15 ムキュ

城に連れて帰ったムキュは、ルイの部屋で飼うことになった。


別に専用の部屋を作ってもいいのではないかとオレは言ったが、


「それじゃあダメなんですよお」


さとされた。こういうことは母性には対抗しない方が良い。




翌日。朝食を食べ終わると、オレは早速ルイの部屋を訪れた。


「やあ、ルイ。ムキュの様子はどうだい?」


扉を開けて、そう言いながら部屋の中に入って行くと、


「あ、王様。足元」


ルイの鋭い声が飛んできた。


慌てて見ると、踏み出そうとしていたオレの右足の先に、テニスボールほどの丸い物体があった。


そのままの軌道で足を着地させると、ちょうどその丸い物体を踏んでしまう。


オレは、すべての力と反射神経を右足に集中させて、なんとかその軌道の修正に成功する。


オレの右足は、物体のギリギリ脇を、ダンと踏みしめた。


その黒っぽい、丸い物体は、どう見てもアレだ。


そう、オオウサギの大きい方の排泄物。


「ちょうど今、ムキュが粗相そそうをしてしまっていて…」


気付くと、部屋の何カ所かに、点々とそのアレが転がっていて、ルイがほうきと塵取りを持って、一生懸命それらを集めている。


「もう、ムキュったら困るわあ」


そう言っているが、言葉ほど困っている様子ではない。世話がかかるほどかわいいという、飼い主特有のテンションになっているようだった。


オオウサギも普通のウサギと同じ草食なので、臭いがあるわけではない。だが、さすがに排泄物が部屋に散乱しているのは、衛生上よろしいとはとても言えない。


見ると、部屋の片隅に、オオウサギ用のトイレは設置されているようだった。


だが、来たばかりなので、そこでする習慣付けがまだされていない。


オレの視線から、ルイも察したようで、


「そこでするようになってくれるといいんですが、どうしたらそうなってくれるか分からなくって」


と言った。


オレも小さい頃、実家で猫を飼っていたが、そういったしつけはおそらく親がやっていた。


オレは薄い記憶を辿ってみる。


すると、ムキュがまた後ろの両脚を踏ん張り出した。


あ、またやる。


オレは、イノシシか大型犬くらいのムキュの巨体をなんとか腹に乗せて抱き上げると、急いでトイレの上に連れて行った。


「ルイ、この子のおやつ」


と、声を掛けた。ルイが慌てて、ニンジンを持って来る。


ムキュがトイレの砂の上で、後ろ脚をプルプルさせ始めた。しばらくして、例のテニスボールがゴロンと転がる。


ルイがすかさずニンジンをムキュに与えた。


「なるほど、こうやってやるんですかあ。さすがは王様」


王様として流石さすがなのかどうかは分からないが、これで習慣付いてくれると良い。


抱っこしている間に粗相そそうをされていないか、オレは自分の着衣を念のため確認したが、大丈夫なようだった。




「お見苦しいところをお見せしました」


ルイがすべてのテニスボールの始末を終えて、オレの隣に座った。


ルイの部屋は、ちょうど半分ぐらいで仕切られ、半分には衣装・アクセサリーの収納家具やベッドが置かれ、残りの半分がムキュの飼育空間になっていた。


「部屋の半分をムキュに取られてしまったではないか」


言いながらオレもその場に腰を下ろす。


「いいのです。もともと私には大きすぎるお部屋ですから」


ルイは明るい笑顔を見せた。


そこへムキュがトントントンと小走りに走って来て、オレの前を素通りして、ルイの膝に体をすり寄せた。


オレが思わずうらやましそうにルイを見た。


「あはは、王様。まだ一日ですけど、私はムキュに餌をあげたり、いろいろとお世話をしているんですからね。そりゃあ、私の方に来てくれなきゃ困ります」


確かに、うちで飼っていた猫も、餌をくれる母親に一番なついていたな。


「王様も餌をあげてみます?」


オレが頷くと、


「あんまりあげ過ぎないでくださいねえ」


ルイはそう言いつつ、何かの野菜の茎付きの葉っぱやらニンジンやらを、大量にオレの手元に運んできた。


オオウサギって、一日にどれくらいの餌を食べるんだろう。現実世界でも、太り過ぎだろっていう犬や猫、けっこういたなあ。


オレは手始めに、長い茎の先を持って、そこから茂る緑の葉っぱをムキュの鼻先に近付けてみた。


ムキュは鼻を少しヒクヒクさせたかと思うと、大きな葉っぱをムシャリと一口で口の中に入れた。


そして両頬を膨らませて、激しくモグモグと咀嚼そしゃくした。


そのモグモグが終わらないうちに、今度は茎の部分をカツカツカツと一気に食べ進める。


長かった茎は一気に残りわずかになった。


これは気を付けないと、指か手ごと持って行かれるな。


オレは残った茎を、開いたムキュの口の中に放り込んだ。


「王様、お上手です」


もっとたどたどしい姿を想像していたのか、思いのほかの上出来にルイは手を叩いた。


こんな事ができるくらいで褒められるとは、オレもムキュ同様、甘やかされているというものだ。


オレは、今度は葉っぱの餌を、ムキュの鼻先の床に置いて、食事中のムキュの頭から背中にかけてを、ゆっくりそっとでていった。


柔らかくてしなやかな毛が、次々と手のひらに当たってこそばゆい。


ムキュも餌をむさぼりながら、長い耳を背中に沿うようにぴったり寝かせ、撫でやすいパソコンのマウスのような形をとっている。


きっとルイにも同じことを何度かされているのだろう。もうすっかり飼われることに順応している。


目の前の餌を食べ終わると、ムキュは自分から餌の山の方に突っ込んできた。


そして葉っぱの餌を頭で掻き分けると、ニンジンの先をかじり始めた。


オレがニンジンの頭の部分を押さえてあげる。


固定されて食べやすくなったニンジンを、ムキュは目を細めて一気に食べ進めた。


お目当てのニンジンを食べ終えて満足したのか、ムキュが向きを変えてオレの隣に来ると、ゴロンとオレの膝にもたれかかった。


お、重い…。だが、温かい。


トクトクトクと速い鼓動が、脚を伝わって感じられる。


しばらくもしないうちに、ムキュの寝息が聞こえてきた。


なるほど、これはたまらなくかわいい。


オレは、ムキュが起きないように気を使いながら、肩からお腹にかけてをそっと撫で続けた。


やがて、


グピピピピーー


と、ムキュがいびきをかき始めた。


飼っている動物がいびきをかいたり寝言を言ったりするのは、前から知っていたのでそこまで驚きはしなかったが、体が大きい分、その音は予想以上に大きかった。


「この子、よくいびきをかくんです」


それじゃあ、夜は大変だな。不満の一つも出るかと思いきや、


「かわいいでしょ」と。


これは本格的にあてられとるな。




このままいつまでもいたかったが、ムキュに全体重をかけられているオレの左足が痺れてきた。


しばらくは我慢していたが、さすがに限界を迎える。


そっと足を引き抜いたつもりだったが、ムキュは自分の体の重さで転がり、仰向けになった。


ムキューーー


驚いて、短い手足をバタバタさせる。


それがたまらなくかわいくて、ルイは右側からムキュの白いお腹に顔をうずめる。


オレは、左側から顔をうずめた。


その真ん中で、ムキュがいつもより速く鼻をひくつかせた。


あー、幸せだあ。


こんな平和がいつまでも続くといいなと、オレは心の底から思った。

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