鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎、水木の煙草と哭倉村の民俗学っぽい話

 ヤニカスです。誇りに思います。


 ゲ謎の話でまとめきれなかった部分をざっくりと。前半は水木が吸う煙草の話。後半は哭倉村のモチーフの民俗学的な話。後半に関しては大学と趣味で少しやってる程度のホラー作家の一見解として流して見てください。



 〜水木青年の煙草の話〜


 ゲ謎は喫煙者の多さが昭和らしくていい。

 人間を憎んでいたというゲゲ郎がどこで煙草の味を覚えたのかは気になる。奥さんは吸ってそうには見えないが……。


 中でも水木青年の煙草の使い方は前の感想の方でも触れたけどとても象徴的だ。


 咳き込む子がいる電車でひとりだけ煙草を吸わず、権力者から与えられた葉巻は受けつけず、鬼太郎父とは煙草を分け合う。下層階級で弱者を傷つけられない優しさとして描かれているように感じる。


 彼の吸っている煙草はPEACE(ピース)。サザンのピースとハイライトという曲でも有名だね。

 これは煙草の配給制が残る中、販売品としてデザインや名称を募集され売り出された戦後初の煙草。



 その前の流れを説明すると、まず昔は煙草は国が扱っていて、購入すること自体が国への支援でもあった。

 戦時中は出征する兵隊さんに故郷の風景やメッセージを入れた「錦」などの慰問タバコなんかも人気だった。でも、敗戦が近づくにつれて、生産量が下がり、煙草は配給制になっていった。


 軍用タバコは作る場所や配給される場所によって銘柄が違うので、恐らく南方に行っていた水木青年が当時吸っていたのはジャワ産の南方戦線用「赤道」じゃないかな。

 現在販売されてないので吸ってみることは不可能。いやあ、煙草なんてやめといた方がいいですよ。百害あって一理なしですからね……。



 ちなみにこの時代の煙草は両切りと言って、フィルターがないどちらからでも吸えるものだった。

 その分、煙草の葉が真ん中で詰まってしまうので吸う前に叩いて火をつける方に草を落とさなきゃいけない。汽車で水木が煙草をトントンやってたのはそのため。


 あと、フィルターがない分煙がダイレクトに喉に入るので、肺に入れずふかすだけの吸い方のひともいた。葉巻の吸い方も同じ。

 でも、水木は克典社長に葉巻を与えられたとき、思い切り吸い込んで噎せていたので普段からガッツリ肺に入れる吸い方なんだろう。ヘビースモーカーだね。


 その後、結局葉巻を捨てられずに持っていたのは、煙草と違って葉巻は一度火を消してもまたつければ吸えるから。高級ブランデーの味がわかったり、葉巻のことも理解していたので、母が一文なしになる前の水木は中流以上の階級だったんじゃないかな。これは完全に憶測です。



 そして、敗戦後、アメリカ産の煙草が日本に入ってくるとパッケージの豪華さに皆驚いたらしい。日本は資金がなくなり出してから煙草の箱の装飾に拘れなくなっていたから。

 そこで日本でもカッコいい煙草を作ってやろうぜと生まれたのがピース。


 敗戦から一年後、ゲ謎の舞台の十年前、昭和二十一年に公募で名称を募集してピースが生まれた。ちなみに公募で一位だったのはNew Worldなんだけど、作ってみたらデザインがダサくなるからPEACEが選ばれたそうだ。ライブ感……。


 パッケージもパリ出身で「口紅から機関車まで」と言われるほど幅広く手がけた有名デザイナー、レイモンド・ローウィに依頼して作られた。日本にデザイナーの概念が普及したのもここからだとか。


 デザインは当時海外では喪服の色として敬遠された紺を敢えて使い、戦時中は資金面の問題で使えなかった金をフレームにした戦後日本ならではのもの。上記の汽車の場面でもしっかり確認できる。


 敗戦から脱却し自由経済でいいものを作る願いが込められたピースは、戦争のトラウマを乗り越え鬼太郎の生きる未来を繋ぐ水木にピッタリの煙草として選ばれたのかもしれない。



 〜哭倉村の民俗学っぽい話〜



 こっちはマジで薄目で話半分で読んでください。


 哭倉村は結構いろんな宗教や信仰がごちゃ混ぜになっているように感じる。

 作中で悪役サイドとして描かれる分、敢えて地域を特定させない意図もあるんだろう。それとも龍賀製薬からの圧力かな……?


 タクシーの運転手の方言は関西っぽいんだけど、どうもこの村、細かいモチーフを見ていくと長野県じゃないかと思う。



 まず、作中でオマージュが多用されていた横溝正史原作の角川映画・犬神家の一族。そのロケ地は長野県だ。


 この辺はしっかりと確認しきれてないんだけど、水木が村を訪れたとき、山に白布が干してあって、家屋に掃き出し窓があったと思う。

 掃き出し窓というのは養蚕を行う家庭が、養蚕棚を置く二階の換気や掃除をするための窓のこと。信州は昭和初期まで蚕糸王国と呼ばれたほど養蚕が盛んだった。あの白布も取れた絹糸を干していたのかな。


 最も気になったのが長田の神社にあったのは禍々しい兎の串刺し。これは長野県にある諏訪神社の御頭祭で飾られるものだ。

 諏訪神社は狩猟神を祀っており、祭りで他ではあまり見ないような動物の生贄を行っていた。この辺は六車由美さんの神、人を喰うという本が詳しいです。


 でも、兎の串刺しは菅江真澄民俗図絵以外の文献記録が皆無で実在が不確かなの。敢えてそれを選ぶあたり哭倉村のごちゃ混ぜ新興宗教っぽさが伺えるし、制作側もあくまでフィクションですよというために選んだのかもしれない。


 ただ、諏訪神社は結構作中の描写としてキーになるところがあって。


 御頭祭では白兎の他、白鷺と鹿が生贄に良いとされているの。

 白鷺は道後温泉の白鷺伝説傷を治す温泉や、薬水をもたらす泉を見つける手助けをしてくれる神の使いとしての伝説が多く残されている。


 また、御頭祭では沢山の鹿の首を生贄に捧げるんだけど、最適とされる鹿は耳裂鹿だ。

 耳に傷があって裂けてる鹿のこと。神様の矛にかかった獲物として重要で、一説では七十個以上の首が捧げられる中、一頭は必ず耳裂鹿がいたらしい。

 このふたつ、ゲゲ郎と水木青年そのものじゃないかな。


 ゲゲ郎は総白髪で、幽霊族の血はとてつもない効果をもたらす薬剤になる。水木青年は玉砕を命じられて一度死神の手にかかったようなもので、戦地で耳に傷を負っている。

 白鷺と耳裂鹿として生贄として招かれたとするとピッタリハマる。でも、彼らの抵抗で生贄を捧げることはできず、結果、村は滅びたんだ。



 あと、これは最大級のネタバレなので気にならないひと以外鑑賞後に読んでね。


 時貞翁が時弥の身体を乗っ取ったときに言っていたマブイ移し。このマブイとは琉球地方、つまり沖縄で魂を意味する言葉だ。


 昔の沖縄では悲しいことがあって茫然自失になることをマブイが落ちたという。人間からマブイが抜けてしまうと悪霊が入り込んで破滅に向かわせてしまうので、マブイ込みという儀式で早急に戻さなきゃいけない。

 時弥も弱り果てたところ譫言で祖父に助けを求めた結果、その祖父に身体を乗っ取られてしまった。時貞が悪霊だったという訳だ。



 マブイ落ちは現代でいうとPTSDで精神が弱って鬱状態になったのを治さなきゃねという話になると思う。

 これは戦場のトラウマで悪夢にうなされていた水木も近い状態だったんじゃないか。


 そして、マブイ込みは呪文を唱えながら落ちた魂を胸のところで拾う動作をするというもの。

「ツケは払わなきゃなァ!」のとき、水木は時貞翁が胸に抱えている骸骨を斧で叩き割る。これはマブイ込みの逆で囚われていた幽霊族の魂を解放する行為だったんじゃないか。



 あと、全体的なモチーフとして本作は目に関わる描写が多い。

 殺害された者たちはほとんど左目を潰されているし、幽霊族の骨の塔も左目が貫かれ、ゲゲ郎は片目を隠して、水木は片目に傷を負っている。


 古来の神話には神の遣いとして隻眼の存在が出てくることが多い。

 柳田國男先生は生贄の逃亡を禁じるために片目を潰したのが神格とされた、鍛冶場で働くひとが火を見続けて片目の視力が落ちるのが儀式に纏わる刀のモチーフと重なったなど推測している。


 彼らは因習村の生贄でもあり、それを滅ぼす神の遣いでもあったんじゃないかな。



 どこまでも趣味の憶測なのでざっくりと楽しんでください。ヲタクの考察は片目で見るくらいがちょうどいいとゲゲ郎も言っていたはず……。

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