3-②


 ヒエンの社を離れて山の頂上へ行き、そこから北へと下っていけば王都リッシェが見えてくる。砂や小さい石がゴロゴロと足元を転がる道から、雑草などの草木が目に見えて増えてきた。ディオ達は、その中腹で足を止めて野宿をしていた。

 早く王都へ向かいたい気持ちはあるが、暗闇は方向感覚を鈍らせる。それにこの山道には、獣だけではなく、妖魔の残滓も漂っていた。

 商人や旅人は、魔術が組み込まれた魔法具を持ち歩く。そこには、野宿に必要な妖魔避けの粉や、辺りを照らすランタンなどが詰めこまれている。それを初めて見たヒエンが、物珍し気にしていた。

「便利よなぁ。術士でなくとも、どんな人の子でも扱える魔術じゃな」

 焚火代わりのランタンを地面に置いて、それを上から覗き込みながら彼女は言う。あまり離れていない所では、薄緑色の小型テントが張られていて、その中で毛布にくるまったネモが眠っていた。ランタンを間に挟み、ヒエンとディオは向かい合って座っている。

 今夜は月が雲で隠れた夜だった。心もとない明かりは二人の顔を照らすが、互いの視線は交わらない。先に話を切り出したのはヒエンだった。

「汝が王都へ行く目的は分かったが、余計に分からなくなってしまったよ。なぜお嬢を連れていた? あの子は――妖精じゃろう? まさか、気付いていないとは言わせぬぞ」

 ディオは思わず暗闇の中、テントの方を向いた。ディオに背を向けているネモの毛布は、ゆっくりと上下に動いている。それを確認して、彼は囁くような声で答えた。

「……俺が気付いた理由は、ネモが治癒の魔術を使っていたからだ。あれは、妖精だけが使える魔術だと聞いていた」

 脳裏を過ぎるのは、同じ治癒の魔術を得意としていた彼の妻だ。治癒の魔術は、妖精界が作られてから生まれた魔術だった。それを、人間が使える筈がない。人間が使う魔術の根本には、妖精から教えを受けた歴史がある。数百年の時を経て、新たに彼らが魔術を生み出したとなれば話は別だが、少なくとも、ルプス村で治癒の魔術を知る人間は居ないようだった。

 だが、ネモが妖精だと確信する理由としては足りない。

「妖魔は、人間と妖精を見分けることが出来るのか?」

「うむ、汝らには分からないようだが、姿は同じに見えても、構造は全く違う。ゆえに、余は思ったのよ。何とも奇妙な二人組だな、と」

 ヒエンは笑みを浮かべながら言葉を紡ぐ。

「片や、妖精の気配を色濃く残す人の子。片や、人間に紛れて過ごした妖精……不思議な組み合わせの二人が、違う目的で王都へ行く。これは面白いと……おっと、そう睨むな」

 ディオは、彼女をランタン越しに見て、ため息を吐いた。

「成り行きだ。……それでも、助かっている。俺は旅慣れしていないから、野宿の時や、立ち寄った村での交渉術などは、彼女のお陰で何とかなった」

 ネモの明るさは、どんな人とも打ち解ける強みがある。彼女は、ルプス村の住民と、何度か商いの為に王都と村を行き来したこともあった。今使っているランタンなどは全てネモが旅立つ前に、彼女の母親から持たされたものだった。

 予想以上に時間は掛かったが、王都は目の前だ。

「ネモの存在が危険だ、とは思わぬのか?」

「何?」

 ヒエンが、自身の髪を指に絡めてもてあそぶ。その隙間から白銀の髪がこぼれていく。彼女の視線はその毛先に向けられて、口元から笑みは消えていた。

「汝はすでに、妖精の悪性を感じている筈。あの者たちは、世界にとって害となる」

「……まだ確証があるわけでは」

「そうやって目を背け続けるつもりか? とにかく、汝が王都に行くのであれば、妖精を側に置くのは危険じゃよ。出所が分からぬ宝剣も持っている。純粋無垢に振る舞っておいて、心の内では、良からぬ事を考えているやも知れぬぞ」

 ヒエンらしい身勝手な言い分だった。同時に、ディオが無意識に目を逸らしてきたリスクでもある。

 それでもルプス村からここまで、共に旅をしてきたネモを知るディオが、厳しい視線を再びヒエンに向けても、彼女は言葉を止めなかった。

「――ディオ、汝にとって、ネモは何だ?」

「それは……」

 その問いに、ディオは答えられなかった。ヒエンの質問は難しいものではない筈なのに、喉に詰まるような感覚がして、うまく言葉が吐き出せない。

するとヒエンが、ふ、と目元を和らげる。

「うむ、答えられぬのなら良い。余も、素直なお嬢が悪だくみなど考えていると本気で思っている訳では無いからなぁ。いつか、納得がいく答えが見つかったときに余に教えてくれ」

 あくまで可能性を提示しただけだ、と告げるヒエンに、ディオは険を滲ませた。

「……どうしてお前に言わないといけないんだ」

「当然、余が楽しいからだ」

 悪びれもせずに笑みを浮かべたヒエンに、ディオは付き合っていられないと、首を横に振った。


 そんな会話を、毛布にくるまりながら、ネモは身じろぎせずに聞いていた。けれど幸か不幸か、二人の囁き声はほとんど彼女に届かない。だから、分かるのは、ディオとヒエンが何らかの隠し事をしているのだ、という事だけだ。

(私の名前。……何の話をしているのでしょう)

 でもきっと、今ここで自分が起き上がっても、彼らは教えてくれない。ネモはモヤモヤする感情を自分の中に押し込んで、無理やり目を瞑った。


 *


 狐里雲を離れて、三日目の昼過ぎ。

 城下町ルビーナの大きな門構えが見えてきたのは、ようやく山を越えて豊かな森に入り、しばらく経ってからだった。森林を抜けたやや高さがある崖の上から、太陽に照らされた町が見えてくる。

 石造の桁橋が三つ、川の上に等間隔に設置されている。橋の向こうはそれぞれ大きな門があり、どの門も人で溢れて行列になっていた。鈍色の甲冑を着た何人かの騎士が対応しており、ゆっくりと列は進んでいる。

 上から眺める限り、城下町の最奥には王城らしきものが見えた。というのも、やけに城下町と離れているからだ。更に、周りを木々で囲われ一見すると城を隠しているのかとも思う。

「もう少しで、着きますね……」

 ルプス村を出発し、約十二日後。本来なら、ルプス村から一週間で着くと聞いていたが、クォーレ山脈を迂回してきたため、予定より掛かってしまった。

「ああ。……ネモ、具合でも悪いのか?」

 えっ、とネモが声をあげる。ディオは、狐里雲に居た頃に比べて、少し元気が無い彼女に気が付いていた。ネモは、慌てて首を横に振る。

「そんな事無いですよ!」

「野宿が続いて、疲れが取れていないのではないか?」

 ヒエンが言えば、ディオはなるほど、と納得した。

「気を回すべきだったな。まだもう少し歩くし、ネモが持つ荷物も俺が持つか?」

 ネモに旅に必要な荷物――魔道具など――を多く持たせている訳では無いのだが、少しでも身軽になった方が、彼女も楽だろう。そう思って提案したのだが。

「平気です! 子供扱いしないでください!」

 頬を膨らませ、いかにも“怒っています”といった表情で、ネモが歩き出してしまう。いつになく荒っぽい足取りに、ディオは何とも言えない表情で顔を顰めた。

「……怒っている? 何か、悪い事を言ったか……?」

「さぁて。とにかく、お嬢を一人で行かせるわけには行かないじゃろう……ほら、人の子よ、ショックを受けてないで行くぞ?」

「ショッ……受けてないが」

 ヒエンに余計な一言と共に促されつつも、ディオはネモを追う。しかし、声を掛けるのは憚られた。困ったな、とディオは考えつつ――自分の感情に戸惑っていた。

(……嫌われた? ……いや、どうして俺はこんなに動揺しているんだ)

 考えているうちに、ネモの機嫌はコロッと良くなって、目を輝かせる。まだ城下町に足を踏み入れてもいないのに、お祭りのような賑やかな声が、その町から響いてきたからだ。

「早く行きましょう!」

 さっきまでのやり取りをすっかり忘れたように、ネモが嬉しそうにディオ達を呼ぶ。そんな姿に、彼はホッとした。

 自分の何が彼女の地雷を踏んだのか分からないが、とにかく、彼女を怒らせないように気を付けよう、と思いながら。


 城下町ルビーナは東西に長く、その東と西を繋ぐ通路をビヨーロ通りというらしい。あらゆる地方から商人や観光目的で訪れる人の多さと、客寄せをする露店商人の声が響く。

 賑やかで色鮮やかな街並みには、目が回りそうな人の圧を感じた。

「へぇ……今日は年に一度の祭典なんだ……わぁ! パレードもあるんだ!」

「お嬢、フラフラするとはぐれるぞ?」

 ネモとヒエンが話している姿を横目に、ディオはこの後の行動について考える。王城は目前で、ディオとしては、一刻も早く向かいたい。

(王命を果たしても終わりじゃない。妖精界へ戻る前に、ネモが持つ宝剣についても調べたい)

 また、これまでの旅路で見てきた妖精の呪いについても詳細がハッキリしていない。それが世界歴1421年で起きる世界の滅びに関わっているだろうことは、推測出来ているのだが。

(そのあたりも、人間の王は何か知らないだろうか)

「ディオさん? なんだかボーッとしてます……?」

 ネモが呼ぶ声に我に返る。

「大丈夫だ。今日はここで宿を取るだろう。先に取りに行こう」

「……その後は、お城へ行くんですね?」

 ディオが頷くと、ネモは少し残念そうに息を吐いた。その様子から、ネモはこの祭りの雰囲気を楽しみたいのだろうと察する。彼女は、ルプス村に比べれば規模も華やかさも格段に違う城下町を堪能したいだろう。

「ヒエンと一緒に周辺を見てきたらどうだ」

「えっ」

 ネモが驚いたように目を見開く。それからすぐに首を横に振った。

「……ヒエンと二人は嫌か」

 ディオも、自分なら嫌だな、と思い呟く。

「いえ! ヒエンさんと二人なのが嫌というわけじゃなくて……うーん……」

 何となく、ネモの言いたい事が伝わってくる。しかしディオは返事がしにくかった。

 ――ディオにとって誰かとの『約束』とは、なにものにも代えがたいものだ。それは守らなければならないものであり、彼の指針でもある。確証が無い約束は、なるべくしたくない。

 ネモは言い出しづらそうに顔を曇らせている。お互い微妙な沈黙が生まれた。そこで、ディオは妥協案を出す。

「君と祭りを周りたくない訳じゃない。時間があれば、俺も一緒に行こう」

 すると、ネモの表情が分かりやすく明るくなった。

「はい! やった! ね、ヒエンさんも!」

話を振られたヒエンは、紅色の唇を少しばかり尖らせる。

「えー、余もかー……当て馬にされそうじゃのぅ……あっ」

 深紅の瞳がディオを射抜くように見詰めた。ディオは疑念の眼差しを彼女に向ける。

 しかし、ヒエンは結局何も言わず、代わりにため息を吐いた。

「……まぁ、いずれ分かる事か。どうせ、これは妖魔にしか分からぬ感覚じゃ」

「さっきから何を言っているんだ」

「人の子よ、見えるものだけが全てではない。汝の目には、みな、同じ色を宿していると見えていても……本質は全く別じゃ」

「それは忠告か? お前の言葉はいつも分かりづらいな……ネモ、良い宿は知っているか?」

「はい! お母さんと来たときには……」

 ヒエンは誰にも聞こえない声で続けた。

「この町は、人間以外に妖精が多すぎる。人の子には見抜けぬか」

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