僕から私への置土産
先日亡くなった叔父の遺品整理をしていた時のことだ。
叔父夫婦の家は私の実家の近くにあり、両親が共働きで休日も仕事に行くことが多かったため、幼い頃の私はよく叔父のところに遊びに行っていた。今考えると、休日の度に
さて、全国の小学校で同じなのかは定かではないが、私の通っていた小学校では毎日の課題として一枚の――週末は土日も含めて三枚の――プリントが配られていた。
「今日は、好きな教科の勉強をしてください」
なぜ、こんなことを思い出したかというと、叔父の机の引き出しからそのプリントが出てきたからだ。私の父か母かが叔父に渡していたのだろう。お世辞にも綺麗とは言えない文字で構成されたそのプリント達は綺麗にファイリングされ、叔父のもとで長い間、眠っていたのだ。日付は飛び飛びだが、そこには共通点があった。
幼い頃の私が
「日々」と言っても、そんな大したものではない。大抵の小学生が書く「○○君と~をした」の○○に「おじさん」が入るだけだ。ただ、どんな雑多な日々ももう戻ってこない遠い昔のこととなれば、そこに鉤括弧がつきがちなもので、気づけば私は遺品整理もそっちのけで懐かしさについ、その「日々」を読み漁っていた。これが面白いもので、当時は半ば無理やりにでも日常からネタをひねり出し、その欄を埋めるためだけに全精力を注ぎこみ、内容なんて気にしていないつもりであったが、今改めて読んでみると案外、子供心ならではの成せる
今日はお父さんもお母さんも仕事でいなかったので家でるす番をしていました。午前中はゲームをしました。昼になると、おじさんから電話がかかってきておじさんの家でいっしょにごはんを食べました。おばさんのオムライスでした。おいしかったです。それから、おじさんと二人でとなり町まで行ってキャッチボールをしました。ぼくは今まであまりキャッチボールをしたことがなかったので、とても楽しかったです。おじさんが「むねに投げたらいい」と教えてくれたのでその通りにすると、コントロールがとても良くなりました。帰り道に通った小学校で運動会をしていたので少し見てきました。ぼくたちが校庭に入った時は、六年生がリレーをしていて赤組がリードしていました。と
家に帰って、お父さんとお母さんに今日のことを話すと、やっぱり二人ともわらいました。それからお父さんも、「勉強がんばろうな」と言いました。がんばろうと思います。それから、来週の運動会もがんばりたいです。
いつからだったのだろうか――これを笑う方になったのは。
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