第三章 妖精の呪い
3-①
現在の妖精界の在り方は、過激派が抱いていた思想に塗りつぶされようとしていた。
少し前に妖精界を治めていた妖精王が逝去した。その日、妖精界は大きな地震に襲われて、雨が三日間降り続いた。
あまりにも突然の訃報に、妖精たちの間で様々な推測が飛び交った。
――人間界を侵略し領土を広げようと考える過激派に暗殺されたのではないか。
――妖精の寿命は長くて五百年。妖精界が生まれる以前から、王として妖精をまとめてきた御方だ。寿命が来てしまったのではないか。
(噂だと、妖精王は人間界の侵略を企てていたとも聞いていたけど。だから、過激派の暗殺は無いと思うが)
久しぶりに王城を訪れた青年ルコは、そう思う。
ルコは、妖精界第二皇子、ラルド・レ・ロランが暮らす別邸の護衛を務めている妖精兵である。
数年前、王の采配で第二皇子は別邸へ移った。それは、暗雲が立ち込める王城から遠ざける必要があったからだ。ここ数年の妖精界、特に王城では、人間界への侵略を提言する過激派と、それに否定的な保守派が争っていた。
それも、今では完全に過激派に意見が偏っている。だから、緊張感漂う王城に、ルコは居心地の悪さを覚えていた。
(俺達を招集って……何を考えているんだろう)
王城へ集まるようにと声が掛かったのは五日前の事だ。ルコも、共に王城へ来た妖精兵たちと共に、白銀で塗りつぶされた城門を潜った。
高い天井にぶら下がる金のシャンデリアが、広いホールをオレンジ色の光で照らしている。窓から差し込む月の光と混じり、昼間と変わらない明るさが、普段なら心を落ち着かせるはずだ。
それなのに、ルコは言葉にしがたい不安を抱いていた。
螺旋階段を上り、城の最上階へ向かうと、『貴人の間』と呼ばれる大ホールに辿り着く。部屋の隅には、動物を生きたまま黄金色で塗りつぶしたような、躍動感溢れる銅像が並んでいる。晩餐会も兼ねた招集のためか、ホールに置かれた丸いテーブルの上には、まだ温かい料理が並んでいた。そして。
部屋の奥には、柔らかい笑みが印象的な、金髪の青年の姿がある。
彼を見つけた途端、ルコは懐かしい気持ちに襲われた。
(――ロレット皇子だ)
ルコは幼少期の彼を知っている。彼は数年前、王城の妖精兵の一員として、拝謁を許されたことがある。第二皇子の護衛に任命されてから、長い間、彼をこの目で見たことは無かった。
「よく来てくれた、皆」
ロレットが昔と変わらない、透き通った声で囁く。その笑みも、声も、何も変わらないのだと、ルコは思い出に浸りながら聞いていた。
「人間界を攻める時が来た。今日集まって貰ったのは、その計画についてだ」
――何も、変わらないと。ルコは自分が勘違いしていたと、すぐに気が付いた。
「偵察で向かわせていた妖精からの連絡によると、人間界には未だ妖魔が居る。だが、人間界の様子を見ると妖魔は表に出ないように努めているらしい。我々の邪魔になるようなら、今のうちに手を下すべきと思ったが……まぁ、放っておいて良いと思う」
動揺するルコに構わず、ロレットが淡々と告げていく。
「敵兵は王都にほぼ集結している。といっても術士など、我々の敵ではないだろう。……かつて、妖精は……私の父は人間に敗北した。私はそれを甘さゆえの結果だと思っている。我々はこの数百年で力を蓄えてきたんだ。二度の敗北は無い」
彼は堂々とした振る舞いで言葉を紡いでいく。
「今、人間界を偵察している全ての妖精達が戻り次第、計画を実行する。皆には戦いに備えて欲しい」
どこからともなく歓声が上がった。予定されていた晩餐会が始まると、金縛りを受けていたかのように硬直していたルコは、ようやく動き出すことが出来た。
それでも思考は混乱している。ロレットは何を言ったのだ。
――人間界を攻める、だって?
周りを見渡す。歓声を上げていた者たちは、笑顔で同胞と料理を囲み、酒を呷ってる。一方で、辺境の地から来ている妖精兵たちは戸惑いを隠せていない。
この違いは、何だ。
言葉にできない違和感を抱えたまま、ルコは、ロレットに近付いた。彼は他の妖精たちと気安く話をしている。ロレットはルコの姿を目にすると、ああ、と嬉しそうに目元を和ませた。
「君も来てくれていたんだね、ルコ」
「私を覚えておいでですか」
「勿論。短い間だったが、かつて、僕……私の護衛を務めてくれただろう。私の弟は元気かい? もう、随分会っていないが、母上も元気だろうか」
別邸には、ロレットの弟だけでなく、彼らの母も住んでいる。優しさを滲ませた声音に安堵しながらも、ルコは尋ねた。
「はい。……ロレット皇子……いえ、王よ。今一度、どうか、お考え直しください」
「何を?」
まだ、あどけなさを少し残した青年が首を傾げる。ルコが握りしめた拳に力がこもった。
「人間界を攻めるなんて……戦争を起こせば、私達も無傷ではいられないでしょう。それに、ロレット様はかつて、人間の少年と親しくしていたではありませんか。そんなことをすれば彼は悲しみます」
そう言いながら、ふと、ロレットの側にいつも居た、彼と同い年くらいの少年の姿が無い事に気が付いた。ルコが護衛としてロレットに付いていた時、彼が魔術を教えていた氷使いの人間だ。
ロレットは、顔を顰めてため息を吐いた。
「ああ……うん、良いんだ。その話はやめてくれないか。頭が痛いから。――ルコ、君の気持ちは分かるよ。僕も、一度は侵略に反対した。でも、考えてみたら……僕たちは奪われたものを取り戻すだけだと気が付いた」
「必要な事でしょうか。今の妖精界は平和です、それをわざわざ崩してまで」
言いかけたルコの言葉が止まった。視界がグルリと回ったからだ。
気が付いた時には、ロレットは腰に差した剣を抜いて、その切っ先を振り被った後だった。ルコの胴体と頭が分かれて、裂かれた所から風が湧く。
わぁっ、と誰かが悲鳴を上げた。恐怖と、歓喜の、まったく正反対な二つの声があちこちで湧いた。
「もうその話は終わっているんだよ、ルコ」
ロレットはため息まじりに呟いた。場の空気に構わず、男が一人前に出る。ロレットがそちらへ視線を向けた。大柄で威圧感がある男だった。
「王よ。人間狩りの件について、相談したいことが」
「レグイスか。ああ……好きにすればいい。君たちも物好きだな。これから侵略するのだから、人間を攫ってきた所で意味も無いだろう」
以前から相談を受けていた案件だ。男――レグイスはうっすらと笑った。
「意味はあります。攫った人間は高値で取引される。これは必要な事です」
「そうかい?」
腑に落ちないような表情でロレットは首を傾げる。
「我らの同胞アデリナは人間を信じた結果、悲惨的な最期を遂げた。王よ、人間は信じてはいけません。彼らは容易に裏切るのだから」
ロレットは、信じる、という言葉に一瞬だけ眉を寄せた。それに気が付くことはなく、男は、脳裏に四百年前のアデリナの最期を思い出しながら……呟く。
「――妖精は、この憎しみを人間に当てなければ、正気で居られない」
ホールで起こる惨状を、窓の外で、黄金色の光が見詰めている。形が無い、不安定に漂っているぼんやりとした灯は、ふ、と誰にも気づかれずに消えた。
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