第26話 頼み事、そして当日



 その日の放課後。自転車置き場。



 彼はそこにいた。



 香取香平だった。



「やあ、九郎九坂くん。今帰りかい?」


「ああ、そうだ。今日は委員会の仕事が休みだったんでな」


「そうか。なら、少し相談に乗ってくれないかい」



 彼はガラナを片手で差し出しながら、俺にそれを求めてきた。相談。また相談か。



 俺は自転車から離れ、校舎にもたれ掛かるようにして、ペットボトルの栓を開いた。一口飲んで、言葉を紡ぐ。



「香取が俺に相談だなんて、らしくないこともあるもんだな。なんだ、恋愛相談でもするつもりか?」


「……さすがだな。なんだ、君の耳にも入ったのか」



 本当に恋愛相談なのか。それはそれは。とても驚いた。



「噂は知らないけど、まあ、聞くだけなら聞くよ」


「実はここ最近、色々と女子に誘われることが多くてね。それはもちろん今度の研修のこと。自由時間に一緒に回ろうって、誘われるのさ」


「ふーん、なんだモテ自慢かよ」



 先を越されていたか。荻野のために呼び出してやろうかと思ったが、みんな考えることは同じか。くそう、どうするかな。



「まあ、そう言うなって。もちろん、求められることは素直に嬉しい。好意も、ありがたいと思うよ。でも、僕はもう昔みたいなことは起こしたくないんだ」


「昔?」


「小学生のときさ。恋瀬川さんも、たしか渡良瀬さんも知っていると思う。同じクラスだったからね。詳しくは話したくないから言わないけど、振った振られた誰がどの人と。そういうことさ。だから、もう、人間関係のもつれは、あまり起こしたくないんだ」



 彼は乾いた笑みでそう言った。俺は無言で続きを促す。



「今の人間関係は、とても良好なんだよ。部活のメンバーも尊敬し合える存在だし、クラスの友人もとてもいいやつばかりなんだ。それはすごく、助かってるというか、ありがたいことだと思っている。できればこのままを維持したい。でも、二年生の後半になったからかな。女子の一部が、その好意を示すようになって。今度の研修、夜景も見に行くだろ。きっとその時もあるんじゃないかって思うんだ」


「自惚れてるだけじゃないのか?」


「そうかもしれない。君の言う通り、自惚れているだけかもしれない。でも、そうじゃないかもしれないだろ」



 香取は夜景で告白されること、その行為自体を避けたいのだ。誰かが表でそのような行為をすれば、たとえ告白を断ったとしても裏での人間関係が酷いことになるのではないか。壊れてしまうのではないか。それを恐れている。今の良好に思える人間関係を維持したい。彼はそう言った。一方、渡良瀬は荻野の香取への片思いを応援したいと言った。おねがいできるか、と。そう、俺に言った。そして俺は思い出す。片思いはもう一組あったことを。



「俺に頼むと、すべての結果を叶えられるとそう思っているのか」


「ああ、恋瀬川から君のことを、少し聞いた。夏休みの時にだよ」



 また恋瀬川か。あいつの中での俺の株はなんでこうも高いんだ?



 俺はガラナを一気に飲む。半分ぐらいまで飲んだ。そして口を開く。



「香取、俺の手段は最悪かもしれないぞ」


「そうだな、君は言葉が少し悪いところがあるからな」


「お前の最善にはならないかもしれないけど、いいか」


「方法はない、とは言わないんだね。それだけで十分だよ。お願いします、僕を助けてください」


「わかった。善処しよう。……なあ、香取。ついでに、多々良とは仲がいいか?」


「え? まあ、同じ部活だし、そこそこは。部活で男女の違いはあるけど、話はするよ」


「そうか、それは良かった。じゃあな、作戦の詳細が決まったらまた連絡する」



 俺はガラナありがとう、と礼を言って自転車へと向かって行った。








 ※ ※ ※










 宿泊研修当日。



 函館までは電車で向かう。市内と函館までを結ぶ鉄道に、振り子特急、スーパー北斗という愛称で親しまれた鉄道があった。今は現役引退したが、子供の頃乗った記憶がある。カーブの時とかに減速しなければいけないのを、速度を維持しつつ走れる車両だ。振り子の要領で重心移動するんだな。確か。



 今日乗るのは特急である。北斗というなまえは継承されているらしい。新幹線延伸で在来線がどうなるとか、どうもならないとか聞いたが結局どうなるんだろな。いざ、使うときになると困るよね。



 特急は指定席で、予め決められた班ごとに座った。荻野と渡良瀬が隣同士。通路を挟んで先の席に俺はひとり。二人席ではあるが、ひとり。窓側を遠慮なく占領できる。やっぱりひとりって最高だな。すごくいい。



 トンネルに入った。景色を見ていることしかやることのなかった俺は、したがって真っ黒な景色を見続けることになった。光が反射して自分の顔が映る。見たくもない顔だ。しかたなく、俺は下を向き、前の座席の後ろ側を見て、それからそれとなく隣を見た。隣では、通路を挟んで向こう側だが、向こう側では渡良瀬がお菓子を食べていた。スティックタイプのスナック菓子だ。そういえば、俺も適当な菓子を持ってきていたのだというのを思い出した。チョコレート菓子でも食べようかと思ったその時、向こう側から何やら伸びてきた。お菓子である。どうやら渡良瀬が気を利かせて俺に一本恵んでくれるのだという。俺は渡良瀬の顔を見て、その意図を確認し、逡巡してから手を伸ばして、その手で受け取った。……ありがとう。聞こえるか、聞こえないか程度の声でお礼を言った。相手に伝わったかどうかは、分からなかったけど。表情から見るに、口の動きで伝わったかかもしれなかった。俺は少し恥ずかしくなって、真っ暗な車窓に視線を戻した。そんなの、まるで友達みたいじゃないかと、勘違いしそうになったからである。


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