3-⑬


 翌日の朝、ディオは再び城の前に居た。今度はネモとヒエンも一緒だ。城門に立つ騎士の姿を見て、ディオはヒエンを振り向いた。

「一緒に来るのか?」

「余だけ仲間外れにするのか? ああ、悲しい……」

「そんなことしません! ねっ、ディオさん!」

 わざとらしい泣き真似をして悲しがるヒエンに、ネモは宥める声をあげる。ディオは呆れた。けれど、好きにすればいい、と告げる。

「そうするつもりじゃが?」

「いちいち腹立つな……」

 ヒエンはケロリと答えた。付き合ってられない。ディオは首を横に振り、騎士に近付いた。


 騎士はディオ達を簡単に城の中へ入れさせてくれた。昨晩の件が王の耳にも届いているのだろう。

王は玉座ではなくて、その部屋から繋がる草木が植え込まれた庭に居た。そよ風に揺られて、名も分からない小さな花が咲いている。そこには、すっかり寂れた墓石らしきものがあった。背中を向けたまま、彼は呟く。

「――昔、リヒトという人間が居た。彼は四百年前、妖精と人間の争いの中で亡くなった」

 ネモが小さく息を呑む。ディオは、城下町の銅像の人物だと思い出す。

「アデリナは、リヒトの人柄の良さにとても惹かれていた。もし彼が戦いの中で亡くならなければ、そのあとの悲劇は起こらなかったかもしれん」

 王は四百年前のことを思い出す。リヒトの死からそれほど長い時間が経たずにアデリナを襲った事件は、人間側になっていた王自身が止める間もなく起こってしまった。

「彼は人間側のリーダーだったから、提案をしやすいタイミングだったのだろう。彼女は停戦のために会合を開こうとした。疲弊していた我々も停戦を受け入れるつもりだった」

「でも、アデリナさんは……」

 痛ましそうに呟いたネモは、顔を曇らせる。

「反対者が居るだけなら、アデリナはそこまで追い詰められなかっただろう。会合に向かっていた彼女を襲撃したのは、金や物に目が眩んだ賊だ」

 少し、アデリナは夢見がちなところもあったのだ。人間の善意を信じ切っていた。それは、彼女が慕ったリヒトという人間が眩しすぎたせいもある。

「彼女は人間に失望し、そして憎んで死んだ。……呪いを生みだしてしまうほどに」

 語り終えた王は、ゆっくりと息を吐いた。

 王は、三人を振り向く。

「昨晩の件はこちらで預かろう。度々、人さらいは起きていた。これが初めてではない。今回は未然に防ぐことは出来たが……彼らは我々の目を盗むのが上手い。こちらの妖精達が減っているせいもあり、なかなか見抜けないのだ。そうならぬよう、術士の育成にも励んでいるが」

 かつて、人間は魔術を使う術を持たなかった。妖精と協力関係になり、彼らから学んだ。だがそれも四百年も昔のこと。ディオ達も知っている通り、人間達の間で、術士は少しずつ減ってきている。誰もが魔術を使える訳では無い。

 才能、努力、正しい継承の仕方。それらが揃ってようやく優秀な術士が育つ。

「どうやら人さらいの件で来た訳では無いようだな」

「王様、私はネモ……ネモ・スコットと申します」

 ネモの脳裏に、一瞬、彼女を支えてくれたルプス村の母の姿が過ぎる。その姓を語りながら、彼女は“ネモ”として、王に宝剣のことについて話した。

 アデリナの生まれ変わりである彼女の話を、王は表情を少しも変えずに――ディオからしてみれば、昨日もそうだったなと思いながら――聞いていた。

「私はこの宝剣の願いを聞いて、何より私の意思で、妖精の呪いを何とかしたいのです」

「理解は出来た。だが、君の願いは叶わないだろう」

「どうしてですか?!」

 王は否定から入り、悩まし気に、ネモが両腕に抱えた宝剣を見詰める。

「宝剣には、恐らくほとんど魔力が無い。老いたとはいえ、いまの私の眼力でも、その程度のことは見通せる。一度大量に消費したのではないか?」

「……ッ!」

 ディオは心当たりがあり、息を呑む。1421年から現代の1410年に飛ぶために、宝剣の魔力を使った。

「残念だが、この世の全ての妖精から、呪いを消し去る事は出来ない」

「そんな……」

 妖精界の規模は、人間界に比べれば小さい。妖精城を中心に、細々とした村や街が、妖精達が暮らしやすいようにこの世界を模倣して築かれた。

 宝剣の力で妖精たちに巣食う呪いを払う。それらが再び湧き起らぬよう、大地の浄化も同時に行いたかった。

「えっと、宝剣の力が足りないなら、もう一度増やすことは出来ないんですか?」

「魔力にはそれぞれ属性が現れるもの。しかし、宝剣の魔力はそのどれにも属さない。つまり、きわめて特殊な魔力であるということだ」

 例えば治癒術も、元々、属性を持たない特別な魔力だ。人間界で魔術が寂れるとは対照的に、妖精界では新たな魔術が生み出されている。治癒術はその代表ともいえる。

「うーん、じゃあ……」

「浄化する範囲を縮小するしかないのでは?」

 ヒエンの淡々とした物言いに、ディオとネモは眉を寄せた。それはつまり、どちらかの世界を切り捨てるということだ。けれど、王もヒエンの提案に続いた。

「人間界だけならば可能かもしれないな。この世界の妖精は、四百年前と比べて随分と数が減った。それならば……」

「宝剣の力で、人間界の妖精を救える、か?」

 ヒエンは断言はせず、言葉を濁した王の話を引き継いだ。

 宝剣の“妖精の呪いを払う”力を全ての妖精に分け与える。そうすれば、外から妖精の呪いを持ち込まれたとしても、その力が払いのけてくれる。

 一時的に妖精の中から消し去るだけでは駄目だ。王は、指針を定めてより効果的な策を練る。

「宝剣の力をこの世界の妖精が体内に宿すことで、抗体のような働きにさせる。また湧き出すことが無いよう大地にも撒く。そのためには大規模な魔術の準備が必要になるか」

「……待ってください」

 ネモが王の言葉を遮り、しばらく悩む。それから、ディオを振り向いた。

 ――昨晩の会話を思い出す。

 宝剣の力はロレットを呪いから解放する最後の手段として。ネモはきっと、その考えが頭に過ぎっているのだろう。王が言うように、人間界の妖精達のために宝剣を使えば、魔力は尽きただの剣になってしまうかもしれない。

「ネモ、良いよ」

 この世界の妖精の在り方は美しい。彼らは、人間と共に生きる事を選んだ。今も人のために貢献する彼らの生き様は誇らしくもある。ディオにとって、妖精とは“同胞”といえる存在だからだ。人間界の妖精たちは、もっと自由に生きるべきだ。

「今のロレットを宝剣で救えるか定かではない。レグイスの例もある。そんな賭けに出るよりも、目の前で大勢の妖精を救える手段があるんだ。ならば、そちらを選ぶべきだろう」

「それでもですよ!」

「ネモ、俺は。大事な人より世界を選んだ」

 ヒゥッ、とネモが喉を鳴らす。ディオ・ローゼンは、事故で飛んだ未来で同じように、全を選ぶか個を選ぶかを迫られた。

 救える可能性がある“過去”か、愛する妻か。

 そして、前者を選んだのだ。その選択に後悔はしない。それは、自分を送り出してくれたフィラに失礼だし、この選択を引き摺るようなら彼女に怒られるのは目に見えていた。

「諦め……とは少し違うな。戻ってきた、この世界で俺はかけがえのないものを得た」

 それは、今度こそ果たすべき王命の道のりや、目の前の少女との出会いだ。

「俺はどんな選択も後悔しない」

 後は、自分が見てきたものから選択する。ネモはしばらく、黙って彼の海のような青い瞳を見上げていた。

「分かりました」

 やがて彼女は力強く頷いた。

「準備にはしばし時間が掛かる。その間は王都で滞在してもらうが、構わぬか?」

 王の問いに、しっかりと受け答えするネモを見ながら、ディオはそれ以上、口は挟まなかった。ただ漠然と、ここが終わりだと悟る。

 ――ルプス村を出て、今、ネモとの旅の終着点に来たのだと。

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