3-⑦
「……え?」
地に足がついた感覚で、ネモは自分が、ヒエンがいる現代に戻ってきたのだと悟った。
頭は混乱している。彼女が宝剣の記憶に潜っていた時間は、ものの数秒に満たなかった。そんなネモの、狼狽した様子にヒエンは後ろから声を掛ける。
「お嬢、何が見えた?」
「……ヒエン、さん。私……あのっ……!」
アデリナが英雄リヒトを失った悲しみを見た。彼女が呪いを告げる死に際を見た。そして、宝剣によってディオがこの現代へ飛ばされる間際を知り。
そのあと。
「宝剣が、どうして、私にしか使えないのか……分かったような気がします」
「うん」
ヒエンがいつになく、真面目な表情を浮かべている。その顔は落ち着きを払っていて――同時に、彼女が“知っていた”事を暗に告げている。だからこそ、ネモは二の句を紡ぐことができた。
「私、アデリナさん、の……生まれ変わりなんでしょうか……」
「汝の魂は、かの魔術師と似通っておる。あまりみない事例だが……うん、そう言い切ってしまって良いだろう」
死後の世界は妖魔といえども分からない。ただ、生まれ変わりが起きることは、たまにあった。
宝剣は、ディオを送った後に過去の妖精界へ飛び、
「思い出したとは言えないんですけれど、宝剣を通じてみました。……私、妖精、だったんだ」
時空を転移した宝剣は妖精界で暮らしていた“ネモ”の前に現れた。
“ネモ”は宝剣を取った瞬間、恐らく宝剣の意思を知った。
「私は宝剣を使って、呪いを解く為に人間界に来た……?」
どこか他人事のようになってしまうのは、記憶が無いからだろうか。記憶について、ヒエンは腕を組み推測する。
「汝が記憶を失った理由は……おそらく事故ではないか。宝剣に意思が芽生えているのであれば、お嬢はそれをうまく扱えなかったのだろう」
そして、宝剣の使い方も、ましてや自分自身さえも分からずにいて、ルプス村で過ごしてきたのだ。
やがて、二年が経ち、未来からやってきたディオと出会った。
「……ディオさんにこのことを」
どうやって話そう?
ネモはまだ混乱したままの頭で、口を噤む。ディオと宝剣について何か分かったら話すと約束をした。けれど……生まれ変わる前の自分が、呪いを振りまいた張本人であると分かってしまった。
その呪いは、ディオの幸せを奪っているのではないか。
その呪いさえ無ければ、ディオが未来であの“女性”を失う辛さを感じる事はなかったのではないか。
(もちろん、前提が変わる、から……でも、ここにいるディオさんが苦しんだのは本当だ)
ディオが世界と妻を失っているのは事実だ。
それに、ネモは罪悪感を覚えた。
「忘れるな」
ヒエンが少し屈み、見上げるようにネモと目を合わせる。紅が乗る唇がゆっくりと動く。
「汝は、アデリナではない。たとえ生まれ変わりであったとしてもな。その記憶に呑まれてはいかんぞ」
「……はい」
「と、余が言ってもなぁ。汝の苦しみは余には分からぬ。そして、人の子の苦しみも人の子にしか分からぬよ。汝がどれだけ悩もうと、な」
ヒエンは、真面目な表情は終わりだとでも言いたげに、いつものように人を食ったような笑みを浮かべた。そんな普段通りのヒエンに、ネモは少しだけ安心する。
知らなかった事実を知って、世界が変わってしまったように思う。
「ディオさんに会いたい」
気が付くと、そう口に出していた。彼の名を呼ぶだけで、心がちょっとだけ軽くなったような気がした。ネモはゆっくりと深呼吸をする。
振りまかれた呪いに蝕まれた妖精達を救いたい。宝剣は、その望みを抱えてネモの元にきた。その意思が、宝剣のものだと思いながらも、ネモはほんのわずかに優しい解釈をした。
(人間を呪って、死んでしまった『私』……アデリナさんは、でもそれだけではなかった筈なのです)
人間と妖精の橋渡しとなった魔術師。その行く末に見えていたものは二種族の共存だろう。
(最後まで、本当は人間と分かり合いたかった……そうですよね?)
伝える役目は終えたとでも言うように、宝剣はもう、何も応えない。
*
謁見を終えたディオが王城の外に出た頃には、既に日が落ち辺りが薄暗くなっていた。
あまりにも衝撃的な事実の連続をうけて、途方に暮れた。立ち止まっている暇はない、のだと思う。だが……どうすればいいのだろう?
(俺は戦争を起こさせないために、ロレットの指示で、人間の王と協力体制を作るべく文を届けた。……だが、もうその前提が崩れ始めていた)
ディオに王命を告げたロレット自身が、誤った道へ進んでいる。
……ディオは、物心がついたころには妖精界にいた。種族は違えど、ディオにとって妖精界は故郷だった。そして、人間界で過ごし……彼らのこともまた、守りたいと思った。
(どちらも大切だ。妖精も、人間も。……けれど)
ロレットを止めるとなれば、妖精を敵に回すことになるかもしれない。
そう考えると、踏ん切りがつかない。足元が覚束ない。
足はゆっくりと、元来た道を辿り始めた。城門を出てすぐの石造りの橋を渡り、賑やかな城下町ルビーナへ戻ってくる。日が暮れても、町は明るくて眩しい。ふと、少女との約束を思い出した。
一緒に街を周ろう、なんて。
ちっともそんな気持ちになれなかった。
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