3-⑫


 駆けつけた騎士に妖精兵を引き渡したディオ達は、城下町ルビーナに戻ってきた。ヒエンは「今日は珍しく頑張ってしまったからのぅ」と言って、早々に宿へ向かってしまった。一方で、ディオとネモは辺りを散策していた。

 城へ向かうのは夜が明けてからでいい。色々なことがあって、二人も心身ともに疲れている。それでも約束したのだ。

「一緒に祭りを周ると約束したのに、もう終わってしまったな」

「そうですねぇ……」

 あれだけ賑やかだった町は、夜が濃くなるにつれて少しずつ静かになってきた。勿論、まだ祭の余韻に引き摺られて楽しそうにしている人々もいるのだが、出店などは終わってしまっている。

 ネモはちょっとだけ残念だった。けれど、ディオと一緒に歩くだけでもじゅうぶん楽しい。昼間は彼とともに来られなかった、英雄リヒトの銅像が飾られている近くまで行く。

「……ネモ」

 そこで、ディオが足を止めた。

「君に……まだ話していない事がある。聞いてくれるか?」

 ネモはやや目を見張り、彼の瞳に真剣な色が宿っているのを感じ取る。彼女はわずかに表情を緩めると、頷いて、どこか落ち着ける場所を探した。

 二人掛けのベンチに腰を下ろして聞いた話は、とても悲しくて、温かいものだった。妖精界の親友のために、人間界を目指したこと。けれど転移に失敗し、未来へ飛んでしまったこと。そこでフィラという女性――ネモも宝剣の記憶で見た――に出会い、ひと時の平穏を得たが、それが突然崩れてしまったこと。

 王命を果たすために。ただ、それだけを告げられた、ルプス村の……ディオと初めて出会った、スコット食堂での会話を思い出す。あのときは、語られなかった話だ。

 ネモに出会うまでを語り終えたディオは、一度言葉を切った。

「昼間、この世界の王からロレットについて聞いた。あいつが今回の人さらいを指示したと。最初は信じられなかったし、信じたくなかった」

 迷って、どうすればいいか分からなくて。

「……レグイスを斬る直前、君との会話を思い出した」

「私ですか?」

「俺が戦う理由を明確に出来たのは、君のお陰だ」

 大したことはしていない、とネモは首を傾げる。むしろ、余計な真似をしたな、と思う。ただ、ネモが、ディオに傷ついて欲しくなかっただけ。彼は強いと知っているけれど、決して無傷では無かった。これまでは“仕方がない”状況だったから、ネモも強く言い出せなかったが。

「私のお節介が、ディオさんの気持ちを少しでも楽に出来たなら嬉しいです。それに、こうして話してくれたことも」

 ようやく、彼のことが分かったような気がする。勿論、そんな風に思うのはおこがましいから、口には出さない。他人の人生は、物語と違って重みが伝わりにくい。彼が体験したあらゆる全てを、ネモには一生かけても理解出来ないだろう。でもそれでいい。

 彼が、ネモに話しても良いと思った。共有してくれた、それだけで、じゅうぶんだから。

「……あのですね、ディオさん。私もすごく、怖かったんです。……宝剣からアデリナさん、かつての“私”について聞いて。そのせいで、どれだけの妖精が苦しんで、悩んで……そう思ったら、私が何とかしなくちゃ、って思ったんです」

 ディオは眉を寄せ、それは違う、と口を挟もうとした。だが見越したように、ネモが先に言葉を紡ぐ。

「けどそれ以上に、ディオさんに嫌われるのが怖かった」

「……俺に?」

 ディオは怪訝そうに彼女を見詰める。ネモは視線を足元に落とした。

「宝剣が見せてくれたんです。ディオさんの言う、世界の終わりを」

「君も、見たんだな」

「妖精の呪いが、あの現象に関わらない筈が無いのです。アデリナさんは……呪いは……ディオさんを苦しめたでしょう。だから貴方から逃げ出すように、この世界の王様の元へ向かいました」

 ネモが想像つかないような発想も浮かぶだろう。そんな風に心の中で言い訳をして、逃げ出した。

 ディオは優しいから、ネモを責め立てる言葉は言わない。それでも彼の顔が曇るだけで、ネモは苦しい。ディオにその表情を浮かべさせてしまっている自分が許せなくなる。

「でも……ディオさん、私を探してくれて。助けにきてくれて……すごく、嬉しかった」

 無事でよかったと抱き締めてくれた。ヒエンから事情は全て聞いている筈なのに。

「私もディオさんと同じように迷っていたんです。自分は何者で、今、何をすべきなのか分からなくて」

 ネモは顔を伏せたまま小さく笑った。

「正解だと思っていた道が、実は間違いだったということも沢山ある。アデリナという――昔の君は、別の誰かで。妖精の呪いは、その誰かが残した厄介なものだ。俺達は今になってそれに振り回されている」

 自分たちの意思とは関係なしに。

「ネモ、君は君だ。俺がルプス村で出会い、今日まで共に行動し、旅をしてきた。いつも前向きで、明るくて……少し危なっかしい。そんな過去に。或いは、俺を憂う未来に応えようとする必要は無い」

 ディオがそう言えば、ネモはようやく顔を上げた。彼女はニコリと笑う。辺りはもう暗いのに、まるで地上に降った小さな太陽のような輝きを放っていた。

「さっきのお話を聞いて。ディオさんのお友達が妖精の呪いで苦しんでいるなら、宝剣の力で助けられませんか?」

「どう、だろうな」

 ネモは不思議そうにディオを見上げる。彼は視線を空へ移していた。

「これは俺が信じたいだけで……確証が何もない、ことだが。俺が知るあの男は、呪い程度に意思を曲げる男ではないんだ。だから何かの原因があったんじゃないか。それを知りもせず、呪いを払おうとするのは何だか違うと思う」

 だから、と。

「俺は妖精界に戻る。もう一度、あいつに会うために。宝剣は最後の手段として、とっておきたいんだ。……すまない、せっかく申し出てくれたのに」

「……ううん、分かりました。それが良いと思います」

 少しだけ、ネモは躊躇った。レグイスの最期が頭を過ぎった。呪いなんて無くても、人間へ強い憎しみを抱えていた人。

 もし……ディオの親友も、そう、だったら。

(きっと、凄く傷ついて……そのうえで、ディオさんは、向き合おうとする)

 そんな姿を想像できた。ディオは優しくて、少し不器用だ。

 彼は英雄と呼ばれる器じゃない。誰かとの約束を守ろうとする人。そのためなら、何だって出来る人。懸命な彼の姿が。

(私は、そういうところが好き)

 だから、ディオがこの世界を憂いなく離れられるように、ネモは自分が出来ることをやろう。そのためにも。

「私も、明日お城へ行きます。王様にお話しをして、その」

 ネモは言いづらそうに一度口を噤む。ディオは無言で待った。躊躇いがちにネモはディオの手を取る。

「一緒に、来て欲しいです。寄り道をさせてしまって……本当に申し訳ないんですけど……でも私、不安で……。……あれ? 笑ってます? なんで?」

「いや……深刻そうに言うから……」

 肩を震わせてから、ディオは微苦笑を浮かべた。

――宿屋を飛び出すときは、何の相談も無しに勝手に一人で突っ走ったのに。

「何も寄り道なんかじゃない。君といる時間は、どれも大事だからな」

 それこそ、一分、一秒だって。ネモの手を握り返しながら、ディオはそう囁いた。

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