第四章 帰還
4-①
1400年頃、ロレットは初めてディオと出会った。
「良いか、ロレット。お前はこの人間の子供と友達になりなさい」
妖精城で多忙な父に呼び出されたロレットは、開口一番にそう告げられた。二人は客間の扉の前に立っている。
ロレットは十歳に満たないが、当時から他の妖精よりも頭の回転が早く、魔術の腕も頭角を現していた。だから、世界の歴史や、当然、人間という種族の知識はあった。
「何故ですか? いいえ、そもそも。人間は、別の世界で暮らしているのでは……」
「妖精が我々の目を盗み、時折人間界への路を開いているのは知っているだろう」
ロレットは苦渋の色を浮かべた父と同じように眉を寄せた。
別の世界から人間を連れてきて、高値で取引をする。確か、父はそれに反対し、取り締まりを強化している筈だ。けれど父の口ぶりから、なかなか上手くいかないらしい。
(城内に、たぶん、手引きしている妖精が居るんだ……)
そうロレットも察しながら、怪しい妖精や証拠が分からない以上、思うように動けない。
「彼はその“取りこぼし”だ。移送中に事故があったらしく、ロランが暮らす街のとある一軒家で秘密裏に保護されていた。元の世界に戻してあげたいが、話を聞くと三年もこちらの世界にいるらしくてな」
「早々に連絡を入れれば良かったのに」
「……それだけ、今の妖精城の兵たちは民にとって信用ならん、ということだ。嘆かわしいがな」
苦々し気に父は言う。安定した暮らしで心に余裕が出てくると、妖精達の中には、別の世界――今や人間界と呼ぶにふさわしい、元いた世界を取り戻したいという気持ちが強まってきた。追い出される要因となった人間を憎む者も居る。自分たちは虐げられたのだから、同じことをしても良いと。それが人間界から人間を誘拐する発端だ。
民の多くは平穏を望んでいる。その攫われた子供を保護したのも、そういった火種になりうる可能性を潰したかったからだろう。
「人間がこの世界で生きていくのは難しい。最初は、ロランの元で保護させようかと考えていたのだが」
ロレットの弟ロランや母もまた、城を中心に渦巻く不穏な影から逃れる為、城を離れていた。ロレットはロランや母ともうずいぶん長いこと会っていない。王位継承の関係で、王になるべく教養を施されたロレットと、その“代替”として育てられていたロラン。仲が悪い訳ではないのだが、関りは薄い。それは母もだ。彼女はロランにべったりだった。
「ロレット、お前はいずれ王を継ぐ身。ならば、人間についても知るべきだ」
「それで、友達……ですか……で、も」
ロレットはそこで、不安そうな表情を浮かべると目を伏せた。妖精が人間に対して、様々な考えを持っているのを知っている。知識だけでしか人間を知らないロレットは、父のいう事はもっともだと思う。
「その、人間は恐ろしい生き物だとも聞きます。父上はそう思わないのですか……?」
ふ、と父は笑った。それはなんとも、曖昧な笑みだった。
愛と憎が混じり合った複雑な笑顔。ロレットはうまく父の思考を読み取れない。
「自分の目で確かめてみなさい」
「……分かりました」
もうひとつ、不安があった。
王を継ぐ。そのために必要な勉学などには取り組んできたが、友達付き合いとなると、ほとんど無い。初対面の相手で種族さえも違う。果たして、仲良く出来るだろうか。
詳しくその彼の事情を聞けば、本当に物心がつかない頃に人間界から連れてこられたらしく、自分の前の家族なども思い出せないのだという。
三年間、妖精界で、助けられた家の両親からたっぷり愛された子供。
「母の愛、か……」
――自分には与えられなかったものを、持っている子供。
けど、蓋を開けてみれば、真面目で純粋な少年だった。ロレットは、陰謀やら騙し合いなど、何を考えているから分からない妖精の大人たちと比べるまでもない好感を持った。
歴史の勉強では、人間は妖精を乏しめた悍ましい種族のように語られることもあったのに。
人間の彼に出会って、もっと人間の事を知りたいと思った。やがてその思いは、彼らとの共存を夢見るまでになったのだ。
*
ディオは、ネモ達と別れたあと、レグイスと戦った森に来ていた。森はまだ昼間だというのに薄暗い。踏みしめた落葉の音は異様に大きく響く。
「……静かだな」
その呟きも森の中に溶けていく。やがて、彼はレグイスが使った妖精界と人間界を繋ぐ路の前に立った。路は、開いたままだ。そ、と後ろを向く。そこには、二人の妖精が控えていた。この世界の王の騎士たちだ。
「路を用意して貰えたこと、感謝する」
ディオは、事前に王が手配した者たちと気が付いて礼を述べた。
「いいえ。我々は組み立てられていた路に少し手を加えただけです。貴方が通り次第、この路は塞ぎます」
妖精界から人間界へ向かう為に、ロレットが用意してくれた路とは違う。元は彼が使っていた物と同じ魔法具だろう。安定した路のため、事故も起きないはずだ。
1410年の妖精界へ。
「……」
意を決して、ディオは足を踏み出した。視界が、歪む。上下左右が分からなくなり、五感が一気に遠のく。反射的に目を閉じた。
地面に足が着く。一瞬だけよろめいたが、すぐに体勢を立て直す。
ゆっくりと目を開くと、周りの景色に変わりは無かった。薄暗い森の中、空も明るい。ただ、少しだけ空気が重く感じた。妖精界で暮らしていた頃は違和感を覚えた事はなかったが、もしかしたら、この世界は魔力の濃度が高いのかもしれない。
ディオはおもむろに歩き出す。森を出て、見晴らしの良い崖の上へ行く。そこから――。
「……妖精城」
辺り一面を森で囲まれた、懐かしい白亜の城が見えた。
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