怪物の目覚め
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──怪物の目覚め
最初に起きたのはティゲリアム王国で起きたクーデターだった。
冬の終わりに近づいた日、第2王子ゲオルグが政治の腐敗から国王親政を望む陸軍青年将校や将軍たちと企んだクーデターが勃発した。
クーデタ―軍は瞬く間に王都一帯を制圧し、王国宰相オットー・フォン・ハルデンベルグ伯爵を含めた内閣の閣僚と王国議会の民主派議員たちを逆賊として殺害。
クーデターの首魁たるゲオルグは父であるフリードリヒ9世すらもその手にかけ、唯一反乱軍の手から逃れた王太子アウグストを追っていた。
陸軍の近衛装甲師団所属の戦車が通りを封鎖し、同師団所属の騎兵たちが夜間外出禁止令が発令された王都を巡回するのに、ゲオルグ率いるクーデター軍は1個大隊の機械化歩兵を追手に繰り出していた。
「分かっていたことだ」
王太子アウグストはかつては最高大司祭として王都の宗教的守護を任されていたブルーティヒラント公の屋敷に匿われていた。辛うじて彼が逃げ出すことができたのは忠誠を誓った憲兵たちが自らの命を賭して、時間を稼いだが故。
「弟はバーマースティア帝国の第3皇女を妻として迎えてから、見るからに帝国寄りになっていた。帝国の皇帝親政の政治を羨み、王国の民主主義を憎んだ。汚職事件が重なったこともあるが、こうなるのは時間の問題だったのだ」
「殿下、お水をお持ちしました」
「ありがとう、マリー嬢」
白い髪の少女──ブルーティヒラント公カールの長女であるマリーが疲れ切った様子のアウグストにグラスを差し出す。
「カール公。これは始まりだ。始まりに過ぎない。次は帝国への支援要となるだろう。帝国のいつもの手だ。自分たちの傀儡政権を樹立し、その政権の軍事支援要請と称して軍を送る。これはクーデターではない。帝国による侵略だ」
「殿下。ホルティエン共和国に亡命なさってください。大使館まで送り届けます。大使とは友好関係にあります。亡命を受け入れてくれるはずです」
「問題の解決にはならない。この国は侵略を受けているのだ。亡命してどうする? 帝国が我らが祖国を我が物顔で征服するのを共和国で新聞ででも知れと言うのか? 今は正統な政権を早期に樹立して、正統性を示さなければ」
「ですが、殿下だけでは」
「民主派議員の中でクーデターから逃れたものに組閣を命じる。父上は殺された。ティゲリアム王国王室王位継承法に則り、私が国王だ。義務を果たさなければ」
カールが懸念を示すのにアウグストが立ち上がる。
「分かりました。私も至らずながら助力いたします。まずは王都を脱出しなければなりません。使用人が見てきたところ、通りには陸軍が展開しています。国家憲兵隊と内務省警備部は制圧された模様です」
「ああ。こうなると王都は牢獄だ。城壁はまるで何かを閉じ込めようとしたように作られている。どうしたものか……」
父カールと王太子アウグストが不安そうに語り合うのを見てマリーはとても怖くなってきた。子供であるマリーの下に急に獰猛な獣が現れたかのような。
「だ、旦那様! 陸軍が、陸軍の部隊が表に!」
「なんたることだ。感づかれたか。殿下、まずはお着換えください。その格好は目立ちます。使用人の格好をして、車で脱出しましょう」
老齢の使用人が慌てて叫ぶのにカールがアウグストを案内する。
「ここを開けろ! ブルーティヒラント公カール! お前には国家反逆罪の容疑がかかっている! 大人しく従え!」
陸軍の将校が叫ぶのがマリーの元まで聞こえて来た。
「お父様! 逃げましょう!」
「ダメだ、マリー。殿下を逃がさなければ。この国が終わってしまう。お前は東の塔に逃げなさい。そこに隠れているのだ。東の塔だよ。西の塔に行ってはならない」
「しかし」
「行くんだ」
マリーは父カールが使用人たちとともに屋敷の玄関に向かうのを見た。
兵士たちによって玄関の扉が叩き破られ、半自動ライフルで武装した兵士たちが押し入ってくる。その前に堂々たるたたずまいでカールは立っていた。
「ブルーティヒラント公カール。国家非常事態評議会はお前をホルティエン共和国への内通と共和国による政治介入、そして共和国によって引き起こされた逆賊アウグストによる国王フリードリヒ9世陛下殺害幇助の容疑としている」
「何を言うか、ただの陸軍大尉風情が。すぐに帰れ。何か用事があるのであれば正式な政府からのもののみを受け付ける。さあ! 失せろ、逆賊ども!」
「中隊、構え!」
陸軍大尉の命令で兵士たちがライフルの銃口をカールたちに向ける。
「銃剣から王座が生まれようと、そのような王座には長くは座っていられない。いずれ僭称者は民衆によって打ち倒され、その首は城門に掲げられるだろう。撃ちたいならば撃つがいい。お前たちの運命は決まっている」
「なにをほざくか! 中隊、撃て!」
銃声が闇を引き裂いて鳴り響いた。
マリーは物陰からそれ見ていた。
父カールを銃弾が貫き、大柄で、頼りになる父の身体が血の海の中に崩れ落ちるのを。母ハイデマリーを早くに失くし、唯一の肉親であった父が死ぬのを。
「屋敷の中を探せ! 逆賊アウグストを探し出すんだ!」
「了解」
怯んでしまって動けなかった。マリーは物陰でただ震えていた。
「誰かいるぞ!」
「撃て、撃て!」
銃声がまた響き、マリーは額に厚いものを感じた。
初めての流血に興奮した兵士たちが思わず引き金を引いて放たれた銃弾がマリーの額を掠め、浅く裂いたのだ。
「あ、ああ。ああ! うわああ!」
そして、流血を前にマリーもパニックに陥った。
「逃げたぞ! 追え!」
「誰が発砲した!? 発砲は許可するまで行うな! 曹長、兵士たちを纏めろ! 通信兵、大隊本部に連絡しろ! 通信内容は──」
兵士たちが軍靴を響かせて迫るのにマリーは逃げ出した。
東の塔。東の塔。東の塔。そこには頑丈な金属聖の扉があって、マリーはそのカギの位置を知ってる。そこに逃げれば、逃げれば。
「いたか!? まずは撃つ前に確認しろ! いいな!」
「探せ! 探し出して殺せ!」
下士官が兵士たちを落ちかせようとするが、兵士たちも半ば混乱状態で自分たちを襲うかもしれない敵を恐れていた。
そんなものは“まだ”ここにはいなかったというのに。
「東、東、東の塔。あっ!?」
東の塔に通じる廊下には既に侵入したクーデター軍の兵士がいて、東の塔を調べようとしてるところだった。
逃げる場所がなくなり、マリーは死の気配を濃く感じていた。
そこで思わず西の塔へと逃げた。
この屋敷に大昔からある西の塔には決して入ってはいけないと祖母から、母から、父から言われていた。西の塔の扉を開ければおぞましく、とても恐ろしいことが起きると。
だが、マリーはただ生存本能から西の塔を目指してしまう。
西の塔に繋がる古い廊下を駆け抜け、扉に手をかける。
鍵で閉ざされ、開くことのないはずの扉がマリーの額の血が滴ったとき、とても重い金属音を立ててマリーを迎え入れるように開いた。
「あ……」
そして、マリーは見た。
玉座のような豪華な作りだが、古く朽ちた椅子に座っている自分と瓜二つの少女を。その少女は眠っているかのようにその目は閉ざされている。
「血の臭い」
その少女の唇が動き、短い言葉が吐き出される。
「血と汗。興奮した人間の臭いだ。胸躍る戦いか? あるいはそれからの惨めな逃走か? 混乱しているなあ。まだ新兵に違いない。初々しい反応だ。やがてそれは失われ、岩のように動じない兵士になる。運がよければ、な」
軍服の少女が目を開き、愉快そうに語っているのを見てマリーは悟った。
「運が悪い。とても運が悪い。なぜならば全て私が殺すからだ。私が唯一生きる戦場において。醜い戦争において。新兵も、古参兵も、将軍もあらゆるものを私は殺して来た。これまで、そしてこれからも」
この少女が『城壁の中の怪物』だと。
自分たちの始祖であり、巨悪の魔女初代ブルーティヒラント女公セラフィーネだと。
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