学校祭・三年生編
第58話 陳述書
それは何でもない昼休みの日であった。心地いいくらいの日差しと、暖かさとを少し感じる陽気を受けながら俺はひとり読書をしていた。無論、愛用となったブックカバーをつけて。外からは何を読んでいるかは分からない。秘密の時間である。
言葉を拾い、文章を読み、行間をなぞる。オリオンをなぞるかのように、目でなぞっていく。一つ一つの言葉が情景を想起させ、妄想させ、想像させてひとりだけの世界に、自分だけの世界に誘われていく。物語の世界へと
「九郎九坂くん、今日の放課後いいかしら」
恋瀬川だった。恋瀬川とは同じクラスなので、何かあった時、たとえば生徒会としての話があった時、こうして直接話しかけられるようになっていた。前は、つまり去年のことだが、昨年は渡良瀬だけがクラスメイトだったから、渡良瀬を介して話しかけられることが多かった。今は同じクラスなので、直接話し掛けられている。何か違和感というか、こそばゆい感じがする。気のせいに過ぎないんだろうけど。
「いいよ、今日は委員会の仕事がないからな。放課後は空いている」
「そう。なら、良かった」
彼女はそれだけを言うと去った。自分の席へと戻って行った。見やると、彼女もひとりだった。ひとりきりだった。何やらノートを見ているように見えた。そう思ったのだが、すぐに渡良瀬が話し掛けていた。彼女は笑って話していた。恋瀬川の笑う姿など、あまり見たことがないなと思った。そう思って、俺は自分の読書へすぐに視線を戻した。あの二人からの言葉を思い出したからではない。決してそうではない。
しばらくやきもきしそうなのは、どうしようもないかもしれなかった。早く忘れてしまえればいいのに。そう願って、再び文字列をなぞり始めた。
※ ※ ※
「陳述書?」
「ええ、生徒会にそんなモノが届いたの。まだ、誰にも相談していない。あなたが最初よ」
「なんで。大垣先生にとか、話さなかったのか。あの人顧問だろ」
「大垣先生ほ、あれでもお忙しいのよ。内々に解決できることは、解決しておきたいじゃない。それにそれは生徒会に、というより生徒会長に宛てられたモノみたいだから」
「まあ、そうみたいだな」
陳述書。訴訟において本人やその訴訟で扱う事情を知る人が、自分の知っていることを書き記した書類のこと。訴える相手は生徒会長と書かれている。訴えはまだ起こしていなくて、この陳述書の対応次第で決めるとある。訴訟主はとある一年生としか、書かれていない。しかし、これはもう、陳述書というより、訴状に近い。訴えと言うより脅しに聞こえるのは、まだ事を起こしていない、訴えを起こしていないという点だ。貴様の対応次第では、ことを荒らげ兼ねないぞと言うわけだ。厄介な奴が居たものである。
「渡良瀬は読んだのか」
「うん。りうりーに見せてもらった。私はよくわかんないから、ふたみんならわかるかも? って言った」
なるほど。俺に回ってきたのは渡良瀬の提言だったわけか。しかし、これは。
「これは解決云々、問題解消どうこうをすぐにできるわけじゃないぞ」
「やっぱり、あなたでもそうなのね」
「まあ、だってな」
『陳述書』とタイトルを打った文章にはこう書かれていた。
自分のクラスでいじめが横行しています。この状況を見過ごしている担任と、生徒会若しくは生徒会長は事態を重く受け止め、改善すべきです。もしもそれができないというのなら、それは自分もいじめの加害者であった事実を認めることになるのでしょうね。
しかし、これに対して当事者ではない俺には、どこからどこまでが事実で、どれが本当のことなのか、偽りなのかが分からなかった。
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