第76話 修学旅行 二日目そのいち

 二日目は午前七時に朝食となり、眠い眠いと言いながら、朝食バイキングで少ない朝食を取った。俺は朝はあまり食べない派なのだ。珈琲を飲んでいると、誰かが話しかけてきた。俺は最初誰だか分からなかった。



「おはよう、九郎九坂くん。今日はよろしくね」


「ん? ああ、よろしく」



 返事をして、やり取りしてようやく気づく。そうか、あれは多々良か。



 その日、いつもの輪に多々良がいた。バスで香取の隣で揺れながら現地につくと、ねぷた村で香取の隣りにいたのは多々良だった。仲良く何やら楽しそうに話をしている。それは良かった。俺はそう思って、土産物屋の一つで見つけた木刀を手にした。手にとって眺めてみる。そして独特のフォームで構えた。


「何してるんですか、先輩」 


「加藤豪将」


「何してるんですか」



 あれ、いま売出し中の最強の逆輸入ルーキーよ。知らない? 最初のこの独特の構えが既にピークで、そこから放たれる良いヒットとか、良いホームランが痺れるんだわ。今イチオシの選手。



「まあ、いいや。それより、お前ついてきたのな」


「ええ、仲良い子達に告白して失敗したのバレまして。なんか噂になってて。居た堪れなくなって、先輩のとこ来ちゃいました」


「ここにはその香取がいるんだけどな」


「今は違う彼女連れてますけどね」


「あれは、同じ部活の多々良という友人なんだ。俺も昨年から色々見ているが、あの二人には色恋の関係はないぞ。芽生えそうにもない。芽生えても良さそうだけどな、気配すらない」


「へえ、そうなんですね」


「今日は一日香取のお付きをやる予定だ。修学旅行では同じ班だからな。自由時間もこうして一緒にいる。そうすることで告白しようと企む、よこしまなことを考えるやからから彼を守るのさ。彼の安寧のために。彼の平穏のために」


「そうですか」


「おまえ、また告白してやろうとかそんな事を企んではいないだろうな?」


「流石にしないですよ。さすがの私でも、それくらいの場はわきまえています。空気は読みます。どちらかというと、先輩に会いに来たんですし」


「え? 俺に?」


「言ったじゃないですか。行くところなくて先輩のところに来たって」


「そうか、まあ、特に構ってはやれないが、好きにすると良い」


「はーい」



 その時、違うところから声が聞こえてきた。



「あっ、ふたみんなにそれー。買うのー?」


「いや、まだ迷い中」


「そんなの買ってどうするのよ」



 言われて俺は再び同じ構えをする。



「なに、それ?」


「加藤豪将」


「知らない」


「知らないね」


「おお! 再現度高いな、九郎九坂」



 ……大垣先生が釣れた。後ろからみんなの様子を見に来たのだろう。店の人も出てきて手を叩いている。なんか恥ずかしい。俺はようやく恥ずかしくなったので、木刀を購入した。



 ねぷた村ではメインの巨大な灯籠を見学して、次へ向かった。秋田に着く頃には昼を少し過ぎていた。ふるさと館で名物を鍋にして囲んで皆で食べた。



 秋田は湖を観光した。バスから降りて絶景ポイントでクラスの集合写真を撮った。そしてしばらくまわってから、ホテルに着いた。こうして二日目も終わった。そう思っていた。



 就寝前、俺は女子の部屋に呼ばれていた。本来ならば出入り厳禁の、禁断の場所である。俺は指定の部屋にこっそり向かっていると、大垣先生が途中で現れ、なんと誘導してくれた。先生まで加担するとは、いったい何事だ。なんか良くない気がしていた。引き返すなら今だった。しかし、大垣先生に背中を押されるままに俺は部屋をノックした。ノックも何も、不法侵入他ならないのだが、しかし、一応ノックした。はーい、と声がして、そしてドアが開いた。普通に入った。普通に、何とはなく、なんともなく。普通に入ってしまった。女子の部屋に。パタリと閉まると、カチャリと鍵をかけられた。俺は振り返る。その女の子はしーっ、と指を立てる。俺はまた部屋の中を振り向く。部屋は明るく、全然秘密という感じではなかった。部屋にはドアの女の子含めて四人居た。全員私服というか、パジャマ姿であった。そんな姿を、ジャージでもない姿を見せるなど、どういうつもりだろうか。俺はドアの女の子と、部屋の中の二人の女の子に関してそこまで面識がなかった。同じクラスの女の子。その程度の認識。そして一人だけ。たった一人だけ良く知っている女の子がいた。



 渡良瀬彩芽。



 彼女もいつもと違う、制服ではない、寝着、寝衣だろうか、いや、全員実は私服ではないだろうか。私服。夜だから寝着と間違えた。実はよく見ると私服なのだ。そして彼女だけは、一番いい服と言うか、気合の入ったワンピース姿の、そんな彼女は、なぜかいつもとは違うように思えた。



「ふたみくん、これを受け取ってください」



 二海くん? そう読んだか、今。彼女は今二海くんと、そう言ったのか。いつものふたみんではない、改まった呼び方。



 俺は差し出されたそれを、促されるように受け取った。彼女の手は少し震えていた。渡されたのは封筒。中にはおそらく手紙が入っている。



 俺はどうしたらいいか分からなかった。おそらく手紙の中身も、書いてあることも、大体は想像できた。だからこそ、彼女が俺に対してというのが理解できなかった。だから、これは俺に仕掛けられたドッキリか何かなのではないかと思った。きっとスマホで撮影しているのだ。俺はまた振り返ると、女の子ががっちりドアをガードしていた。残りの二人もどこかそわそわしていた。きゃっきゃっ、としていた。落ち着かないようだった。しかし、一番落ち着かないのは俺だった。どうする。どうする。どうしたら良い。ここまでお膳立てされて、先生まで巻き込んで、このタイミングを選んで。



 俺は意を決する。



「なあ、開けてもいいか。渡良瀬」


「はい。どうぞ」




 俺は正気ではなかった。だからそんな行動をしたのだ。俺は封を切るなんてことをしたのだ。まともじゃなかった。一番気が気でなかった。だって、修学旅行の夜に、女の子の部屋にお忍びで呼ばれて、告白のラブレターを渡される。しかもそれはよく知った女の子。これが正気でいられようがあろうか、いや、無理だった。気が狂いそうで仕方ないのを必死に抑えていた。それでとりあえず、どうしょうもなくなって手紙を開いた。本来なら持ち帰るべきだろうものを。たくさんの人数が、人目がいるその場所で開けるべきではなかったのに。



 二つ折りの手紙。それは中々長文だった。様々なことが書いてあった。これまでの経緯、気持ちの変遷、どこが良いのか、気になったのか、そしてつまりはどういうことなのか。好きです、付き合ってくださいと、そこに書かれていたことは事実であり、間違いではない。



「みんなには秘密にしてね、ふたみん」



 渡良瀬は人差し指を立てて、口に当ててしーっと言った。



 俺は、俺は駄目だった。全然駄目だった。こういう時の理想的な対応がきっとあるのだろうと思ったけど、俺は駄目であった。全然、駄目だった。



「返事は、考えてもいいか。いや、すまない、考えさせてくれ」


「しょうがないな、少しだけだよ」


「ああ、わかった」




 女子の部屋から出ると大垣先生がいた。この人には全てお見通しなんだろうなと、そう思った。



「少し話すか」


「今そんな気分じゃないんですが」


「女子の部屋に行っていたなんてバレたら、最悪一ヶ月の停学だぞ。先生に呼ばれていたことにしておけ」


「わかりました。ありがとうございます」



 俺はそう言って、大垣先生に付いていった。



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