1-⑩

 鳥たちが朝の訪れを知らせる声が村に響いて、だいぶ、時間が経った頃。

 疲れていたからか、昨晩のご馳走に彼らしくなく浮かれていたからか。ディオが目を覚ました時には、日が昇りきっていた。

 けれど、オーナーはそんな彼を咎める事は無かった。朝食の用意を始めた彼女に、ディオは言った。

「何か手伝う事はあるか?」

「じゃあネモを呼んできて欲しいのだけど……たぶんいつもの場所にいるから」

 そう言われて、昨日、ネモに案内された場所を思い浮かべる。

「あの子もまだ食べていないのか?」

「ディオさんが起きてきたら一緒に食べる、って言っていたのよ。ほら……もう、出発するのでしょう?」

 彼女はディオが必要だと思っていた地図をテーブルに置く。その用意に、ディオが驚いていると、彼女は茶目っ気たっぷりにウインクをした。

「役場から受け取っておいたわよ」

「……本当に、感謝しかない」

 ディオは、心の底から礼を述べて、頭を下げた。


 大小の石が転がる歩きにくい坂道を登る。角が尖った石がブーツの後ろを突く。それらを蹴り飛ばすようにして足を進める。

 やがて、開けた場所に辿り着いた。風が頬を撫で、甘い花の香りが漂う。

「……ネモ」

 少女は、こちらに背を向けて、丘の上に座っていた。

 ディオが声を掛けると、振り向いて微笑む。

「おはようございます、ディオさん!」

「おはよう。オーナーに言われて探しに来た」

「えっ! ご、ごめんなさい! ちょっとお散歩に来ただけだったのに、私ったらボーッとしちゃって……」

 ネモは目を丸くして立ち上がる。服の裾をパンパンと叩いて、ふぅ、と悩まし気に息を吐いた。

「どうした?」

 ネモをジッと見詰めると、彼女は観念したような、或いは、覚悟を決めたような様子で、ディオに向き直った。

「お願いがあるんです」

 真っ直ぐに、どこか、『彼女』を彷彿とさせる瞳で。

「私を、王都まで一緒に連れて行ってくれませんか」

「何を言い出すんだ」

 彼の声には、驚きと呆れの色が混じっている。けれどネモは引き下がらなかった。

「貴方の事をもっと知りたいな、って」

「俺か? 俺の身の上話なんて、面白くは……」

「いけませんか?」

 彼女は食い気味に尋ねた。桃色のポニーテールは、震える肩の上で揺れていた。

「ディオさんを知りたいから、もう、会えなくなるのが嫌だから……着いて行きたいって思うのは、理由にはなりませんか?」

 固い意志がこもった双眸は真剣で、簡単に流してはいけないと感じる程だ。

 ネモは、それに、と心の中で思った。

(王都なら、剣について何か分かるかもしれないです)

 王都に行くのは初めてじゃない。けれど、剣について自分から調べようと思ったことは無かった。単純に、怖かったからだ。調べれば自分の空白の記憶についても分かるかもしれない。けれどもしその真実で、母や村人との今の関係性が崩れてしまえばと思うと、踏み出せなかった。

 だが、今は、剣の存在を知るディオが居る。この機を逃せば、ネモは二度と勇気を出せないかもしれない。

「ディオさん、私、昨日初めて剣を使いました。王都でその力についても調べたいんです」

 ディオは、彼女が理由を立て続けに並べても渋い顔をした。

 二人の間に数秒の沈黙が過ぎる。やがて、ディオはポツリと言った。

「俺は、王都で……友との約束を果たさなければならない」

 彼女は大きく頷いた。根負けしたのはディオの方だった。

「俺も君が持っている剣に興味がある。一緒に行こう」

「やったぁ!」

 ネモは飛び上がった。嬉しそうに、クルクルとその場で回る。

「なら、昼には出発をするから支度を」

「もう出来ています!」

「行く気満々だな……オーナーや……村の皆にはきちんと言ってあるのか?」

 ネモは言葉を詰まらせた。どうやらこれから説得に掛かるらしい。ディオは、まるで本当の娘のように接するオーナーや、ルプス村の人たちのネモに対する態度を思い浮かべて、やや不安を感じた。

「……今日中に旅立てそうか?」

「だっ、大丈夫ですよ……! 私だって、そんな子供ではないですし!」

 ネモは笑顔で、ディオの名を呼んだ。

「これからよろしくお願いしますね、ディオさん!」

「……ああ、よろしく、ネモ」


 澄み切った青い空、丘に差し込む柔らかい日差しの中で、ディオとネモの旅は始まった。

 ロレット……友との約束を果たすために。そして、何故、妖精が支配したこの世界が、未来で滅んでしまうのかを知るために。

 首から下げた指輪を握りしめながら、ディオは、山脈の奥に隠れた王都を見据えた。

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