第二章 狐と大蛇
2-①
世界歴1418年。とある夜、私は熱を出して、布団に潜っていた。妖精の同胞たちは「フィラ、貴方は働き過ぎだ」と私に言った。世界の支配者が人間から妖精に変わり、私たち妖精の多くが、妖精国からこちら側にやってきた。でも全員が人間の隷属化に賛成したわけではない。
人間の意思を尊重し、彼らと対等でありたい。そう願う一部の者たちは、王都を離れ、この遠い村の跡地にやってきた。悪質な妖精が踏み荒らしたため、酷い有様になっている土地を、私達は開拓している。
枯れてしまった土地を蘇らせて、村を復活させて……やる事は沢山ある。寝込んでいる場合ではないのだ。
「眉間の皺が凄いな」
ぽつり、と声が降ってくる。歪に木の板を張り巡らせた小さい小屋は、風通しが良すぎて、夜風がヒュウヒュウと鳴っていた。その音にかき消されそうな、小さい声だ。
「余計な事を考えないで寝た方が良い」
その人は、いつの間にか私の小屋に入ってきていた。
「こんばんは、ディオ。……あら、貴方の手、とても冷たいのね」
汗ばんだ額に掛かった髪を払おうとしてくれたのだろう。彼の手のひらが氷のように冷たくて驚けば、すぐにその手は引っ込んだ。
「何でやめちゃうの? 看病してくれるんじゃないの?」
「様子を見に来ただけで、すぐに戻るつもりだ。……自分の治癒術で治せないのか?」
「治癒術は万能じゃないのよ。それに、あれは二十年くらい前に妖精が作り出した魔術だから、まだ制限も多くて……ねぇ、そんなことより、もう一度! もう一度やって!」
ディオが首を横に振り、仕方ないと言いたげにため息をついた。
額に置かれた手が、冷たくて気持ちが良い。
氷の術士は、その性質に体質が引き摺られる事が多い。四肢が氷のように冷え、熱い物に極端に身体が反応してしまう。ディオも例に漏れずその体質だ。私の熱もあって、彼の手は、冷水に漬けた布よりも冷えている。
「私が眠るまで、このままで……」
瞼が重くて、目を開けていられない。
「俺は火傷しそうだ、フィラ」
彼は文句を垂れて私の名を呼ぶ。けれど、その手のひらが離れる素振りはみせなかった。
*
スコット食堂へ戻ってきたディオとネモは、すぐに、オーナーの元へ向かった。
ネモはディオと旅立つために、自分の思いを懸命に母に伝えた。
「だから、私、ディオさんと王都へ行く」
一言も口を挟まずに耳を傾けていたオーナーは、ネモがそう話を締めくくると、重く長いため息をついた。
「私は……正直、反対よ。勘違いしないで、ディオさんの実力を疑っている訳じゃない」
でもね、とオーナーは続ける。
「今まで村を襲う妖魔なんて居なかった。なのに、最近では色々なところでそういう事件が起きている、って聞くわ」
いくら王都から離れた村とて、行商人等から話が入ってくる。
「そんな危ないかもしれない旅に、娘を行かせる親が居ると思うの?」
「お母さん……」
ネモは、自分を想う母の気持ちを痛いほど感じ取って何も言えなくなった。もしもネモが逆の立場でも同じように心配しただろう。
ネモには記憶の欠落がある。それを知るのは恐ろしくもあって、だから「記憶が無くても元気」だと振る舞ってもいた。実際その記憶を取り戻すことに執着がある訳じゃない。
ここの生活が楽しいからだ。ルプス村の人たちは優しい。ネモはまるで故郷のように感じている、それでも。
「私と一緒にあった剣の力について知る機会は……今しかない」
根拠のない直感でも、ネモは言い切った。
「お母さん、私は絶対、ルプス村に帰ってくるよ。お願い!」
ネモは真剣な目で告げた。
オーナーも真正面からそれを受け止めて、しばらく沈黙が続いた。
「……ディオさん。この子を守ってくれますか?」
「ああ。彼女がルプス村へ戻れるように」
ディオの返事を聞いて、オーナーは息を吸い、ゆっくりと吐きだした。
「分かりました」
「ほんとう!?」
ネモは目を輝かせた。ディオを振り向いて満面の笑みを浮かべる。彼はその姿に微苦笑を浮かべた。
「ディオさんの迷惑にならないようにね。ディオさん、この子をお願いしますね。そそっかしい所はあるけど……」
「お母さん! 余計な事は言わないでよー!」
ネモが慌てた様子でオーナーの言葉を遮る。オーナーは微笑んだ。そこに、寂しさが隠し切れずに浮かぶ。ネモも少し眉尻を下げて、少しだけ泣きそうになった。
しかし、彼女は旅立ちを決めたのだ。グッ、と拳を握りしめて、満面の笑顔で手を振った。
「行ってきます、お母さん!」
「……行ってらっしゃい、ネモ」
母子の別れを見守っていたディオは、オーナーに頭を下げた。
歩き出しながら、後ろを付いてくるネモに尋ねた。
「大丈夫か」
「平気です。一生の別れ、とかでも無いですし。……無いですけど」
ネモの言葉が尻すぼみになる。だが、すぐに頷いて、自分を鼓舞するように叫んだ。
「行きましょう、ディオさん! 目指すは王都です!」
少女はディオの隣まで駆け寄ると、彼を見上げる。力強い意思がこもった若葉色の瞳を見詰め返して、ディオは、ならば何も言うまいと頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます