3-⑭
王曰く。四百年前に世界に黒い雪が降った。時間にして十分にも満たなかったそれは、大地に染みわたる。その光景は、えも知れぬ恐ろしさを伴っていたという。それが、アデリナがもたらした妖精の呪いの始まりだった。
宝剣の力を、一時的に天候を操る魔術で雨を降らせ、その雨に織り交ぜる。全土に降らせる必要があるため何人もの術士の協力が必要だった。王が言う『準備』とはこのことだ。
宝剣の力が妖精に宿れば、それは呪いという病に対する抗体となる。降る雨は、妖精の呪いがしみ込んだ大地を浄化する。
そうして、ようやく。この世界は、四百年前の“呪い”から解かれ、新しい“人間達の世界”として生まれ変わる事が出来るだろう。
「まずはお母さんに手紙を送ります。どれくらい王都に居ることになるか分からないけど、心配させたくないから」
「そうだな」
ディオ達は城を出て、ルビーナの街に戻ってきていた。城と城下町を繋ぐ深い森と石造の橋を抜け、街の入り口に立つ。
誰が合図するわけでもなく、三人は立ち止まった。
「ディオさんは、妖精界に戻るんですね」
「君を最後まで見届けたい気持ちはある。だが、この世界が呪いから解放されても、まず戦争が起きては意味が無いんだ」
そのためにも、一刻も早く妖精界へ戻る必要があった。ディオが飛んだ未来の世界では、1410年現代よりおよそ一年後、1411年に妖精界は人間界を侵略した。だが、レグイスが倒れた異変を妖精界側も察しているだろう。イレギュラーは発生している。ディオが知る“未来”と同じように一年も猶予があるとは思えない。
「ではお別れじゃのう?」
ディオはヒエンに尋ねる。
「お前はこれからどうするんだ?」
「余はしばらくお嬢の側におるよ。特等席でこの世界に起きる変化を見たいからのぅ」
ヒエンらしい理由だ。すると、彼女は思い出したように手を差し出した。
「そうそう、汝に餞別を」
「……?」
ヒエンはいつの間にか手に、真新しい薄紫色の布袋を持っている。小物入れになっていて、紐の部分に鈴がついていた。彼女は、髪に差す蝶の形をした髪飾りを外す。ディオは目を細め、すぐに声を低くして尋ねた。
「何を仕込んでいる」
ヒエンは髪飾りを袋に入れて一瞬、笑みを深くする。何も答えずにディオへ返した。
「……突然、爆発しないだろうな……?」
「そんな用心深いところも気に入っておるよ。――本当に必要になったときだけ、その袋を開けると良い」
腰へ括りつけると、耳を傾けなければ聞こえない程度の小さい鈴の音が、リンと鳴った。
それから、ディオはネモに向き合う。
彼女は何とも言えない表情を浮かべている。寂しさ、悲しみ、それらを堪える顔。同時に、見送る覚悟。
「ネモ、約束をしないか」
彼はそう切り出した。ネモは不思議そうに瞬きをする。
「俺は守れない約束はしない主義だ。これから妖精界へ行き、ロレットに会い……どうなるか分からない」
もしかしたら、戻ってこれないかもしれない。
そうでなくても、妖精界と人間界、別たれた世界を行き来するのは良くない事だ。
永遠の別れの可能性はじゅうぶんにあった、そのうえで。
「俺はまた君に会いに来るよ」
「……どれくらい、待てば良いですか?」
ネモに問い掛けられ、ディオは少し悩んだ。腕を組み、深く考えた後に答える。
「俺と君では寿命が違うから、なるべく早く……いや……あまり期待はしないでくれ」
「どっちですか」
ネモは真剣に考えるディオの姿がおかしくて笑った。自分から言い出したのに、年数を見通すことは出来ないのだ。なんて曖昧で、確証が無くて、どれだけ本気で信じて良いのか分からない約束なのだろう。
だから、涙は出なかった。その約束があれば、ネモはずっと希望を抱いて夢を見続けていられる。それに。
「待っています」
笑顔で見送ってあげたい。また会おうと約束を立てるなら、なおのこと。
「今よりずっと綺麗な女性になって……貴方が人間界に……ううん、ルプス村に帰って来るのを」
ルプス村の、ネモが大好きなあの丘。もう戻れない“フィラと過ごした未来”の場所で。
穏やかに微笑むネモに、そうか、とディオは頷いた。
自分は妖精界で生きた人間だ。故郷というものは、もう妖精界と言って良いだろう。同時にこの世界もまた、ディオにとっては大切な故郷なのだ。
だからいつ戻ってきても良い。……ルプス村は、ネモは、ディオを歓迎してくれる。
「……君との旅は、とても有意義なものだった。ネモ」
ディオは潤んだ瞳と真正面から向き合う。
暖かな風が吹いていた。空は青く晴れ渡り、人間と妖精が混ざり合う城下町ルビーナからは、賑やかな声が響いている。
「君に出会えて良かった」
この世界に来て良かった。ディオは胸を張って、そう言えた。
「私もです、ディオさん! どうか、貴方の旅の終わりが、良いものでありますように」
澄み切った青空の下、丘の上から、ディオとネモの旅は始まった。
ルプス村を出てから、二人は世界に語られなかった過去を知り、そのうえで、自分なりの道を選択した。
少女との新たな約束を胸に、彼は親友の元へ。王の元へ、帰還する。
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