2024年

一月

01.25|ぼんやりした朝

 

あけおめことよろということで(そんなこともなくもう一月は終わる)「君は彼方」という、アニメ映画を撮られた監督さんのインタビュー動画を眺めた(ぜんぜん関係がないぜ)。監督さんが喋る合間合間に、監督さんが階段を登るシーンが挿入されまくるのがどうにもシュールだった。「監督さんがなんらかの空間にいる」のを撮っている映像に、基本スローモが掛かっているのがシュールを助長しているのかもしれない。インタビュー動画で得るはずのないおもしろさ(人によっては苦痛となるもの)を摂取していると感じた。


諸々気になったので、他のインタビュー動画も眺めた。結果としては、チャンネルでの基本の文法というか、ひとつのものを完成させるために用いる骨と肉が、今回やたらとミスマッチを起こしたせいぽい、と感じた(前期はおんなじ雰囲気で、後期は距離感がちょうどよくなっていた)。それまで不和でなかったものが、悪いはまり方をすると意図しない味を発生させる。基本の骨は大事だし、骨があることによってものは形として存在できるが、肉がどういうものかによっては形状を疑ったほうがたぶん良い。形はむずかしい。形にしないよりはよいかもだが、その形にすることで失われるものもたぶんある。が、その人はその「型」を持っているから肉をなにかにすることができる。とはいえ肉にも種類がある。だから目を鍛えろ、材をよくみろ、となるのかもしれない(形にあう肉を見極めるため)


こんな風な出会い方になってしまったので、どこかで「君は彼方」はみたい。映画自体は「君の名は」以後の、量産された青春アニメもののひとつらしい。こういうのは結局、「ハロウィン(スプラッター映画)」や「ジョーズ(モンスターパニック映画)」のあとにいろいろの類似作品が続いたようなものと思う。二番煎じには、ただただ「二番煎じだなあ」となる作品と、二番煎じなりに考え工夫されて面白くなっているものとがたぶんある。それの姿だけを借りてまったくの別物をやることもあれば、云々の事象やあるあるを総括したメタもの(○○好きの方が製作したものや、それらをふまえて意表を突くもの)などもある。これら諸々がわーっとなるうちにジャンルは形成されるのだと思う。


それらに対し抱く感情や心理は、それはもうさまざまであろうし、食べた/食べさせられたからには感想/文句を言わないことにはどうにもならないのもわかる(我慢したって仕方ないし)。それでいいと思う。こんなものは滅ぼせとかいう、過激な事象にならない限りは(心理として怒りになるのは良く、暴力性自体を思うのもよく、実際に存在するものを潔癖的に排除する方向へゆくのが危ないと思う、というだけ。それだけを有するわけでない両方の状態、グラデーションとして扱うときにどうしたって困るのだし。これも結局は形であるし、この言及もそうである。どちらかひとつにはならない。基本は両方を持つことになる。二極がある前提になってしまうが)


「君は彼方」自体は、よくない方向でいろいろ言及されているらしい。が、それは一旦保留しておく。あとで眺めるなら眺める。興味はそのくらいでいい。その作品が存在できるかどうかに内容のおもしろさは別である。存在自体はしていい。つまらなくたっていい(まだ視聴していないので、この作品のことではない)。気に入らないものがあってもいい。怒られるときは怒られるし。喜ばれるときは喜ばれる。見向きもされないときもある。そのどれであっても、消失するときは消失する。残るときは残る。それ以上も以下もないと思う。


どう受け取り、どう受け返すか。どう打ち出し、どう打ち返されるか。ぼくは言及するのが下手なので常々曖昧になってしまうが、なにかをどう思うのが駄目だとかそういう話ではない。どうあっても別にいいが好みはある、というだけのなにか。境界に対するアプローチとか、意識の違いになるだろうか。ぼくはこれでいうと、直視するだけの元気がない。仮になんらかの境界と一緒に暮らすなら対面で座るのはやめておきたい。横に座ってしゃべりたい。がほんとは正面で話したくもある。たまには。なんの話だ。もうわからん。人と目線を合わすのは恥ずかしいのだばか野郎この野郎というなにかだ。こんばんは北野武です。コマネチ。

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不確定日記 宮古遠 @miyako_oti

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