第6話
▫︎◇▫︎
3日後、私はまた休暇をとった。
兵士たちは何も文句は言わなかった。今は戦況が安定しているし、休暇明けの私の動きの方が普段よりもずっと強かったからだろう。
私はふわふわと覚束ない足取りでぼーっとしながら前に訪れたお花畑に向かう
腰元でふわふわと揺れる赤い房飾りは、この戦場でだいぶ汚れてしまった。
お花畑の前座っていた場所には、あの男が座っていた。
戦場にこんなにも行っていない日があるなんて、この男は暇人なのだろうか。
「あっ!フローラさん!!」
そうやって考えていたからか、不覚にも男に気がつかれてしまった。
手招きをしてきた彼に向けて、私は1回だけだと自分に言い訳をして彼の方に足を向ける。
「………ご機嫌よう」
「こんにちは!!」
すとんと腰を下ろすと、真っ白なワンピースの裾がお花畑に広がった。
白いワンピースは私が前に気に入ったお花カンパニュラにとても映えた。
じっと私の方を見つめてくる彼に首を傾げて、私は彼が口を開くのを待つ。
「アンソニー。“僕”の名前はアンソニーだよ」
一人称が前回と違うのは、敬語の使用を止めたからだろうか。
私は彼の名前を消化しながら、ふっと前を向いた。
「綺麗名前ね。お花の名前だわ」
まあ、どうせ偽名でしょうけど。
「でしょう?僕も気に入っているんだ。小さい頃はなよなよしい感じがして嫌いだったんだけどね〜」
「………………」
なんか偽名じゃなさそうな感じがする。
「フローラさんは自分の名前が好き?」
「えぇ」
フローラ。
彼と同じくお花の意味を持つお名前は、普通付けられないお名前だ。
ここら一帯で信仰されている宗教の影響で、神聖なものとされている故に、普通は神殿でのお名前申請すらも通らないものらしい。
「ねえ、今日はどうしたの?」
「………暇だったから」
「休暇?」
「えぇ」
「お花、手折らないの?」
「えぇ」
「持って帰りたいとは思わないの?」
「えぇ」
だって、野花は野花だからこそ美しいから。
手折ってしまえば、その花はそこまでだ。その花に残っている未来は、枯れていくのみ。
私が手折るのは人間の命だけで十分だ。
花の命までもは手折りたくない。
手折る資格もない。
ふわっと花に手を添えて、私はお母さんが好きだった花を見る。ピンク色のひらひらとした花弁がいっぱいに付いているお花はカーネーションと言っただろうか。
毎年母の誕生日にはこのお花を手向けている。
「カーネーション?」
「えぇ」
「好きなの?」
「えぇ」
「なんで?」
「お母さんの名前がネルケだから」
「ーーーそっか」
美しい花を撫でながら、私はふわっと微笑む。
こんなに穏やかな気持ちになったのはいつぶりだろうか。
本当に、この男、いいえ。アンソニーと一緒にいると調子が狂うわ。
「ねえ、君は昨日何人殺したの?」
「覚えてないわ」
「この花はちゃんと守られるのかな」
「………守りたいわね」
戦争禁止区画といえども、絶対に守られるという確証はない。いずれここが戦禍に巻き込まれる可能性は十分に存在しているし、そうならない可能性もある。
けれど、私はなぜか無性に、この地を守りたいと思った。
ここにきたのはたったの2回なのに。
「僕も守りたい」
「そう」
穏やかな風が流れるこの空間だけは、なんだかこの戦争が絶えない世界の中では別世界のようだ。
人々の怒声も悲鳴も、呻き声も、聞こえない。
鉄錆の匂いも炎の匂いも、むせかえるような死臭もしない。
血の海も屍の山も、ぼろぼろになった武器もない。
私が望む幸せな空間が、ここには広がっていた。
「『水よ水。我が願いを叶えたまえ』」
「?」
青い宝石がついた磨き上げられた小さな木の杖を前に振り翳して水魔法の詠唱を行った彼に首を傾げると、彼は悪戯っ子のように笑って作り出した小さくて低空を飛行している雨雲を向こう側の花の方に持って行った。
次の瞬間雨雲から雨が降り出して、お花に優しく降り注ぐ。
「お水やりしようと思って」
「………………」
じっと見つめていると、花が元気になっていくような感覚を覚えた。
「聖魔法と水魔法の混合魔法………」
「!!」
虹色に輝く雨水に混じっている輝きは多分癒しをもたらす聖属性の魔法だ。小さい頃に何度も見たことがあるから、簡単に分かる。
「よく分かったね」
「………………」
じっと何かを探るように見つめてくる彼に1つため息をついて、私は右手の薬指に嵌めている銀製の青い小さな宝石のついた指輪を撫でながら、小さく口を開いた。
「『水よ水。我は雨雲を望む者なり。花々にお水を与えたまえ。小さな雲、降り注ぐ優しいお水。我は望む、花を慈しむ雨雲を』」
「ーーー」
彼のように短い詠唱で高度な魔法を使うことはできない。
けれど、簡単な魔法なら使える。
私が出した魔法には聖属性の魔法は混ざっていない。でも、なんだかいいことをしている気分になった。
「君も魔法使いなんだ」
「………一応」
本当は魔法使いと名乗っていいレベルの魔法なんて使えない。
でも、私は魔法使いという名に憧れを抱いていた。
だからこそ、魔法使いと呼ばれたことが嬉しかった。
「………魔法、教えて」
「ーーーいいよ。そのかわり、剣を教えて」
思いもよらぬ交換条件に、私は少し首を傾げる。
なぜそんなにも簡単なことを望んでいるのだろうか。剣など誰でも教えられるだろうに。
「僕、剣は習っちゃダメなんだ。今は自己流」
「………いいよ。簡単なものでいいなら」
「やったっ!」
心底嬉しそうにガッツポーズをしたアンソニーに、私は柔らかく笑った。
やっぱり、彼と一緒にいる時はあの声が聞こえない。
どろどろとした不協和音が聞こえない世界というのは、本当に心地が良いものだ。
「ここには3日に1回集合でいいのかな?」
「………いいよ。来れない時は………」
「その時はその時で」
「分かったわ」
紫紺を混ぜ込み始めた空を見上げながら、私は先に立ち上がる。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうものらしい。
「じゃあね、アンソニー」
「うん。………またね、フローラさん」
ぱたぱたと手を振る彼にくすっと笑って、私はひらっと手を振った。
「………『さん』は要らないわ。むず痒いもの」
後ろから噴き上げる風が、なんだかとても心地よかった。
だからこそ、私は理解をすることを拒んでいた。
この日だけでも、たくさんの過ちを犯していたことを。
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