06.21|ばてている
人間の思考とか思慮というものに、なんらかの状態にある人間は信用を置きすぎているのではないか、と思うときがある。思考だとか自分の考えだとか、物事に対するなんらかは、視座のようで結局のところは連鎖反応として生じるものどもでしかない気がするのだが、こういうことを思うときは大抵つかれている。そう。夏バテだ。
夏バテ、どうにかしたい。がどうにもならないのでバテるのだ。電気代が心配ではあるがエアコンをつけなければいけない。が、つけたらつけたで寒い。どうしたらいいのだ。馬鹿野郎。
わたしが人間だからこうなるのだろうとはなるが、であればわたしが人間でなくなにか別の存在だったら夏バテしないのだろうか。いやたぶんそんなことはなく、その場合はその場合として、その事柄に応じた「夏バテ」的事象がそれに対してきっとあるのだ。たぶん。というのはあくまでもわたしがわたしの云々の中でどうしようもなく連想した結果こうなるだけで、まったくこんなものは大事でない。
なにもかもを分断してゆく事柄と、真に受けるないしは真に受けやすくなる状況や論理、とされるものの仕組みないしは思考によって人間はぼんやりとなにもかもを否定するか、漠然となにかをかなぐり捨ててゆくのかもしれない。が、こんなことをうだうだと書いても意味はないし、やはり肉体がばてているときはいかんなと思った次第であった(ここでの思考はあくまでも連鎖してゆきやすい方向の育成と育成された結果のもの。育成は他者によるものと己自身によるものと多岐にわたり、プロファイリング的な云々で整えてよいものでもない)
まあつまり、おちんちんに支配をされた一日だったなということだ。おちんちんの支配から逃れたたくば、まずは夏バテを脱するしかない。ほよよ。ほよよのよ。南無三南無三。
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