3-⑤

 時は王城へ向かうディオを見送った後に巻き戻る。

 ネモは、彼が宿を去って、少し間を空けてからヒエンを向いた。

「ヒエンさん、ちょっと良いですか? 今のうちに調べたい事があって」

 うん? と返事をしながら、ヒエンは、白いシーツに沈んでいた体を起こした。

「なんだ? 離れたがる男を引き留める方法か?」

「ち、違います! ちょっと興味はあるけど!」

「寂しいんじゃろう、お嬢」

 的確に言葉にされると、ネモは何も言えなくなる。ディオとの別れは刻一刻と迫っていたが、今は、それを呑み込む。

「それがディオさんとの約束です。だから……今のうちに、宝剣について知りたくて」

 一種の現実逃避かもしれない。けれど何もせずに彼の帰りを待っていると、余計な事を考えてしまう。

「宝剣やアデリナさん……ヒエンさんが教えてくれたお話は、ルプス村で調べるのは難しいかもしれないけれど。王都なら、きっと何かある筈です」

 東西に長いルビーナという城下町は、世界でもっとも大きな町であるため、貿易や交流の中心となる。また、術士や騎士を育成する学院などもあって、その付近には、大きな図書館もあった筈だ。ネモは思い出しながら身支度をする。

「ヒエンさんも、自分の目で見て調べた方が良い、って言ってたじゃないですか。ジッ、としているよりも自分で動いた方が良いかな、って」

 宝剣に関して、これまで何も分からなかったのに……ここにきて初めて得た手がかりだ。ディオの旅に同行し、ヒエンと出会ったからこそ。

 宝剣を入れた袋を背中に背負い、部屋のドアノブに手を伸ばす。するとそれより早く、後ろから紅色の爪で彩られた手が、ガチャリと回した。

「あの人の子に内緒でお出かけとは。何かあって、余が叱られでもしたらたまらんからなぁ……さて、行こうか?」

 ヒエンは上から、薄らと笑みを浮かべてネモの顔を覗き込む。ネモは嬉しそうに頷いた。

 宿の外に出ると変わらず賑やかな声たちがドッ、と押し寄せてくる。ネモは、人の波にのまれないように気を付けつつ、ビヨーロ通りを西に向かって歩く。

 途中で、ひときわ広い公園のような場所に出た。人気は、ビヨーロ通りに比べればそんなに多くは無い。まばらに行き交う人々の間から、銅像が見えた。

「あの銅像……」

 小さいネモの背を追い掛けつかず離れずを繰り返していたヒエンが、その公園にある人物を形作った鈍色の銅像が見えると目を細めた。ネモはその声を拾い上げて振り向く。

「ヒエンさんもルビーナへ来るのは初めてですか?」

「余は基本、山から下りぬからなぁ? だがしかし、ふむ、近付いてみても?」

「勿論です! なんだか嬉しいです、ヒエンさんが人が作った物に興味を持ってくれるなんて」

 ネモは喜んでヒエンと共に道を逸れた。だが生憎と、ヒエンが気になったのは、その人物の方である。

 ――その銅像には、英雄リヒト、と刻まれていた。

「かつて人々を纏め上げ、果敢に戦った英雄リヒト……か」

 ヒエンが銅像の台座に刻まれた言葉を読み上げて、ネモに言う。

「お嬢、こやつはアデリナにとって関りが深い人間じゃよ」

「えっ、そうなんですか……わっ?!」

 ネモが、そんな偶然なことが、と聞き返そうとした瞬間、頭のてっぺんから爪先まで、一瞬で電撃のようなものが流れた。

 痛みはない。けれど驚き、自分の首の後ろに手を当てて……ふと、少し振り向いた視界がチカチカと点滅する。眩しい。彼女は背中の袋を前に手繰り寄せ、あっ、と声をあげた。

「宝剣が……光ってる!?」

 そのとき、急に、ネモの意識がどこかへ引っ張られる感覚がした。


 *


 魔術と魔術が飛び交う戦い――戦争の光景だ。人が死に、悲鳴があちこちであがり、戦いは終わらない。その渦の中で、ローブを纏う術士が立ち竦んでいる。

 術士が立つ場所は、枯れた土地だった。魔術が、そこに生えていた自然を何もかも奪っていったのだろう。亀裂が入る地面。ぽっかりと開いた空間。まだ乾ききっていない血の痕。ブーツの裏が赤く汚れる。術士は、その場に屈んだ。

 一人の人間の青年が倒れていた。

「……リヒト、死んでしまったのですか」

 術士は、黒いフードを手の甲で払い、長い黒髪の下から覗く翡翠色の双眸を、青年に向けている。倒れ伏した青年の側に、一本の剣があった。その剣――宝剣と呼ぶ特別な剣を、術士はよく知っていた。他でもない自分が魔力を込めたのだ。

 それは、妖精が人間へ、信頼の証として贈った剣だ。

「だから前線から引けと、言ったのに……」

 術士は悲しみに暮れて、息を引き取った青年に囁いている。

 彼女は、ふぅ、と息を吐く。立ち上がったアデリナの瞳は、消しきれない寂しさをたたえながらも強く輝いている。

「止めなくては。もうこれ以上、どちらも殺し合いなんてしなくて済むように。私が……人間と手を組むべきだと、そう言い出した私が、止めなくては……!」

 その言葉は悲しみに満ちていた。同時に、使命感にも駆られていた。


 *


 ヒエンは、固まったように動かない彼女の肩を叩いた。

「お嬢?」

「あ……何か、今……」

 どう、伝えるべきだろうか。ネモは、宝剣とヒエンの表情を何度も見比べて、困惑した様子で眉を寄せる。

「宝剣が……私に」

 宝剣はネモの手の中で薄らと光を帯びている。まるで、何かを伝えたがっているように。

 ネモは恐怖を感じた。それを知るのが、理由は無いのにとても怖くて仕方がない。

(けど、ここまで来て……逃げるなんて……)

 ふと脳裏にディオの姿が浮かんだ。ここにディオが居れば、彼はなんて声を掛けてくれるだろう。少なくとも、ネモが恐怖に怯える事はない。彼の側は安心する。何があっても、助けてくれる。

(ううん、いつまでも甘えてちゃ駄目だ。私が、私の意思でここに来たんだから。宝剣は何かを伝えようとしている。それはきっと、私に関係があることだ)

 決意を固めて、ネモは深呼吸をして剣に触れた。


 その直後、ネモが見たのは、魔術師アデリナの“最期”の記憶だった。

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