無人島で読むとしたら

沢木耕太郎『ポーカー・フェース』を読んでいたら、古典的な問いである「無人島に持っていくとしたらどんな本を選ぶか」について1編のエッセイが記されているのに気づいた。沢木のそのエッセイでは話が思わぬ方向に転がっていくので実に面白いのだけれど、さてぼく自身が「無人島に持っていくとしたら」という前提で本を選ぶとなるとこれは厄介だなとも思ってしまう。というのは、「無人島」のシチュエーションがわからないとどんな本が似合うのかわからないからだ。いわゆるリゾート地からはどれほど離れているのか、そこはモバイル機器が使えるのか、食事は自前で用意しないといけないのか、などなど。いや、こんなことが気になるぼくはやはりバリバリの発達障害のひねくれ者なんだなと我ながら呆れるのだけれど、それでもただ「無人島」という条件があてがわれただけでは自分のコレクションの中から選べずに往生してしまう、というのが正直なところなのだった。


とはいえ何も選ばないというのも無粋なので悩むのだけれど、ここは「無人島」なのだから日本の現実を忘れさせてくれる壮大な本がいいのかなとも思う。そうなると……と思ってぼくはふと「まだ読んだことがないけれど沢木の『深夜特急』か、もしくは読んだことがある本限定なら管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』なんかいいかもしれないな」と思った。どちらも旅をする人が書いた本(必ずしも「旅行記」とは言えないかもしれないのでこんな書き方をするけれど)ということもあって、ぼく自身も旅をしているような気にさせてくれるのではないかとみみっちいことを考えてしまう。ぼくは実は計画を立てられないがゆえに旅行はしないのだけれど(ホテルや交通手段の予約・調査が煩雑に感じられてできないのだ)、沢木も菅もその想像力の広さや発想の自由さに触れているとこれが旅をする功徳なのだろうかとも思えてくる。いや、これは単純な決めつけではあるとも思うのだけれど。


でも、そう考えていくと「無人島に本なんて必要なのだろうか」とも思えてくる。普段本ばかり読んで過ごす怠け者のぼくがこんなことを言うと鼻で笑われそうだけれど、せっかくの「無人島」なのだから本よりもまずはそのシチュエーションを堪能したいとも思う。どんな自然に恵まれていてどんな魚が泳いでいるのか(ぼくの場合はこれに関しては「見る」より「食べる」が先に来るのだけれど)。どんな季節の風が吹き日が照るのか……そんな島が持つ豊満な細部を味わいたいとも思う。これは決してひねくれ者の戯言ではないと信じたい。自慢に聞こえたら恥ずかしいけど、これまでそれなりに本を読んできて学んだことというのは「どの本からでも何かを学べる」ということだった。それと同じことが「無人島」暮らしにも言えるのではないかとも思う。ならばそうした「無人島」で盆栽でもしてみるとか、そんな暮らしも理想的かもしれない。日々盆栽をいじりつつ、骨休めに読むのが岸本佐知子のエッセイなんて暮らしもいいかもしれない。


そう考えてみれば、この問いは「無人島」でやることがはっきりしている人向けの質問ではないかなとも思う。日々自分がしたいことを定められる強い意志の持ち主、と言ってもいいのかなと。ぼくは結局のところ環境に翻弄されやすい極めて意志の弱い人間なので(だから断酒会に通って断酒し続けているのだった)、多分島に行ったら「この環境で何ができるだろう」と出たとこ勝負で考えてあれこれ試行錯誤すると思う。それは別の言い方をすれば島の環境がわからないと読む本ひとつ決められないということで、情けないがそれがぼくの性なのだからしょうがない……何のオチもない話になってしまった。と、ここまで考えてならばこのアイデアを頂戴した沢木の『ポーカー・フェース』を「無人島」で読み返すのもいいかなとも思った。きっと楽しめると思う。沢木のエッセイを頼りに自分でもいろいろなことを考える。その環境として邪魔の入らない「無人島」は適切な場所なのか、それともまったく居心地の悪いところなのだろうか。

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