2-②
ディオとネモがクォーレ山脈に着いたのは、ルプス村を出て、五日後の昼の事だった。
王都に向かうには、ルプス村から北に進み、標高三千メートル程あるというクォーレ山脈を越えなければならない。
ディオの想像以上に山脈まで距離があり、かつ、移動手段が限られていた。
転移系の魔術は存在するが、ディオが知る限り、誰でも使える訳では無い。こちらの世界での移動手段は、徒歩や馬車になる。その馬車も、人間界では荷物を運ぶために使われる事がほとんどで、自身の移動用としては使わないらしい。荷台に荷物を乗せ、馬に引かせ、人間は歩く。人間が乗らない分、荷台には多く物を乗せる事が出来るし、馬の負担も減る。
そういうわけで、自然が満ちた森や、ポツポツと広がる村、或いは集落を過ぎて、ようやく二人はクォーレ山脈に辿り着いた。
「通行止めだと?」
思わずディオは、甲冑を纏う男が言った言葉を繰り返した。
クォーレ山脈の入り口付近。その周辺には、ディオ達と同じように、足止めを食らっている行商人の姿もある。
王都から派遣されたという騎士は、重々しい態度で頷く。
「数日前から、突如、山脈に住み着く妖魔が暴れだしてな」
元々、妖魔は人間が居ない場所に住む傾向がある。騎士や術士が妖魔の全てを把握しているわけではない。基本、妖魔が人間に危害を加えない限り、下手に刺激はせず見て見ぬフリをする事も多い。わざわざこちらから出向いて、妖魔を積極的に排除する必要は無いだろう、というのが王都の面々の総意だった。
「クォーレ山脈でも妖魔の目撃情報は何度もある。だが、大人しい妖魔だと聞いていた。整備された登山道にも近付いて来なかったのだが、嘘だったのかね」
騎士はため息をつき、疲労を隠しもせずに呟く。
「お陰で、王都から、騎士や術士が大勢ひっぱり出されてな。一体ならまだしも、触発されたのか、何体もの妖魔が興奮状態らしい。幸い、奴らが山脈から降りてくる気配は無いが」
「事情は分かった。俺達はどうしても王都に行かなければならない。どうすればいい?」
ディオは尋ねた。騎士は指を差す。その向こうでは、王都を目指す商人などの行列が出来ていた。
「時間は掛かるが、山脈の道中に待機している騎士、術士の数名で護衛をし、王都まで送り届けている。安全面を考慮して遠回りもしている。だから……通行止めが解かれるのと、護衛しつつ山脈を越えるのは、ほぼ同程度時間が掛かるとみて良いだろうな。具体的には、半月からひと月程か」
「そんなに長く待てない。……他に道は無いのか」
なおも食い下がるディオに、騎士はやや鬱陶しそうな表情を浮かべた。それからしばらく悩み、言いづらそうに口にした。
「無いわけではない。ここから西は山道が続く。この道は妖魔が多く出るが、山のてっぺんまで行き、そこから北側へと下っていけば、王都に着く。この状況で山脈を越えるよりは、こちらの方が早く着くだろうな」
ネモは、ディオから預かっている地図をウエストポーチから取り出すと、地形を確認した。確かに、西側には険しい山が連なっているが、それらを越えれば王都が見えるだろう。
「確か、今でも集落が残っていた筈だ。そこで少し休ませて貰いながら、王都を目指すと良いよ」
「ありがとうございます!」
ネモは騎士にお礼を言って離れてから、ディオを見上げた。
「どうしますか?」
尋ねられたディオは、どちらも妖魔の危険が少なからずあるならば……と、少し躊躇いがちに口を開く。
「西に向かいたい。……ネモ、ここでお前だけ村に戻る、という――」
「帰りません! 私も王都に行きます!」
「――選択肢も提案しようと思ったんだが」
クォーレ山脈のように、人が通り易いよう配慮された道が続くとは限らない。小柄なネモの体力も心配だが、ここまで来た以上、彼女に帰るよう強制は出来ない。
「……言ったところで頑として付いてくるだろうな……」
「何ですか?」
「いや、何でもない」
予定外だが、二人は西の山道に向かって歩き出した。
幸いというべきか。ある程度、人の行き来があるようで、じゅうぶんとは言えないが整備されており、通りやすいように木々が伐採されている登りの坂道があった。クォーレ山脈の話を聞いた時から、山脈越えの大変さをある程度覚悟していたのだが、終わりが見えない不安感というものは、足を鈍らせる。それらを考えないようにしながら登っていく。開いた視界の先に浮かぶオレンジ色の空が少しずつ近くなった。
やがて坂を抜け、平らな道が広がった。そこで、ふぅ、と、ディオの後ろを歩いていたネモが息を吐いた。
「疲れたか?」
「いえ! 全然元気です!」
ディオが振り向いて気遣えば、彼女は即答し笑顔で首を横に振った。彼は頷きながら、少し無理をしているような明るさだな、と思った。
ここに来るまで妖魔の姿は見なかった。騎士の話では、一度山頂に登り、王都へ向かう下山の道に頻繁に出るらしい。一角獣のように力のある妖魔はテリトリーを持つ。今のところ、ディオ達は敏感にそれを察知して王都へ続く道は、これまでより注意深く周囲を警戒する必要がありそうだ。
そう考えながら、ディオは少しずつ日が暮れ始めた空を見上げた。
「騎士の話だと、集落が残っていると聞いたが。近くにあると良いな」
空が色を変えていくにつれて、少しずつ気温も下がってきた。集落が見つかり次第、体力を温存する為にも、早めに休息を取りたかった。
「そうですね。……あれ?」
ネモも同意し、そのとき、視界の隅を過ぎった生き物を捉えて首を傾げた。黄色くてフサフサした一本の尻尾が地面を叩く。ディオも彼女の視線を追い、その生き物に目を留めた。
「狐?」
ジッ、と、その狐は二人を見詰めたかと思えば、身を翻した。数歩進み、かと思えば、振り向いてこちらを伺う。そこから動かなくなる。ネモは納得したように手を叩いた。
「着いてこい、って言ってます?」
「まさか……相手は狐だぞ。意思の疎通ができるとは思えない」
催促するように、狐が前足で地面をガリガリと掻いた。ネモが好奇心に溢れた視線をディオに向ける。ディオは、二匹の小動物に見詰められているような錯覚に襲われた。
「分かった……行けばいいんだろう、行けば」
願わくば、案内の先に、集落があることを祈って。
狐は、山頂へ続く整備された道からは逸れた方向に二人を導こうとしている。西へと歩いていた彼らだが、徐々に北西へと向かいつつある。下り道が増え、平坦な道と下り坂を繰り返す。砂利が靴裏を撫でると、滑りそうになった。周辺は枯れ木がポツポツとあるくらいで、視界は狭くないのだが、坂のせいで見通せない。
狐は少しでもディオとネモが遅れると、止まって待ってくれていた。狐と出会い五分ほど経つだろうか。またひとつ、やや急な坂を下り切ると、再び平らな道が戻ってくる。
二人は足を止めた。
広い場所に出た。大小の小石が地面に敷き詰められている。また、目線の先には白い霧のようなものが漂い、うっすらと石段のようなものが見えるのだが、よく分からない。その、不思議な霧の前に。
黒いドレスの女性が立っていた。
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