第11話
2度目に彼女こと“フローラ”に出会った時、僕はとても嬉しかった。
ルールなんてものは1回破ってしまえば2度目以降に破ることの忌避感を軽減してくれる。
だからだろうか、僕は簡単に彼女に話しかけることができた。
「あっ!フローラさん!!」
手招きをして彼女に声をかけると、彼女は心底困ったような顔をしながらも渋々僕の元に来てくれた。
それがどれだけ僕にとって嬉しいことか、フローラはちゃんと分かってくれているのだろうか。
「………ご機嫌よう」
「こんにちは!!」
すとんと彼女が腰を下ろすと、可愛らしい真っ白なワンピースの裾が花畑に広がった。可愛らしいデザインのワンピースは、彼女の愛らしさを何倍にも引き立て、それでいて彼女の神々しさを際立たせている。
それに何より、彼女が好きな花であるカンパニュラにとても映えた。
あまりの可愛さに言葉を失っていると、彼女は不思議そうにし始めた。
僕は慌てるようにして話題を探して、そして彼女に名乗っていなかったことを思い出した。
彼女は偽名であっても、僕は本名を名乗りたい。
そう思った結果、僕は名乗る名前はあっという間に決まった。
母国では祖父母、両親や兄弟、姉妹、恋人や伴侶にしか許さない特別な名前、ミドルネームこそが彼女に名乗るに相応強いと。
「アンソニー。“僕”の名前はアンソニーだよ」
にっこりと笑って名乗ると、彼女はふわっと微笑んだ。
まるで花の女神のようだ。
「綺麗名前ね。お花の名前だわ」
彼女のたった一言に、僕の心は浮き足立つ。
「でしょう?僕も気に入っているんだ。小さい頃はなよなよしい感じがして嫌いだったんだけどね〜」
「………………」
「フローラさんは自分の名前が好き?」
「えぇ」
「ねえ、今日はどうしたの?」
「………暇だったから」
「休暇?」
「えぇ」
元気マックスな僕とは正反対に、彼女はとても落ち着ききっている。話し方の端々に出てくる感情をしっかりと読みながら、僕は彼女との逢瀬を楽しんでいる。
ふっと、花を撫でている彼女の手元に視線が行った。
「お花、手折らないの?」
「えぇ」
「持って帰りたいとは思わないの?」
「えぇ」
とても優しい表情になった彼女に、僕の鼓動は高鳴ったまま降りて行かない。
「カーネーション?」
いじいじと花を触り続けている彼女がじっと見つめたままでいる花に、僕は視線を向けて首を傾げた。
「えぇ」
「好きなの?」
「えぇ」
「なんで?」
「お母さんの名前がネルケだから」
さらりと言われた言葉に、僕の鼓動はドクンと音を立てる。
『ネルケ』
それは古い言葉でカーネーションを意味する言葉であり、僕の亡くなったと言われている奔放な叔母の名前だ。
「ーーーそっか」
声に出しながらも、僕の背筋には冷たい汗が流れた。
どうして前回会った時に気が付かなかったのかと僕は己を叱咤した。
僕は幼い頃から彼女とよく似た女性の肖像画を見てきたではないか。
ふわっと風が舞い上がって、僕は全く違う話題を探す。
でも、見つかったのはとてもつまらない質問で、自分で聞いておきながら、なんて馬鹿な質問なんだと自分を殴り飛ばしたくなった。
「ねえ、君は昨日何人殺したの?」
「覚えてないわ」
「この花はちゃんと守られるのかな」
「………守りたいわね」
「僕も守りたい」
「そう」
戦争禁止区画といえども、絶対に守られるという確証はない。いずれここが戦禍に巻き込まれる可能性は十分に存在しているし、そうならない可能性もある。
僕はこの地が未来永劫存在していたらいいのにと思った。
未来永劫、戦争の硬直状態が続けばいいのにと思った。
そうすれば、僕はフローラとの逢瀬を続けられる。
愛しの彼女の隣に座ることができる。
僕が望む幸せな空間が、ここには広がっていた。
ふとちょっとした悪戯を思いついて、僕は青い宝石がついた磨き上げられた小さな木の杖を前に振り翳して水魔法の詠唱を行った。
僕に首を傾げた彼女に悪戯っ子のように笑って、作り出した小さくて低空を飛行している雨雲を向こう側の花の方に持って行く。
「『水よ水。我が願いを叶えたまえ』」
「?」
「お水やりしようと思って」
「………………」
次の瞬間、僕が作り出した雨雲から雨が降り出して、花に優しく降り注ぐ。
「聖魔法と水魔法の混合魔法………」
最も簡単に見破った彼女に、僕はほんの少しだけ驚いた。
「よく分かったね」
「………………」
やっぱり、彼女は叔母上の娘なのかもしれない。
そうでなければ、ディステニーの兵士なのにも関わらず、魔法の知識なんて持っているはずがない。
じっと探るように見つめていると、彼女はため息をついて右手の薬指に嵌めている銀製の青い小さな宝石のついた指輪を撫でながら、小さく口を開いた。
「『水よ水。我は雨雲を望む者なり。花々にお水を与えたまえ。小さな雲、降り注ぐ優しいお水。我は望む、花を慈しむ雨雲を』」
「ーーー君も魔法使いなんだ」
「………一応」
決して高度な魔法ではない。
詠唱も魔力の使い方も荒削りだし、使用しているのは水魔法のみだ。
けれど、彼女の魔法には圧倒的な暖かさとセンスを感じた。
彼女は、僕をも上回る魔法使いになるかもしれない………!!
ぱちぱちと瞬きをしながら考えていたら、彼女は真っ直ぐと僕を見据えて願いを告げてきた。
「………魔法、教えて」
願ってもないお願いだ。
僕はにっこりと笑って、彼女に頷く。
「ーーーいいよ。そのかわり、剣を教えて」
僕がずっと欲しかった能力を、彼女は持っている。
だからこそ、圧倒的センスを持っていると分かっている彼女に、僕は希う。
でも、彼女は案外乗り気意ではないようだ。
僕は彼女に教えてもらうために、少しだけ上目遣いにして彼女にすがる。
「僕、剣は習っちゃダメなんだ。今は自己流」
一瞬だけ考え込んだ彼女は、やがて頷いた。
「………いいよ。簡単なものでいいなら」
「やったっ!」
ついついガッツポーズをすると、彼女は優しく笑った。
「ここには3日に1回集合でいいのかな?」
はやる気持ちを抑えることができずにうずうずと尋ねると、彼女はゆったりと頷いた。
「………いいよ。来れない時は………」
「その時はその時で」
「分かったわ」
紫紺を混ぜ込み始めた空を見上げながら、彼女は先に立ち上がる。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうものらしい。
僕は悔しい気持ちを抑え込みながら、彼女の背中を見送る。
「じゃあね、アンソニー」
「うん。………またね、フローラさん」
「………『さん』は要らないわ。むず痒いもの」
ぱたぱたと手を振ると、彼女はくすっと笑って手を振ってくれた。
可愛い。
後ろから噴き上げる風が、なんだかとても心地よかった。
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