3-⑥
――アデリナは、会合の場に向かっていた。
人間の英雄リヒトの死を機に、少し余裕が出来た妖精側を説得し、アデリナは自身の王に、相手……人間と話がしたい、と申し出た。アデリナの熱意と、これまでの彼女の働きぶりから、王はそれを許してくれた。
チャンスだった。何としても逃してはならない。アデリナの「話し合いたい」という要求を呑んでくれた人間達も、きっと同じような事を思っているだろう。
(人間の抵抗は、きっと予想外だったのでしょうね。私達が教えた魔術なんて、付け焼き刃でしかないだろうに……それでも、人は屈せず抗った。けど、英雄リヒトが居なくなり、勢いが目に見えてなくなってきている……)
英雄とは、象徴だ。その存在が居れば、ひとは奮い立つ。象徴がある限り、どんな困難さえ打ち勝てると思ってしまう。ただ、ひとたびそれが崩れれば、群れは崩壊する。
そんな今の人間側の状況を、妖精側が突くのは容易いことだった。だからこそ、アデリナの王も油断からそれを許したのだろう。
「あと一息。……きっと、私達は許されない。人間も妖精も、お互い、殺し過ぎたから。だから、今……話し合いで終わらせるべきなの。だって私達は同じこの世界に生きるものなんだから」
――ただ、そんな事が出来るならば、妖魔との戦いだって起きなかったのだ。
そうアデリナが思ったのは、自分を狙う鋭い矢じりに気が付き、その回避に間に合わないと悟ったときだった。
空気を裂き、ヒュウ、と音をあげて迫る矢じり。鋭く、速く、その刃は深くアデリナの体に突き刺さった。
「あっ?!」
何の身構えも無く体を襲った衝撃に耐えきれない。アデリナは、その場に前のめりになって倒れた。口の中に砂が入り、呻き声が漏れた。
「やったか?!」
「本当に? 奴は、俺達なんかよりよっぽど凄い魔術を使うらしいぞ!」
幾つかの足音。アデリナは、倒れながら視線だけでそれらを追う。
――人間の武器。それに、風の魔術が仕込まれていた。
(迂闊、だったわ……まさか、奇襲を受けるなんて)
おかしい。人間側も、アデリナとの会合に合意した筈だ。その証として、彼女は護衛の一人もつけず、この近辺まで訪れたのだ。
彼女が体に力を込めて、起き上がろうとした、そのとき。
「この女を殺せば良いモンが貰えるって話だよな」
欲に塗れた言葉が聞こえた。
「食べ物か? だいぶ前に食べた肉は美味かったよな」
「おい、俺は酒だって聞いたぞ。お前、どこで聞いたんだよ」
「……貴方たち、それだけで、私を殺すの?」
アデリナが伏したまま、平静を装った声で呟いた。
「ああ……俺たちァ、世の中どうでも良いんだよ。自分たちが楽できりゃァ良い。戦わずに済むならその方が良いだろ。巻き込まれるこっちの身にもなって欲しいけどよォ……」
「そうそう。せっかく化け物共から逃げなくて良くなったのに……はぁ、お前たちみたいな妖精が居るから……」
「あ、でも、人間側にだって……」
だんだんと音が遠くなる。アデリナは、妖精と人間の争いで倒れた英雄リヒトを想った。
彼は、仲間を逃がすために体を張ったのだ。その末に死んだ。アデリナは、彼の死を看取った。その最期を美しいと思った。彼らしい、最期だった。
――でも。リヒトが守った、守りたかった人間達は。
(私、こんな……こんな理由で、殺されるの?)
彼のように誇り高い死ではない。何も残す事が出来ない。
(どうして私ばかり、こんな目に合わないといけないの……)
良かれと思ってやったのだ。人間と手を組めば、戦いは終わると思った。結果的に、この世は一度、人間と妖精によって統一された。けれど再び、戦いは起きてしまった。
起きたうねりは止められない。それを止めるべく奔走しても、英雄リヒトは死に、多くの血が流れ……アデリナは、この戦いを止める責任があると思った。だから、奮い立ったのだ。
(――憎い。人間が居なければ。人間のせいで、こんなに、私、苦しい)
人間を見つけなければ良かった。リヒトのような人間の善性を信じ続けるだけで居たかった。美しいものだけを見ていたかった。
アデリナは限界だった。
「わるく、ない……私、だけ!」
吐いた血が地面を汚す。彼女は土を掻きむしった。
何かを残して、死にたかった。でも、愛を向ける相手も、祈りを託す相手も居ない。ただ、彼女に、人への強い憎しみが宿った。せめて、それだけでも。それが――残せたら。
アデリナ自身が、もう動けなくても、同胞が成し遂げてくれるならば。
その瞬間、アデリナは、最後の力を振り絞って天を見上げた。
――空が、青い。
雪が降ってきた。彼女の黒髪を模したような色の雪だ。
「なんだ、これ……」
人間達は戸惑いながら周囲を見る。舞い散る雪が、地面に吸い込まれていく。
その現象は各地で起きていた。雪は大地に染み、降り積もる。時間にして、そんなに長いものではない。
アデリナは、空を見ながら、笑っていた。
(私にも、残せたよ)
彼女は心の中で呟いて、そ、と腕を伸ばした。けれどそれは、どこにも届くことなく、ポトリと落ちて……アデリナは目を閉じた。
アデリナの記憶を見終えたネモは、どこともしれない空間に居た。
上も下も分からない空間に、彼女は自我だけがあり、宝剣の記憶を見ていた。
アデリナが造り出した剣には意思があり、信頼の証として人間リヒトに贈られ、その後、彼の死をきっかけにアデリナへ戻された。その深い悲しみを宝剣は覚えている。
アデリナは、妖精の幸せを願っていた。人間を愛していた。そんな主の願いを叶えなければならないと、長い年月の中で思っていた。
「でも……貴方は、“使われる”道具だからと、使い手を待ち続けた」
時は無情にも流れていく。そうして、とうとう、1421年の“あの日”を迎えてしまった。
「1421……年? あれ……? 今は1410年だから……宝剣は、未来から来たの?」
そのとき。
赤いペンキをひっくり返したような空が広がっていた。
瞼を閉じても焼かれそうなくらいに鮮烈な赤色。そんな空に、ポッカリと巨大な穴のようなものが浮かんでいた。見ているだけで悍ましさを感じた。その光景が、宝剣が見せているものだと分かっていても、ネモは背筋が粟立つ感覚に身震いをする。
すると、聞き覚えがある声が聞こえてきた。
「これは?」
「あなたを過去に送るには、私ひとりの魔力では無理。だからこの宝剣の力を借りるの。この剣には何百人もの妖精の魔力に匹敵するほどの力が蓄えられているから」
ディオだ。ネモは目を見開いて、ディオと女性を見詰めた。話の内容から、ディオが過去に――つまりネモの時代に飛ぶ前の話なのだと察する。
では、この女性がディオの妻なのか。こんな状況で、ネモは少しだけ、妬みを感じつつ女性を観察した。
ネモはディオと女性の会話を後ろから見ていて、ちょうど、女性はネモに背を向ける形になっている。だから表情までは分からないが、腰まである長い桃色の髪が印象的だった。身長もネモより数センチは高いだろう。ううん、と彼女は唸る。
「……いえっ、私だってまだ成長の余地はある……ある、かなぁ……?」
なんだか少し不安になってくる。そこで、ネモはブンブンと首を横に振った。
そんなことを考えている場合ではないのだ。本当に。
ただ、不安や戸惑いとは異なる、何とも言葉にしがたい不思議な感情が、ネモの心にポツリと浮かんだ。
(何でしょう。凄く、見覚えがある気がする)
「私達、絶対にもう一度会いましょう」
女性が言うと、ディオが言葉を詰まらせた。やがて力強く頷く。
「……分かった。約束だ」
少しだけ、ディオの表情が和らいだ。
「行ってらっしゃい」
最後に女性の言葉を聞いて、彼女の手にある宝剣は輝きを放った。空間がグニャリ、と歪んで見える。その歪みへ、ディオの体が吸い込まれていく。
やがて、赤々とした空の下には女性と宝剣が取り残された。女性は長く息を吐くと、「よし」と努めて明るい口調で声を張った。袖で目元を拭い、
「私も最後の仕事を終わらせなきゃね。……宝剣、ごめんなさい。貴方からアデリナについて教えられたのに、私はなにも出来なかった。妖精が人間界へ侵略したときも、今も」
女性はひとつ息を吐く。
「宝剣を使える者は宝剣の所持者、アデリナだけ。……だから魂を継ぐその子に、もう一度、貴方を託すわ」
え、とネモは耳を疑った。今……何て言った?
「私が宝剣に出会った1408年の妖精界へ。私の故郷へ」
女性が剣を手放すと、それは宙に浮き光を放つ。再び宙に歪みが生まれ、剣の姿はぼんやりと薄くなり始めた。
先程見たばかりの転移の前兆。
ネモの視界いっぱいに光が広がる。場面が変わるのは一瞬だった。直後、宝剣は。
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