3-④
――四百年前に、人間と妖精が、まだ『妖魔』と呼ばれる前の者たちと戦い、世界を統率した“後”。妖精達の間である論争が起きた。
一部の妖精達は、人間との共生を望んだ。
一方で、人間を支配下に置いた“妖精の国”を創り上げようと考える妖精達もいた。
人間は、妖精が手を貸すまで、群れで動き、その中で最善を考え生き延びた生き物だ。彼らに魔術を教えれば、魔術の才を開花させる者も現れた。その人間たちを評価していた妖精達は、同胞から彼らを守るため、人間と協力した。
「それは歴史に残らない記録だ。沢山の命が失われた。大地は荒れ果てた。けれど、この世界から、人間と対等な立場で生きていく事を拒んだ妖精達を追い出すことが出来た」
それ以降、この世界では、土地や建物の復興を人間が、彼らを含めた世界全体を守る者として妖精が請け負うようになった。
この世界から追い出された妖精達は、妖精界を生み出し、そこに定住するようになった。
「すると復興を始めたばかりの頃に思わぬことが起きた。遠方の地へ派遣したとある妖精が戻ってきたときのことだ」
その妖精は、とても穏やかな青年だった。しかし戻ってきた彼は別人のように気性が荒くなっていた。これまでは人間に対し友好的だったにも関わらず、彼らの行動にいちいち目くじらを立てるようになり、暴言を吐くこともあった。
「不審に思い、この件について幾つか実験や思考を働かせた」
二度、三度、同じように妖精を辺境の地へ飛ばしてみたり、年齢を変えて繰り返した。
やがて、性格が豹変した妖精達の心に、ある呪いが生まれていると解析された。
呪いは魔術と異なる。誰かへの憎しみ、恐れ、怒りなどから生まれるものだ。
妖精にのみ発現し、人間への憎悪を生み出す呪い。その発生源は、共生を拒んだ妖精達との争いの最中にあった。
呪いに蝕まれた妖精は、人間に冷たく当たり、共生を望んだにも関わらず激しく憎むようになってしまう。
「妖精界で育った君なら、妖精は人間に追い出されたとでも教えて貰ったか? だが正しい。実際、我々は互いの主張を曲げず戦った。我々が追い出した、と捉えるのは間違ったことではない」
互いの意見が合わなければ、対立し、武器を取るしかない。数百年前の世界はそれが当たり前だった。
「結果的に妖精の呪いが生まれたことは皮肉な話だが」
「妖精の呪い……貴方は? それに、ここの騎士も。俺から見れば、そんな呪いを受けているようには見えない」
ディオは記憶を手繰る。例えばロレットや、自分の育て親。それから、ネモ。身近な人たちは、人間のディオに好意的に接してくれた。
その反面、思い当たる節もある。人間を侵略すべきと声をあげた過激派の妖精達だ。彼らの行動には理由が無く、人への憎しみに突き動かされているようだった。
「どんな妖精も、いずれ浸食され、自分でも気づかぬうちに人格が歪んでしまう。人間への憎しみ、復讐心を抑えきれなくなるのだ。ただ……人間との触れ合いがあれば、多少呪いが緩和される事例もある。或いは外界との関りを完全に断つというのも、有効な手立てだろう」
それは今の王城の状態だろうか。王は人前に出ない。彼は呪いが発現しないよう、殊更警戒して、この城内に居るようだった。
「呪いは人間には生まれず、動物なども影響されない。だがそれは、今だけかもしれん。呪いは進化、もしくは性質が変化する可能性は捨てきれない」
王は感情の抑揚が無い声をあげて、一つため息を吐いた。
「……妖精という存在を隠すようになったのは、この呪いが発覚してからだ。この世界は、人間の手で創りあげていくべきだ、と。しかし人間は弱い。誰かが庇護せねば、妖魔から再び襲われかねん。そうなれば、我々がしてきた戦いが、全て無意味になってしまう……」
妖精の危険性を自覚しながら、その力が無ければ、この世界が成り立たなかった。
王とこの地に残った妖精達は、長い時間、そのジレンマに苦しめられてきたのだろう。
「その呪いは、俺が見てきた未来と関係があるのでしょうか」
ディオは数秒考えてから、世界歴1421年に起きた出来事を王に伝えた。世界歴1410年の現代から一年後に、妖精達がこの世界を侵略すること。そして、人間は妖精に支配され、10年の時を経て世界に異変が起きること……。
王都を中心に、人間も妖精も妖魔も、互いを憎み殺し合っていた。真っ赤に燃える地上と、空には巨大な黒い穴……。
その穴の正体も結局分からずじまいだ。
あれは、終わりを示す不吉の象徴だったのか。はたまた、何らかの魔術的な存在だったのか。
「未来から、か。……なるほど。信じがたい話ではあるが、時空を超える魔術が無い訳では無い」
そう前置きしてから、王は目を瞑る。
「君の話を聞いて、疑問についてある程度の推測は可能だ。聞きたいか?」
再び目を開き、その、親友と同じ色をした双眸で見詰められ、ディオは無言で頷いた。
「なぜ、妖精に支配された世界が滅んでしまうのか。前提として、その未来でも妖精の呪いがあるのなら……間違いなく、原因は妖精の呪いだ」
これまでも、妖精に対し幾つかの疑いを向けてきたが、今日にいたるまで確信が無かった。王は断言した理由を語る。
「妖精に支配された人間は、自分達の自由を奪った妖精を恨むようになるだろう。妖精の呪いの根源は、人間への憎しみだが、それは人間の妖精への憎しみを汲み取り変化する。この世界中に巻き散らかされ、誰にも止められなくなり、蔓延した呪いはやがて世界を呑み込み消滅させるだろう」
情念から呪いは生まれる。世界を覆うくらいまで広まってしまえば救いようがない。呪いが視認できるなら、未来で王都の上空に現れた、大穴のような形をするのではないだろうか。
数百年前の呪いが、ジワジワと現代を侵食している。そう考えると、規模の大きさに唖然としてしまった。これはもう、ディオ個人でどうにか出来るものではない。
「この話を、早くロレットに伝えなければ」
そもそもロレットは、妖精の呪いについて知っているのだろうか。
「妖精界に戻るのか?」
「貴方の助力が得られれば、ロレットの後ろ盾が増えます。……まだ、間に合う筈だ。本格的に妖精の侵略が無い今なら」
王がため息をついた。そこでふと、ディオは気が付く。
――何か、見落としているのだ。
ほとんど感情を浮かべない王の表情は、哀れみの色を宿している。無垢な子供に丁寧に説明をして、それなのに答えまで導けない様子を呆れるようでもあった。
「君は今、この人間界で起こっている妖魔の暴走が、妖精の呪いに影響されたものだと知っているだろう。その呪いを持ち込んだ妖精は、妖精界から来ている。では、誰の指示だ?」
過激派の妖精達、感化された妖精王……それらの姿が脳裏に浮かぶ。だがそのどれも違うらしい。たとえ妖精王の支持を得たとしても、人間界への侵略に反対する保守派の抵抗は、過激派が大っぴらに行動することを許すまい。
そして妖精王は保守派を切り捨てることはできない。なぜなら、彼らもまた長い間、王と共に居た者たちだからだ。
(それは、妖精王には出来ない筈だ。あの世界の妖精達の多くが、長い間、王と共に居た者たちだ。切り捨てられるとは思えない……)
では、誰が?
王の鋭い眼差しは、ディオの心を見透かすようだった。
「指示をしたのは、――ロレットだ」
「……何?」
ディオは、呆然としたまま、声をあげた。
「馬鹿な事を……そんな筈が無い! ロレットがこの災いを引き起こしているというのか? では、あいつが戦争を望んでいるとでも言うのか?!」
怒りが沸々と湧いて、その勢いのままに叫んだ。声は広い玉座の間を反響する。激昂したディオの感情を冷やすように、王は静かな声で、なお、信じがたい話を続ける。
「私は妖精界を覗き“視た”。封書を読んだから分かるが、私の甥は、きっと心優しい妖精だったのだろう。だが、呪いに取り憑かれたら妖精の心など、簡単に堕ちてしまう」
「……いいや、あの男が、そんなものに挫けるものか」
ディオの頭の冷静な部分では、何の根拠もない発言だと分かっていた。けれど、認めたくなかった。ロレットは、ディオに封書を託してまで、世界の未来を憂いた男だ。そんな彼だから、ディオは、この王都まで来たのだ。
彼との約束を守り、その先に、滅びの未来が無いと信じて。
確かに人間の王との協力は、自分の想定以上に滞りなく進んだと言える。更に、妖精の侵略を防ぐことが出来れば、世界の破滅という未来に向かわずに済むと知る事が出来た。だが、ロレットが呪いに蝕まれた状態なら意味が無い。
……それ以上に。
――信じたくない、信じられない。
認めてしまえば、ディオがこれまで抱えてきた、自分の足を進めていた希望が、打ち砕かれてしまう。グラグラと揺れる足場に何とか立ち、ディオは自分の信じてきたものを守らなければならなかった。
ロレットが、戦争を望むはずがない。
「どうしてもというのなら、君にも“視”せよう」
王は手のひらに魔力を集めた。黄金色の魔力の光が、球状になって輝く。そうして。
――ディオは視た。
ロレットが妖精兵を率いている。彼自ら指示を出し、人間界へ妖精を派遣している。そして、流れる映像の中でロレットは、妖精兵を一切の迷いなく斬り裂いた。
人間界へ侵略する、と公言した友の姿を見て。
自分の知らない間に、王の冠を抱いた彼を知り。
ディオの中で、自分を奮い立たせていたものが、確かに壊れる音を聞いた。
「この封書の件は保留としよう」
人間の王は、そう続けた。
「もし、妖精界から大軍が押し寄せたら……おそらく、私達は持ちこたえられまい。ならば大人しく、運命を受け入れるしかないのだろうな」
「……呪いを」
ディオは声を震わせながら、拳をギリッ、と音が出る程強く握りしめた。怒りからか、悲しみからなのか。彼自身にも判断が出来ないが、冷静になれと、自分を落ち着かせようとする。
「呪いを解く方法は? これだけ、呪いについて詳しいんだ……あるのでは?」
あってほしい、と願いも込めて。王はしばらく何も言わなかった。だが、根気強くディオが待っていれば、ようやく王も口を開く。
「呪いは情念から生まれたもので、発端は我らの同胞、アデリナである」
宝剣の持ち主、今も妖精界に語り紡がれる魔術師アデリナ。その名が出てきて、ディオは息を呑んだ。
「……だが、私は彼女が呪いを巻き散らすとは考えられぬのだ」
女性は、心の底から平和を願う人だった。彼女がもたらした、妖精と人間の縁は現在も続いている。
ディオがロレットの心の強さを信じるように、王もまた、アデリナの慈愛の精神を信じている。
王は遠い目をした。まるで、もう歴史の底に埋もれてしまった欠片を探すように。
「ヒトの心は変わりやすい。けれど彼女は本当に心の底から人間を憎んだのだろうか? 私は違うと思う。ゆえに、彼女が所持していた宝剣……あれならば、妖精の呪いに対し何か特効薬の役割を持つのではないかと考える」
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