持続する志
1冊の本ができあがるまでに要する平均時間というのはどれくらいなのだろう? 世の中には実にさまざまな本がある。ロック・ミュージックにおける「一発録り」よろしく短期間でノリに任せて作られる本もあるだろうし、逆にガウディの建築のように長時間じっくり練り込まれた本というものも存在しうる。もちろんどっちが単純によろしいかという問題に還元するのは乱暴なのだけれど、ぼくの本棚を見てみると意外と前者の方法論で作られた本というものはあっさり消えていく運命にあるらしく、結局残っているのは小西康陽が長年書き溜めたコラム集であったりあるいはマルセル・プルーストが生涯をかけて書き記した『失われた時を求めて』だったりする。『ノルウェイの森』の永沢よろしく「時の洗礼」に耐えて残ったものこそがすばらしい……と危うく書いてしまいそうになった。それこそ「時の洗礼」によって忘れられてあとになって思い出される名作だって山ほどあるのだから、ぼくは常に「今」を生きて読書しないといけない。
ところでぼくははてなブログを運営していて、そのはてなで日記を書き続けているのだけどそれがついに600日を迎えた。驚かれるかもしれないけれど、ぼくこそ実はこの結果に驚いている。だって、ぼくはほんとうに日記もブログもこれまで「三日坊主」が常だったのだ。5年日記を試そうとして毎年挫折して白紙ばかりの日記帳を腐らせてしまってきた。嘘ではない。そんなぼくがなぜ600日も続けられたのか、それはぼく自身こそが謎に思っている。でも、ひとつの可能性としてはこうして悠々と流れる時間というやつにぼく自身が身を預けて、時間を信頼することができるようになったからかもしれないと思う。時間が経てばあらゆるものは遠くに移りゆく(時間というやつを物理的距離と同列に置くのは問題かもしれないけれど)。そうすれば、過去の失敗や赤っ恥も笑って受け容れられるようになる。そんな風にして時間とそれなりにうまく付き合えるようになった、と言えるかもしれない。いやもちろん今でも「時間の使い方がヘタクソだな」と反省することもあるけれど。
ぼくの本棚には十河進というコラムニストが書いた『映画がなければ生きていけない』というコラム・シリーズの単行本が全6巻存在する。これは十河さんが毎週メールマガジンに連載したコラムをまとめたもので、1つの巻に3年分のコラムが貯まっている。十河さんはつまり、単純に考えて20年近くじっくりコラムを書き続けてきたと計算できる。嘘ではない。ぼくはリアルタイムで読んだわけではないので休載もあったかもしれないけれど、それでも毎週、大江健三郎の言葉を借りれば「持続する志」を以て書き続けてこられたわけだ。そう考えるとぼくの600日というのはまだまだヒヨッコだ。しかも凄いのはそこまで長期連載でコラムを書き続けられたとしても(途中からは確か十河さん自身のブログに移行されて、その後も毎週書かれたと記憶するが)質を落とさなかったということだ。少なくともぼくはこれらの6巻を飽きずに読み通せる。現に3周ほどしてしまったけれど、なお面白く読むことができる。
それを思えば「時の流れというのはおろそかにできないものだな」と思わせられる。時間を信頼し、時の流れと共に成長する自分あるいは変化する自分を受け容れ、あまつさえその変化が生み出す不確定要素をも楽しむこと。それこそが「持続する志」を保つコツなのかもしれない。十河さんのコラムについてはまた別の機会に書くかもしれないけれど、このぼくのコラムにしても毎日更新はどう逆立ちしても無理なので毎週水曜日を目処に更新できればと思って始めてみた。人間、いつ死ぬかわからない。人生は短い、と賢者たちは時に語る。だが、その人生をいざ「持続する志」を以て大事に生きてみると人生は思ったよりもずっと長く、そしてずっと豊かなものであることに気付かされる。そうした「時の洗礼」の持ち味というものををぼくは48になって、つまり老い先短い身となってようやくわかってきたと言えるのかな、と思う。そう言えば十河さんがこのコラムを始めたのは今のぼくと同じ40代の終わりごろだというから、ぼくはもしかするとギリギリ間に合ったのかもしれない?
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