07 アイリンと魔女

アイリンと視線の高さを同じにして、背中を丸め加減に歩いて来た男の顔が、前触れもなくひょいと上に持ち上がった。


何か浮遊の魔法でも唱えたかと思ったが、そうではなかった。


今しがたまで玉乗りをしていた曲芸師が、玉を降りて男に近付いて、その首根っこをむんずと持ち上げたのである。


「見世物商売の邪魔をされる方はお断りです」


そう言って、若い男を街道の方まで放り投げると、片手でしっしっと追い払った。




アイリンは、突然現れた救世主にしばらくポカンとしていたが、我に返ると慌てて礼を述べた。


「あ、ありがとうございます」


気付くと、まばらにいた客は、曲芸の中断とともに姿を消して、アイリン以外誰もいなくなっていた。


「ご迷惑をおかけしてしまってすみません」


アイリンが謝ると、曲芸師の男は「いやいや」と手を振った。


「もともと、ほとんど客はいなかったのだから、気にするな」


笑って言ったが、そのピエロの笑顔が急に真顔になった。


「それはそうと、お前さんの聞きたかったこと、オレなら答えられると思うぞ」




広場の横の敷地に、曲芸師の住まいがあった。


「聞きたければついて来い」


男はそう言って、建物の中に入って行った。


アイリンは一瞬大丈夫かなと思ったが、貴重な情報を得られるチャンスかも知れない。いざとなったら戦闘員の本領を発揮すればよいので、男の後ろについて中に入った。


男は部屋の奥で、じゃぶじゃぶと顔の化粧を落としているようだった。


そして、沸かした湯でお茶を入れて持って来てくれた。


湯呑を二つテーブルに置くと、アイリンに席を勧めた。


「お嬢さん、確かにこの町のもんじゃないね」


着席したばかりのアイリンが驚いて顔を向けると、


「なに、見れば分かるさ。この町の人間は皆、どこか諦めたような目というか、雰囲気を持っているからな。だが、心配するな。オレは通報したりはしない」


短く笑うと、アイリンを見返した。


「で、何を聞きたい?」


化粧を取った男の目尻や口元には、少し皺があった。渋い中年の顔だ。


アイリンは何度かまばたきをして考えたが、この男を信用してすべてを話すことにした。




「実は私はレンゲラン城から、この町と城の様子を探りに来ました」


「ほお」と男が小さく声を上げた。


「人が魔物を受け入れている理由は分かりましたが、魔物が人を生かしておく理由は何です? 普通、魔物は人を襲う存在だと思うのですが…」


男はうんと頷いてから、少しためらいがちに話し始めた。


「この城の魔物を率いているのが女王だというのは聞いていたな」


今度はアイリンが頷く。


「その女王が、自らの美貌を保つために、半年に一回、若い女の生贄いけにえを求めてくる。それが、我々が生かされている条件だ」


「町の人はそれを受け入れているのですか?」


男は黙って頭を縦に振った。


「なんと…」


アイリンは言葉に詰まった。だが、気を取り直して質問を続けた。


「城内に入る方法はあるのですか?」


男は少しの間、のどをうならせてから答えた。


「あの城に入れる人間は、生贄になった女だけだ。オレも、この町を支配している女王が、上級魔法を使いこなす魔女だと知っているだけで、実際に見たことはない」


言い終えてから、男は居住まいを正した。


「そこで、頼みがあるのだが…。お前さんは、このような任務をこなしていることからして、戦闘員だろ?」


「はい」


「であれば、今度の生贄の身代わりとなって、城内に行ってもらえぬか?」


突然の申し出に、アイリンは困惑した。


「女王は強力な魔法の使い手だと言ったが、物理的な防御力は弱いはずだ。懐に入れれば、これで一撃で仕留めることも可能だろう」


そう言ってテーブルの上に置いたのは、の部分に七つの宝石が散りばめられた短剣である。一見して上級の武器であることが分かる。


「七宝の短剣だ。小さいが、切れ味は保証する」


アイリンはじっとその短剣を見つめた。男が更に頼み込む。


「この城の戦闘員は、魔物の襲撃を受けた戦いで、皆戦死してしまった。これまでに何人もの生贄が捧げられたが、一般人のか弱い娘にこの短剣を託すのははばかられた。これが、最初で最後の機会かも知れんのだ」


か弱い娘でなくて悪うございましたわねと、アイリンは一瞬ぶすっとした。


男も自分の失言に気付いたようで、


「いや、戦闘員と一般人の違いというだけだ」と、あたふたした。


「それで、今度生贄を捧げるのはいつなんです?」


アイリンの方から話の矛先を変えてくれたので、男はほっとしたついでに重大発表をした。


「明日だ」


なんですと。


「でしたら、すぐにもレンゲラン城から、他の戦闘員も呼びましょう」


「何人いる?」


「私も入れて6人です」


男は即座に首を横に振った。


「魔物の襲撃を受けた時、この城には20人近くの戦闘員がいた。だが、それでもあの魔女の上級魔法には歯が立たなかった。瞬時に殺られたので、彼女の姿を見た者は殺されるという噂が広まったほどだ。

それに、この町の中にも、もしかしたら魔物と通じている者がいるかも知れん。下手に動いたらさとられる恐れがある」




それなら私がやるしかないようだ、とアイリンは覚悟を決めた


この機を逃したら、次のチャンスは半年後だ。それに、明日確実に命を落とす娘が一人いるのだ。それを見逃すわけにはいかない。


「分かりました。やりましょう」


アイリンが毅然と言うと、


「そうか。やってくれるか。ありがとう」


男は歓喜して、アイリンの両手をその大きな両手で握り締めた。




「これはご存知であればで結構ですが」と前置きした上で、アイリンが尋ねた。


「最後にもう一つお聞きします。女王の前にこの城を治めていた、レンゲラン国王の弟ぎみがどうなったかをお知りではありませんか?」


「ああ、あの方か」


「え、ご存知で?」


男は少し遠い目をした。


「あの方は、女王に捕らわれるすんでのところで、なんとか逃げ延びたそうだ」


「ご存命でしたか。今はどちらに?」


「今は、町人に身をやつして、ひっそりとこの町で生きているという。表に出る時は、変装しているのだよ。ピエロに」


アイリンは絶句した。


「弟君はあなたでしたか」


男は、今まで隠し通したことを満足するように、アイリンを見て大きな声で笑った。




「明日の朝は早い。今日の晩飯はこちらで準備をさせるゆえ、それを食べたら早目に寝てくれ」


王弟ロマーリの住まいには、一人従者のような男がいた。ロマーリはその男に、出前か何かの指示を与えているようだった。


アイリンは食事の準備が整うまでに、分かった情報と明日の計画を記した手紙を書き上げた。


「報告だけはしておきたいので、これを今日中に、レンゲラン城に届けてください」


「分かった。早馬で届けさせよう」


ロマーリは快諾した。




「今は稼ぎが少ないのでな。こんなものしか用意できなかったが」


ロマーリはそう言ったが、テーブルに並んだ料理はかなり豪華だった。王族だったため、豪華の基準が人とは違うのか。それとも、自分たちのために命を懸けてくれるアイリンに、精一杯のもてなしをしたかったのか。


「事がすべてうまく運んだら、是非ともレンゲラン城にお越しいただき、王様とお会いください」


食事をとりながら、アイリンが提案した。


「兄上がレンゲラン城の町を復興させ、先日、魔軍を撃退した話は耳にしている。是非お行き会いしたい」


ロマーリは笑顔で答えた。




翌日。


まだ人目がないうちに、ロマーリとアイリンは、本来生贄として娘を差し出すはずの家を訪れた。


ロマーリが事の次第を説明する。


それを聞いて両親と娘は、声を上げて泣き崩れた。


三人は、アイリンに何度も何度も頭を下げた。


これだけでもやった価値はあったと思うアイリン。だが、もちろん、この娘の死を代行するためにやるわけではない。自分も生きて戻るのだ。




アイリンは、娘が着るはずだった白無垢の上下を着用した。更に薄い羽衣のような白いベールを頭からかぶる。これで顔が見えづらくなるのは好都合だ。


定刻になり、家の前に用意された専用の馬車に、アイリンと両親が乗った。


馬車はおごそかに三人を乗せて進む。


町の大通りで三人は降ろされた。リンバーグ城へと向かう一本道の両脇には、町の住人が並んで白い花びらをアイリンに向かって投げかけた。


恒例の儀式のようである。まるで結婚式だが、これは幸せに続く道ではないはずだ。


自分たちの生活の代償として命を捧げなければならない娘を、どのような顔で見送っているのかと、アイリンはそっと両脇の人々を盗み見た。


皆、凍り付いたような顔をしていた。


心を凍結していないと、罪悪感にさいなまれてしまうからなのだろうか。




城門まで来ると、


「家族の者はここまでだ」


門番のボーンソルジャーが、冷たい手で両親を押しのけた。


両親が泣き叫ぶ演技をする。


アイリンは後ろを振り向くと、深々と頭を下げた。


「お父様、お母様、今までありがとうございました。」


顔を上げると、見送りに出ていた町人の列の先頭に、帽子を深くかぶったロマーリの姿があった。


その帽子の奥の目と視線が合った。


リンバーグ城の城門がゆっくりと開いていく。


中から魔導士系の魔物が現れて、アイリンを引き入れた。




リンバーグ城内は、レンゲラン城内よりもずっと薄暗かった。魔物にとっては、光は最低限あればいいらしい。


案内役の魔物は、無言で通路を先導していく。


アイリンは、着衣の裏にさやごと縫い付けてある七宝の短剣の存在を、手触りで確認した。


大きな扉の部屋まで来ると、魔物は、


「生贄をお連れしました」


と、中に声を掛け、アイリンだけを扉の中に押し入れた。




部屋の中は、通路に比べると幾分明るかった。


奥に、全身黒の衣装をまとい、銀の椅子に腰かけた魔女の姿があった。


アイリンは下を向いたまま、おずおずと魔女の前に進み出る。


「お前が今度の生贄か。肌は少々黒いが、若さに問題はなさそうだ」


肌が黒い? 余計なお世話だ。


アイリンは心の中で叫んだ。


「人を滅ぼさずに生かしておいて、若いエキスを手に入れ続ける。我ながらうまいことを考え付いたものだな」


魔女は自画自賛した。




アイリンは、少しずつ頭を上げていった。


魔女の手足は、大きめの黒服のせいで、ほとんど見えなかった。


胸には、輝くエメラルドと翡翠で出来た、大きな緑の首飾りをかけていた。


その上には、皺々しわしわの老婆の顔があった。


アイリンは愕然として、慌てて目を伏せた。


美貌を保つためと言っていたので、もっと美しい顔を想像していた。


いや、何も皺が醜いと言っているのではない。


アイリンにも祖母がいたが、その健康的な皺は美しいとさえ思う。


だが、人の命と引き換えにしてまで無くそうとしているその皺は、ひどく醜く見えた。


「ふふ、これでまた皺が5つは減るわ」


いや、それは気のせいだ。気のせいでなければ、減っている以上に増殖しているのだ。


こんな物のために、命を奪っていたのか。


アイリンは沸々ふつふつと怒りがこみ上げてきた。




「女王様、私はどうやって殺されるのですか?」


アイリンの不意の質問に、女王は一瞬驚いたが、優しい声を出して答えた。


「丸飲みにした後、じっくりとエキスをいただく。なに、特殊な粘液に包んでやるから、痛みはないはずだ。それにしても、お前は落ち着いておるな。死を前にして泣き叫ぶ者が多いというに。お前は怖くないのか?」


「怖い? 私は怖くはありません。むしろ、女王様の若さの一部になれるのなら、喜ばしいくらいです」


「ほお、それは見上げた心掛けじゃ。すぐに望みどおりにしてやる。では、服を脱ぐがいい」


女王は銀の椅子から立ち上がった。


「ご安心ください。女王様はもう歳を召されることはありません。なぜなら…」


アイリンは服を脱ぐと見せかけて短剣を取り出し、鞘を引き抜いた。


魔女は慌てて身構えたが遅かった。


「あなたは私に殺されるからですよ。覚悟しろ!」


アイリンは、七宝の短剣を勢いよく横に薙ぎ払った。


魔女の首が、あっさりと胴から離れて飛んだ。


皺々しわしわの顔が歪みながら、手足がバタバタともがきながら、黒い煙のように消え失せた。


身に着けていた黒い服と緑の首飾りだけが、どさりとアイリンの足元に転がった。

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