらなったで、良い王様になると思うぞ」


「そうですかあ」


アムルがにやける。


まんざらでもない顔ではないか。


「実際、もしオレが死ぬことになったら、後継者としてアムルを選ぶ」


「もう、そんな縁起でもない冗談はやめてください。そんなことを言われるのなら、私は帰ります」


そう言って、アムルは部屋を出て行った。




翌日の夕刻。制限時間、残り5日。


「罹患者は二人増えて五人。うち一人は高熱を発しているそうです」


と、アムルが報告した。


少しずつだが、増加傾向にある。そして、高熱発症者も出た。


早目に手を打つなら今か。


だが、ただの風邪なら、まだ普通とも言える範疇はんちゅうだ。


港町レーベンと国境の封鎖となると、経済や外交にも多大な影響が出る。


そうなる事態は、ギリギリまで回避しなければならない。


では、そのギリギリのラインとはどこだろうか?


罹患者が何人になったら、オレは決断するつもりなのか。


いや、犠牲者が出てからか。


ひょっとして、オレは無意識にそれを決断材料として、待っているのではなかろうか。


オレは強く首を横に振って、頭の中をいったん整理した。


改めて現状を冷静に捉え直した。


そして、今日はまだ様子を見ると決めた。




翌日の昼過ぎ。制限時間、残り4日。


その日、アムルは夕刻を待たずに報告に来た。


「王様、罹患者が10名を超えました。高熱を出していた一人は重体となりました」


余裕を決め込んでいたアムルの態度にも、少し焦りの色が見える。


オレはすぐさま緊急会議を招集した。


状況を皆に説明する。


会議のメンバーの意見は、即刻封鎖を行うべきと、今しばらく様子を見るべきと、真っ二つに分かれた。


その中で、軍師キジが意見した。


「万一、これが悪い流行り病であれば、早急かつ徹底的に対策を行うべきです。優柔不断な王様にしては、この会議を招集されたのは早い対応だったかと存じます。いや、もう一日早くても良かったくらいです」


オレはここで決断した。


石板の画面を開き、①の「はい」をタップする。


「これより、港町レーベンならびに国境の封鎖を行う」


そう宣言した。


加えて、町の片隅に建設中だった建物を仮設の隔離病床とし、そこに患者を集めて、食べ物や医師が処方した薬を非接触の形で供与することとした。


更に、人の接触の機会を減らすため、町じゅうの店は当面休業とし、不要不急の外出を避ける通達を出すことを決定した。


レンゲランの町は、久しぶりに静まり返った町となった。




その日の夜。


ルイがオレの部屋を訪ねて来た。


「王様、患者の体力回復のために、ダモスが回復魔法を施していると聞きました」


オレは頷いた。


回復魔法は、あくまでも体力を回復するのみで、病原を撃退できるわけではない。だが、患者にとっては体力が回復するだけでも一時的に体が楽になるようなので、ダモスがその任を受けていた。


「ダモスの回復魔法の消費にも限りはあるでしょうから、私も手伝いましょう」


初めの一言を聞いた時から、ルイが次に何を言い出すか、ある程度予想はついていた。


それでもオレは反論する。


「王妃、それはいくら何でも危険だ」


「では王様は、そんな危険な任務をダモスにはお命じになっているということでございますか?」


ルイはいざという時には、いつでも急所を突いて来る。


確かに隔離病床に在駐の医師からは、手だけを出して非接触・短時間で魔法の処置を行うので、感染の可能性は極めて低いという話は聞いている。


その目に揺るがない意思を見てとったオレは、渋々承諾した。


「分かった。だが、在駐の医師の指示をよく聞き、くれぐれも感染しないように注意して行って来てくれ」


ルイは「分かりました」と頷いた。




翌日。アムルが報告に来た。


「罹患者は5名増。そして、重体だった患者が残念ながら亡くなりました」


そう言ってうつむいた。


そうか。オレの判断が遅かったせいか。


オレは両の拳を握り締めたまま、言葉を失った。


その翌日には、更に罹患者5名、死者2名の増加が報告された。


だが、次の日は、隔離病床での治療と封鎖政策が功を現したのか、罹患者・死者ともに、新たな増加は0に転じた。


一筋の光明が差したか。このまま終息に向かってくれると良い。




その翌日。


アムルが朝からオレの部屋を訪れた。


青い顔をしている。


「どうした?」


オレが問うと、アムルが言い淀みながら、ようやく言葉にした。


「王妃様が病に感染されました」


「なに!」


オレはルイの部屋に駆け込もうとして、アムルに抱き止められた。


「王様、王妃様の部屋に入ることはできません」


細身の体のどこにそんな力があるかと思うほど、アムルは頑強に暴れるオレを押しとどめた。


「王様、今は専属の医師が王妃様の治療にあたっています。回復をお待ちしましょう」


「オレはこの国の王だ。オレに命じることは誰もできぬ」


「王様に命じることはできませんが、王様に正しい判断力を取り戻して頂くことが私の役目です」


オレはアムルに抱き止められたまま、その場で脱力した。




その日の夜。


オレの部屋の扉を激しく叩く音がした。


アムルが扉を開けて入って来た。


その目はぐじゅぐじゅになっていた。


「王様…」


オレは何かを察して言葉を発することが出来なかった。


アムルが声を絞り出して言った。


「王妃様がお亡くなりになられました」

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