水曜日の本

踊る猫

少年老い易く学成り難し

今日、ぼくは池澤夏樹『海図と航海日誌』という本を読んだ。この本は新刊書ではなく1995年に初版が出たとある。ぼくはこの本を折に触れて読んできたのだけれど(買って持ってさえいたかもしれないがどこかへ行ってしまった。なので今回は図書館で借り直した)。今回の読書も実に興味深いものとなった。池澤夏樹と言えばぼくは今、彼が書いた『マシアス・ギリの失脚』という長大な小説を読んでいるところだ。これも昔に書かれたものなのだけど、今読み返しても充分に面白い。ラテンアメリカ文学の壮大さと東南アジアの「もののあわれ」の美学が融合したところにある、幻想的で同時に極めて痛快なエンターテイメントとして読めると思う。ともあれ、最近はそんな風に池澤夏樹を読み返しながらこれからどうしようか考えている。読書にしても人生にしても、これから後半戦に入ってしまった過程をどう過ごすかについてだ。華麗に老いていくべきか、それとももうひと花咲かせるべく頑張るか。


ここでぼくの読書遍歴を振り返ってみる。読書家の方の家庭が往々にしてそうであるように、ぼくの家も『世界文学全集』や『日本文学全集』といったものがある家だった。だが、実を言うとぼくはそれらをめくった記憶がまったくない。ぼくが子どもの頃最初に夢中になったのは、なぜだかわからないけれど「駒(コマ)」がグルグル回るその原理を解説した本だった。波長が合ったのかどうなのかわからないが、その本を何度も貪るように読み返したことは記憶の中にある。その後中学生になり、そんなに意識的に読書というものをしたことがなかったぼくが初めて出会った「寝食を忘れた本」がスティーブン・キング『スタンド・バイ・ミー』だった。これは姉が持っていたものを読ませてもらってハマったのだろうと思う。映画になってヒットしたというのも要因として大きかったのかもしれない。キングは言うまでもなく熟達したストーリーテラーなので、その技術を思う存分満喫することができた。


高校生になり、さっきと似たような話になるけれどぼくはたまたま部活で一緒になったクラスメイトが読んでいた村上春樹『1973年のピンボール』を読ませてもらった。それで惹かれるものを感じたので、文庫になった『ノルウェイの森』を読んだ。これもぼくを虜にした。通して10回は読み耽ったのではないかと思う。いや、もっと有意義な時間の使い方があるだろうと今となっては思わなくもないけれど、若い頃というのはそうして闇雲に何かにハマる時間も必要なのかもしれないとも思う。それで村上春樹を読み漁るようになり、そこから島田雅彦(彼は春樹をボロクソに貶しているのだけれど)を読んだり金井美恵子を読んだりするようになった。要するに日本の現代文学全般に興味を持つようになった、というわけだ。池澤夏樹もその流れでいくつか読んだかもしれない(が、『マシアス・ギリの失脚』を初めて読んだのは大学に入ってからだ)。


大学に入り、英文学を学び始めてその流れで柴田元幸を知るようになる。そして彼が訳したポール・オースターやスティーヴン・ミルハウザー、スティーヴ・エリクソンといった作家たちを読み始めるようになった。ぼく自身柴田元幸のような翻訳家に憧れていた時期すらあったのだけれど、結局どうやったらなれるのかわからないまま大学を出て就職することになった。その後はブランクがある。端的に言えば、酒に溺れたのだ。酔っ払ってしまえば読書どころではなくなるのでいつも二日酔いと罪悪感に悩みながら、それでも毎日呑んだくれる日々を過ごしていた。だから40歳になって一念発起して断酒した頃からぼくの新しい読書生活は始まる。虚心に古井由吉や大江健三郎といった作家たちの本を読むようになり、ドストエフスキーやカフカといった古典も目を通すようになった。とはいえ、未読の山はもちろんまだまだたくさんある。「日暮れて道遠し」という言葉が身に沁みる48歳を迎えている。こんなところでどうだろうか。

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