第61話 本当の幸せ

「おや、こいつは大したもんですぜ。こいつはもう、ほんとうの天上へさえ行ける切符だ。天上どこじゃない、どこでも勝手にあるける通行券です。こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想げんそう第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈はずでさあ、あなた方大したもんですね」


「何だかわかりません」


 ジョバンニは赤くなって答えながら、それをまた畳んでかくし入れました。



 …………




「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸さいわいのためならば僕のからだなんか百ぺん灼やいてもかまわない」


「うん。僕だってそうだ」



 カムパネルラの眼にはきれいな涙なみだがうかんでいました。



「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう」



 ジョバンニが云いました。



 …………



「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」



 ジョバンニのセリフを受けて、俺は考える。九郎九坂二海は考える。



 本当の幸い。本当の幸せ。それは本当になんだろうか。幸せとは何かを考える。ジョバンニは走馬灯のような、夢のような体験をしていたのだ。現実では友人のカンパネルラが人を助けるために川に入って、そして亡くなってしまう悲劇を、銀河鉄道に乗って天上、つまり天国へ行く列車に乗り、送り届ける、見送る夢を見ていたのだ。



 本当のさいわいとは、本当の幸せとは、他人のために生きることではないか。そう言いたいのではないかと、否が応にも読み取れる。知り合いのために川へ身を投げる自己犠牲、他人のために自分を犠牲にできる精神、行為。それこそが、自分の幸せにつながるのではないかと、そう云うのではないかと俺はセリフを言いながら考えた。俺は再婚した母と、その連れ子である義妹いもうとに救われた過去がある。そして俺はその家族に恩を返さなければいけないと、返して生きていきたいと、そう思っている。それが他人のために生きることだというのならば、自分の幸せになるのだというのならば、そうするべきだ、そうしていこうと決意を新たにするのだ。



 学祭前日、リハーサルの会場に俺は居た。セリフ自体はすんなり覚えられた。何度か読み返したことのある書籍だ。なんとなくセリフも、ストーリーもわかっっている。演じるは主人公のジョバンニ。いじめられていると言うか、からかわれているというか、孤立しがちで、孤独な少年ジョバンニ。いつもひとりぼっちだけど、俺と違う点は友人がいることだ。親友がいる。幼馴染の親友。いつも気に掛けてくれている少年が、孤独な彼には優しい彼ーー原作では少年、男の子ーーが居る。しかし、俺に友人はいない。気にかけてくれる、いつも気にしてくれる友人はいない。そんな幼馴染はいない。



 それを俺は羨ましいと思うだろうか。



 それは分からなかった。居てもいいかなと思う一方で、一人で生きていく俺としては必要ないとも思えたからだ。友人、友達とはなんだろう。気兼ねなく話せる存在? 心の底を言い合える存在? そんな事に意味はあるのだろうか。たとえそんな存在があったとして、話をする意味はあるのだろうか。真に分かりあえているのは、それこそジョバンニとカンパネルラの間からのように、何も言わなくても分かり合える関係のことではないだろうか。話せば分かるなんてのは、嘘だ。言葉は話した瞬間に全て脚色されて違う言葉になってしまうからだ。心の言葉と、発言の言葉は違っている。だから言わないと分からない、話さないと分からないのはそうかもしれないけど、だからといって言葉にすれば伝わる、分かるってのも嘘である。戯言だ。



 まあ、そんな言葉すら愚言に過ぎないんだろうけど。



 俺はそう思いながら、舞台の照明が落ちるのを見ていた。

 

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