僕から私への置土産

 先日亡くなった叔父の遺品整理をしていた時のことだ。

 叔父夫婦の家は私の実家の近くにあり、両親が共働きで休日も仕事に行くことが多かったため、幼い頃の私はよく叔父のところに遊びに行っていた。今考えると、休日の度に他所よその家に転がり込むとはとんだ迷惑なのだが、叔父は嫌な顔一つせず、私の相手をしてくれた。

 さて、全国の小学校で同じなのかは定かではないが、私の通っていた小学校では毎日の課題として一枚の――週末は土日も含めて三枚の――プリントが配られていた。おもての上半分は作文、下半分は漢字を書く欄で、裏面は算数の問題を解くためのマス目が印刷されているプリントだ。このプリントがなかなかの曲者くせもので、漢字や算数は担任の教師が指定したドリルのページをこなせば済むのだが、作文はそうはいかない。毎日毎日配られてくるプリントの作文欄を見るたびに、書かなければならない何か、の無言の圧力に辟易へきえきし、その欄を埋めることに苦労したものだ。さらに厄介なことに担任の気まぐれで裏面までその性質を帯びることもあった。

「今日は、好きな教科の勉強をしてください」

 なぜ、こんなことを思い出したかというと、叔父の机の引き出しからそのプリントが出てきたからだ。私の父か母かが叔父に渡していたのだろう。お世辞にも綺麗とは言えない文字で構成されたそのプリント達は綺麗にファイリングされ、叔父のもとで長い間、眠っていたのだ。日付は飛び飛びだが、そこには共通点があった。

 幼い頃の私がつたなく書いた叔父との「日々」だった。

 「日々」と言っても、そんな大したものではない。大抵の小学生が書く「○○君と~をした」の○○に「おじさん」が入るだけだ。ただ、どんな雑多な日々ももう戻ってこない遠い昔のこととなれば、そこに鉤括弧がつきがちなもので、気づけば私は遺品整理もそっちのけで懐かしさについ、その「日々」を読み漁っていた。これが面白いもので、当時は半ば無理やりにでも日常からネタをひねり出し、その欄を埋めるためだけに全精力を注ぎこみ、内容なんて気にしていないつもりであったが、今改めて読んでみると案外、子供心ならではの成せるわざで叔父の人柄を上手く表現しているのだ。特に私の目を引いたのは小学三年の十月のとある日に書かれた作文だった。この作文だけ他と違って(おそらく、前に述べた担任の気まぐれが起こった厄介な日曜日の宿題だったのだろう)裏面までびっしりと書かれており、文章嫌いだった当時の私が書いたものだとは思えなかったのである。しかし、漢字を習いたてのこの年代にありがちな交ぜ書きと、他のプリントに書かれた文字と似たような筆跡なので、これも当時の私が書いたものなのだろう。


 今日はお父さんもお母さんも仕事でいなかったので家でをしていました。午前中はゲームをしました。昼になると、おじさんから電話がかかってきておじさんの家でいっしょにごはんを食べました。おばさんのオムライスでした。おいしかったです。それから、おじさんと二人でとなり町まで行ってキャッチボールをしました。ぼくは今まであまりキャッチボールをしたことがなかったので、とても楽しかったです。おじさんが「むねに投げたらいい」と教えてくれたのでその通りにすると、コントロールがとても良くなりました。帰り道に通った小学校で運動会をしていたので少し見てきました。ぼくたちが校庭に入った時は、六年生がリレーをしていて赤組がリードしていました。とちゅうで黄組が追い上げてきたのでぼくは、このまま黄組が勝つと予想しました。おじさんはそれまでビリだった青が勝つと予想していて、けっかはおじさんの予想通りで青の勝ちでした。さいの追い上げが青はすごかったです。次のしゅもくは組体そうでした。ぼくの学校でも前はやっていたらしいけど、あぶないからやらなくなったらしいです。なので、とても楽しみでした。でも入場してきたのはせいとたちではなくて、大人の男の人たちでびっくりしました。生とのお父さんや男の先生たちらしいです。ぼくのお父さんよりもわかいか、同じぐらいの年だと思います。その人たちがさか立ちをしたり、べつの人たちを持ち上げたりしていました。さい後のピラミッドになった時、校長先生ぐらいの年の人が入場してきました。この学校のそつ業生で今はギインらしいです。スーツを着た人や大きなカメラを持った人たちと入場してきました。ギインはえらい人なんだなと思いました。その人がスーツの人たちにささえられながらピラミッドの一番上に登ってわらっていました。ピラミッドがかんせいすると、見ていた人たちがいっせいにをして、僕もつられてはく手をしました。とてもはく力がありました。でも、一番下の男の人たちが重そうにしていたので大へんだな、とも思いました。はく手が鳴り止むと、ピラミッドを見ていたおじさんが「まるで日本のシュクズだな」って言いました。「シュクズって何?」と聞くと、おじさんは、わらいながら「勉強がんばろうな」と言っていました。運動会を見に来ていたまわりの人たちもぼくたちの方を見ながらわらっていました。少し、はずかしかったです。シュクズの勉強をしようと思いました。

 家に帰って、お父さんとお母さんに今日のことを話すと、やっぱり二人ともわらいました。それからお父さんも、「勉強がんばろうな」と言いました。がんばろうと思います。それから、来週の運動会もがんばりたいです。


 いつからだったのだろうか――これを笑う方になったのは。

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