3-⑨
ネモの足取りは、途中までは北へ向かっていた。王城の方向だ。だが、ある地点で引き返している。その路地裏に差し掛かると、ヒエンは妖精の気配を感じ取った。
「妖精が関わっているのか? ……子供……迷子……人さらい」
ディオはそう考え、ふと嫌な想像を思い浮かべた。まだ妖精界に居た頃、もう、ぼんやりとした記憶なのだが。ロレットが憂い気味にぼやいていた事がある。
人間界から、妖精が人を攫う事案が度々発生している、と。
簡単に妖精が人間界に行ける訳ではない。魔法具や膨大な魔力で路を作る必要があるからだ。
「ネモはそれに巻き込まれた?」
「大方、ちょうどその場を目撃し、飛び込んだのではないか?」
「……そんな気がするな……」
つきそうになったため息を呑み込み、ディオは首を横に振る。
「まだ追えるな?」
「やれ、お嬢を探すだけで、何やら雲行きが怪しくなってきたのぅ……」
酷使させおって、と、悪態をつきながら、どこか楽しげに囁いたヒエンは、赤い蝶を羽ばたかせた。
城下町ルビーナは、東、西、そして正門と、三つの出入り口がある。正門を出て真っ直ぐ向かえば王城へ続く道になる。西門側は術士や騎士を育成する学園が、東門側は、住宅街が多い。そしてレンガの家が立ち並ぶ中、ひときわ目立つ、やや古びた教会があった。
痕跡を辿った赤い蝶とともに、ディオとヒエンが足を止めたのは、その教会付近だ。
「……まさか余の追跡を気付かれたか? ううむ」
青と白のくすんだ色で塗られた壁面が目を引く、奥行きがある建物は、孤児院も併設しているようだった。柵で隙間なく囲われた庭には、所々色褪せた遊具が置かれている。
そこへ、教会のシスターがちょうどどこからか戻ってきたらしく、二人を見た。
――シスターは大袈裟なくらいに肩を揺らす。ディオは、明るい街の光から隠すように、革の袋を抱きかかえている姿を見て思わず尋ねた。
「それは、何だ?」
「こ、これですか? ……明日の典礼会食に使う物です。貴方たちは、教会に何か御用ですか?」
目を逸らしながら、年配のシスターが答える。何かを隠しているのは明白だった。
「……用は無い」
返事をしたディオに、シスターは小さく安堵の息を漏らし、頭を下げた。早々と教会の中へ入ろうとする。
すると。ヒエンの蝶がフラリと舞って、まるで「ここ」だと主張するかのように、忙しなく周りを行き来し始めた。
「シスター」
聖剣の魔力の痕跡は消せないようだ。ディオはシスターを呼び止め、
「知っているな? 妖精……人さらいがどこに行ったのか」
有無を言わさぬ声をあげれば、シスターは唇を強く噛みしめ、小さく頷いた。
教会の裏側に地下通路があった。あちこちに小さなランタンが吊るされている。それが煌々と辺りを照らしていた。その光から逃れるようにネズミらしき生き物が影に潜んでいる。黴の臭いを嫌々受け入れながら、ディオとヒエンは一本道を進んでいた。
シスターは、聞かずとも自ら理由を喋った。
その話によると、どこからともなく現れた『人さらい』は、素性を明かさぬまま、教会に取引を持ち掛けたらしい。それがこの通路だった。通路は街の外へ続いている……門を通らずに行き来する事が出来る。これが、妖精達にとって利点になる。城下町ルビーナは人が多く集まる場所だが、同時に術士や騎士に守られている。子供を連れていれば、それだけで目立つだろう。
だが、内部の助力があるなら行動しやすい。教会の子供を騎士が逐一知っているとは思えないし、シスターが側に居れば、見知らぬ大人が子供を連れていても特に問題視はしない。
教会側は報酬として金貨と、身の安全の保障だ。今後、妖精たちが人間界を侵略した際、教会の子供達には手を出さない、という。
――だから、見逃して欲しい。やってはいけない事をしている自覚はある。それでも、自分達は逆らえない。もう十年以上も加担しているのだから。
シスターは早口にそう言って、ディオ達から離れていった。
「誰も彼もが力があるわけでは無いからのぅ。……汝もそれは分かっているな?」
ヒエンがディオに、ゆっくりとした口調で囁いた。
「お嬢を助けるためなら、もう、引き返せぬぞ」
これまでの相手は妖魔だった。妖精の呪いに当てられ正気を失っていた一角獣。封印が解け、放置出来ない相手となった大蛇。それから、個々の力は少ない妖魔の残滓。
この、暗い地下の向こうに居るのは、そんな理性が無い妖魔たちではない。
「妖精の敵になる覚悟は出来たか?」
ヒエンの声が、ディオの迷いを突き刺すように辛辣に響いた。
ディオは少しの間を経て、答える。
「……出来ている。だが、会話も無しに敵対するつもりは無い」
「まずは対話から。――と、お嬢も言うからか?」
ディオは面倒くさくなって口を噤んだ。声をあげずにヒエンが笑う。何が面白いのやら。ディオはちっとも面白くなかった。
やがて二人は地下から地上に上がった。
そこは、森の中だった。空には丸い月が昇っている。西側を向けば、沢山の光で彩られた王都――城下町ルビーナが遠目に見えた。パレードが行われている賑やかな声までは届かない。けれど、七色に輝く光の華やかさが、この森の、シンとした空気を際立たせていた。
奇妙な程に静かだった。そこへ、カラリ、と車輪が回る音がした。音は近い。
ディオは駆け出した。
足元の落葉を踏みしめ、頭上付近をひしめく木の枝を潜り抜けた。その向こうに奇妙な空間が生まれている。突然、森が終わったのだ。
足を踏み入れた瞬間、全身に小さな痛みが走った。
「魔術……? 結界か?」
「隠蔽魔術だな。遠目ではただの森にしか見えないようにしてある。む、明るいな」
後ろからディオを追いかけて、その空間に入ったヒエンが呟く。すると、これまで夜闇に包まれた景色が、昼間のような明るさを映し出した。
魔術で出来たオレンジ色の炎が提灯のように揺らいで、辺りを照らしている。
まるで抉られたような楕円形の平地。そこに足を止めたディオの靴底が、白砂の表面を踏む。
「あれか……!」
ベージュの布で覆われた荷台が三台あった。そのすぐ近くに、渦巻いた黒い穴が浮かんでいる。ディオの目は、荷台を囲うように立つ四、五人の男たち、それから荷台の中身へと注がれていた。男たちの見た目は黒いローブ姿だ。彼らはディオ達に背を向けて、何かを話している。
布の隙間から、子供らしき細い手足が覗いている。そう、ディオ達が認識した瞬間、向こうも結界の異変に気が付いた。
ディオは既に動いていた。手に氷の剣を生み出し、疾走する。相手が身構える前に集団の中に飛び込むと、半円を描くように、右足を軸にして横に凪いだ。
音を立て、氷結が生まれる。その一帯の足元を、膝から上を凍らせていく。
「お前は……!」
「――妖精兵だな」
男たちのローブの下は白銀色の鎧。ディオも、妖精城に居た妖精兵の全員を覚えている訳では無い。けれど、中に見知った顔があった。
ディオに一番近い男が、何か言葉を紡ごうとする。その前に、ディオは手を伸ばし、氷で動きを封じた男の口を掴んだ。
「……ッ、……!」
男が身じろぎをする。口が凍った男は何も言えない。
ディオは白い息を吐いた。鋭い眼で他の男たちを牽制する。
その間に、ヒエンは荷台を覗き込んだ。
「ヒエンさん! どうしてここにいるんですか!?」
「おっ、元気そうじゃのう、お嬢」
中にはネモが居た。手足は縄で縛られているが、ヒエンがパチンと指を鳴らすと、それは燃えて灰になる。ネモ以外にも、二、三人の子供達が居た。困惑した、怯え混じりの表情がヒエンに向けられる。
「……無事か」
ネモの声を聞いて、ディオは安堵の息を漏らした。すると。
「ま、待ってください……」
一人の男が声をあげた。灰色の短い髪を持つ青年だ。ディオが顔を向ければ、その青年は少しだけ口角を上げた。
「貴方……ディオくんでしょう。ロレット様が連れていた人間……」
「……お前、いや、貴方は」
その声と、人当たりが良さそうな笑顔を見て、ディオは思い出す。妖精国に居た頃、何度か話したことがある妖精兵だ。妖精城の門兵で、ディオが城を訪れると、時々、菓子をくれたものだ。だが、ディオにそれを懐かしむ気はない。
「何をしている? これはどういうことだ」
「事情が……事情があるんだよ。ひとまず解放してくれないか? ほら、話そうにも、こんな手荒な真似をされては」
青年は微苦笑を浮かべている。ディオは首を横に振った。
「手荒な真似? それはこちらの台詞だ。人間の子供を攫うなど……それでも妖精兵か」
それに、と、ディオは続けて言う。
門兵の青年の姿を見て、芋づる式に、ふと思い出す事があった。
「――ロレットとの会話を盗み聞きしていたのは、お前だな」
妖精界から人間界へ向かう途中、複数の妖精兵に襲われた。ロレットに告げられた王命。人間界へ行き、人間の王に封書を届ける事。それは、ディオとロレットの秘密だったはずなのだ。なのに、まるでディオが一人になったタイミングを狙って襲撃があった。
ならば、どこかで話を聞いていた人物がいたのだ。付近を通った兵。ディオもロレットも、周囲は警戒していたが、心を許していた相手に対する警戒心は弱かった。あの城で育ったロレットはともかく、ディオが懐いていた妖精兵は数える程しかいない。
「なんの事だろう」
青年の笑みは強張る。ディオの、推測でしかなかった疑問を裏付けるようなものだった。
彼は、苛立ちと哀しさを呑み込んで努めて冷静に尋ねた。
「聞きたいことは山ほどある。ひとまず――」
そのとき、ディオはうすら寒いものを背中に感じ、咄嗟に身を翻した。先程まで、ディオが立っていた場所を風が撫でる。
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