2-⑬

「お嬢。ひとつお願いしても良いかの?」

 ヒエンに言われて、ネモは首を傾げた。

 ヒエンはどこからともなく小さな包みを取り出した。彼女は柔らかい布で覆われたそれを解いて開く。思わず、ネモは小さな悲鳴をあげた。その下に現れたのは、半分溶けたように崩れている大蛇の頭だった。

「びっ……くりしました……」

 ネモは咄嗟にディオの服の裾を掴み、

「まさか持ち歩いているのか? 趣味が悪いぞ」

 幾ら好いた相手とはいえ、亡骸を持ち歩くのは……とディオが苦言を零す。

「そんな訳ないじゃろう。汝、余を何だと思っておる?」

「あれ、何だか……小さくなりました?」

 ネモは改めて、少しディオの後ろに隠れながらヒエンの手元を見る。そういえば、ヒエンと湖で分かれる際、彼女が生み出す蝶が大蛇の死体に群がっていた。

「あのままの大きさだと持ち運びにくいじゃろう?」

「……やっぱり持ち歩いているんじゃないか」

 コホン、とヒエンが咳ばらいをして、ネモに遠回しな言い方で頼みごとをした。

「あやつが妖魔となったのは、当時の人間達のせい。だが、今世に目覚めたのは別の原因だ。それを払わねば、あやつも浮かばれぬじゃろう。だから、お嬢の手が必要じゃ」

 ネモはよく分からないまま、小さく頷いた。

「私に何が出来ますか?」

「汝が持つ宝剣。それがあれば、この呪いが解かれる」

「……呪い? 私が持つ、宝剣……?」

「先ほども言ったが、大蛇の封印が解かれたのは、妖精が呪いを持ち込んだからじゃ。汝の宝剣には、それを払う……そうじゃな、治す力がある。覚えはないか?」

 剣――宝剣を使ったのは、一角獣と対峙した時だ。自分が剣を抜き、少し振っただけで彼は正気に戻った。そんなことを思い出しながら、ヒエンが言う『宝剣』を取り出す。

「この剣に、そんな力が?」

 ディオも、ネモが鞘から引き抜いた宝剣の、輝く刀身を見て目を細めた。ディオがルプス村でオーナーに見せられて、触ったときは古い錆びた剣だったのに。

「私もこの剣について、詳しく知らなくて。そもそも、どうやって使う……わぁ! 光が……!」

 宝剣がネモの手の中で光を強め、やがて、細かい粒子が波のようになり、大蛇の頭に注がれた。ヒエンが持つそれが輝きに包まれたかと思うと、黒い煙のようなものがあがった。光と混ざりながら空気に溶けていく。

 ……時間にして一分ほど。やがてヒエンが短く息を吐いた。青白い指先が、労わる様に大蛇の頭を撫でる。

「終わったな。これがその宝剣の力じゃ。お嬢は、何も知らないようじゃな」

 頷いたネモに、ヒエンは少し考える。

「……この宝剣の本来の持ち主は、アデリナという。四百年程前の妖精だ」

「魔術師アデリナか」

 ディオは呟き、自分が、かつて妖精界に居た時に書物で得た知識を手繰り寄せた。

「人間と妖精を繋いだ魔術師。四百年前の混沌の時代に、アデリナが人間に声を掛け、人間との共同戦線を築いたとされる……だが、戦時中に亡くなった、と」

「そう、規格外の強さを持つ妖精じゃった。奴の名は、この大陸中に響き渡っていただろう……そのアデリナが持っていた宝剣は、生きている」

 ネモは宝剣を胸の前で掲げてみせた。淡い光をキラキラと放っている。

「独自の意思があり、己が所有者を選ぶ。その宝剣の力は、どんな魔術とも異なる。闇を払い、呪いを解く。その剣の声が聞こえぬか?」

「声? ……ええっと、分からないです。でも、あの、何で私なんですか?」

 困惑気味に、ネモは呟く。すると、ヒエンは少し笑みを浮かべた。

「理由は――あるよ。でもそれを言ってはつまらんのぅ。宝剣がいつか、汝に語りかける時が来るじゃろう。そのときに聞くべきだ。なにせ、余は部外者。あれやこれやと言ったところで、まだ完全には信じられぬじゃろう?」

 ヒエンは歌うように告げる。

「己の目で、耳で知るべきじゃ。大事なものは特に、な」

 もう一度ヒエンが大蛇の頭を一撫でして、宙に浮かばせた。すると、どこからともなく現れた半透明な蝶の群れが覆い尽くし、それらが同時に飛び去った時にはもう消えていた。

「良い感じに話をまとめようとしているが、結局、自分が話したくないだけだろう。呪いの詳細も知っているんじゃないか」

「ふふっ、人の子は、余の事を分かってきたのぅ。だが生憎と、呪いに関しては余も分からんよ。専門外じゃ」

 ディオが険を滲ませると、ヒエンは笑みを浮かべて答えた。話を聞いたネモは、ううん、と唸る。宝剣を鞘に納めると、光が収まった。

「宝剣が、いつか、教えてくれる……分かりました。今は、宝剣があれば、呪いに冒された人を助ける事が出来ると覚えていれば良いですよね?」

「そうだな。……ネモ、宝剣の声とやらが聞こえたら教えてくれ」

 ディオが考え込みながら言えば、ネモは当然だと頷いた。

「宝剣についてディオさんも知りたいですよね」

「え?」

「……あれ?」

 ディオが虚を突かれたような表情をするので、ネモは不思議そうに首を傾げた。そんな彼女に、ディオは歯切れ悪く告げる。

「あ……勿論、宝剣について知りたいが……言葉が足りなかったな。俺は君の心配をした。道具が意思を持ち、所有者に話しかけるなんて、少なくとも俺は聞いたことが無い。何かあったら、と」

 得体の知れない力を無暗に使うべきではない。それが、使用者にどんな影響を与えるのか分からないからだ。だからディオは、まず彼女の身を心配した。

「私の早とちりですね! ごめんなさい!!」

 無性に恥ずかしくなって、ネモは深々と頭を下げた。顔を上げれば、その頬は赤く火照っている。

「いや、だから間違っては……」

「い、いいえ! 蒸し返すのはやめましょう! ね!」

 居たたまれない、気まずい。二人は何とも言えず、口を噤む。すると、

「ところで」

 コホン、とヒエンが咳払いをした。彼女は人を食ったような笑顔で割り込む。

「汝ら、これからどこへ向かうのだ?」

 ネモは、先程の動揺を深呼吸で落ち着かせて答えた。

「王都リッシェへ!」

「王都か……」

 なるほど、とヒエンは頷いた。ネモは、丸い緑色の双眸を瞬かせる。

「余も同行しよう」

「え」「は?」

 ネモとディオは、同時に声をあげた。前者は純粋な驚きの、後者は嫌悪を滲ませた声だ。二人の反応に、ヒエンは面白そうに唇をつり上げる。

「久しぶりに、こうして人に触れるのも悪くない。人の子……ふふ、着いて行けば、きっと楽しい事が待っているに違いない」

 ディオを見て、それから、ネモを見て。何を推測したのか、彼女は上機嫌だ。ネモは、驚きから我に返ると、目を輝かせて声をあげた。

「一緒に王都に来てくれるんですか?! 私、ヒエンさんともっと仲良くなりたいな、って思っていたので……嬉しいです!」

 そして、ディオを見上げた。彼女の瞳に不安そうな色が浮かぶ。

「旅は、大勢の方が楽しいですよ……?」

「……まぁ、道連れが一人増えたところで変わらないか……」

 居ようが居まいが、彼の目的が変わる事は無い。後は王都に向かうだけだ。そして、親友との――ロレットとの約束を果たす。

 ネモは飛び上がって喜んだ。そんなにか? と、ディオは呆れた表情になる。

 ……二人を眺めながら、ヒエンはやはり笑みを湛えたまま、胸の内で呟いた。

(過去を払拭し、コユメを救えたのはディオとネモのお陰。これは恩返しじゃよ。狐の恩返し。汝らの旅の行く末を見届けよう)

 まだ、ヒエンはディオとネモについてよく知らない。どうして旅をして、王都へ向かうのかも知らない。

 ただ――彼らが“異様”な二人組である事に気付いている。

(当人たちは……)

 少なくとも、ネモは分かっていないだろう。少女は、心の底から満面の笑顔を浮かべ、ディオと話している。

「出発しましょう、ヒエンさん!」

 話が一区切りついたのか、ネモが思考の海に沈んでいたヒエンを呼んだ。

 目指すは、王都。

「……ロレット、待っていてくれ」

 誰に聞かせるのでもなく、ポツリとディオは呟いて、王都の方向を見据えていた。

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