1-⑨

 しばらく村人の感謝の声を聞いていたディオは、タイミングを見て、ネモと共に村の入り口から離れた。村の西にある釣り堀あたりで足を止める。

「疲れているのに悪いな」

「それはディオさんの方では?」

 当然、ディオも疲労している。考えなければならない事も出来た。だが、まずはネモと交わした約束を果たさなければ。

 森へ向かう前、ネモはディオに告げた。

「村の良い所を案内してくれるのだろう?」

 キョトン、としたネモが、すぐに目を大きく見開いて、満面の笑顔を浮かべた。


 ネモが言う“良い所”は、村の西側の坂道の上にある。緩やかで長い坂を登っていくが、足元は細かい石と砂で歩きづらい。手入れされている訳でもなく、人が頻繁に通る道ではないらしい。

「こっちです、ディオさん!」

 元気いっぱいに、ネモは先立って進み、手をブンブンと振っている。

 平らな道に出ると、花の甘い香りがした。視界には、赤や黄、白といった、色とりどりの花畑が飛び込んでくる。優しい風が、ディオの黒髪を撫でていった。

「どうですか!」

 美しい花畑。だが、何よりも目を引くのは、そこからの景色だった。

 見晴らしの良い丘の上からは、遥か遠くまで見通せた。まず、この村に居ては決して辿り着けないであろう海。青く澄んだ空と同じか、それよりも濃い色で、波打つ姿が見える。ゴツゴツとした岩肌を持つ山脈と、その向こうに、白銀の城砦が窺えた。ここからでは良く見えないが、あれが王都だ。

 そう、確信できる理由が、ディオにはあった。

「ここ、だったのか」

「ディオさん?」

 こんな綺麗な花畑は知らない。透き通った海も。穢れとは程遠いような城砦の白も。

 ただ、確かに、ディオはこの場所を知っていた。1410年の現代から11年後の1421年。この丘で、彼は地獄を見たのだ。

「気に入って貰えました? お気に入りの場所なんです! もっと日が暮れれば、夕日が海に沈んでいく様子が見られるんですが……」

 ネモは、ディオに興奮気味に語った。

 足元へ目を落とす。妖精が人間界を侵略した未来では、妖精か、人間か、それとも両方かに踏み荒らされ、花は枯れ果てていた。

「こんなに、美しい景色だったんだな……」

 ネモが言う“もっと日が暮れるまで”、二人は長い間、その丘から動かなかった。


 夕日も沈み、二人がスコット食堂へ戻ると、オーナーは張り切って食事を用意してくれていた。

「ご馳走だ!」

 ネモが目を輝かせて、木製のテーブルをグルリと回る。

「ほとんどがディオさんへのお礼で、村の皆が持ってきてくれたものですよ」

「こんなに沢山貰えるくらい、大それたことをした訳じゃないが……それに、あの妖魔は様子が違っていたんだ」

 村人には退治をした、とだけ伝えたが、真実を知る者はいた方が良いだろう。ディオは、オーナーに一角獣が正気を失っていた話をした。

 彼女は痛ましそうに表情を曇らせながら、不思議だと呟く。

「その妖魔が影響を受けたのが、妖精のせいなら……妖精はどこに行ったのかしら? ううん、どこから来たのかしら」

「もしかしたら、森のどこかに妖精界と通じる道があるのかもしれない」

 とはいえ、既に道は閉ざされているだろう。妖精がどこに行ったのかも分からない。

「……偵察、だったのかもしれないな」

 これから妖精は人間界へ侵略を開始する。その際、現存する妖魔の数を知りたい、と思うのは当然だろう。実際、一角獣のような、四百年も生きている妖魔も居た。妖精にとって彼らの存在は脅威となる筈だ。

「あの! 難しい話は後で良いと思います!」

 テーブルに並んだ料理の数々。ネモは、その香ばしい匂いに、もう我慢できない、といった様子だ。

「そうだな、頂こう」

 ディオがスプーンを手に取れば、ネモも嬉しそうに、焼き立てのパンに手を伸ばした。


 *


 その日の夜、ディオは夢を見た。

 フィラが、荒れて枯れ果てた丘の上で笑っている。でもその笑顔には、いつも、世界に対する疲れや悲しみが映っていた。夢の中の彼女は何も言わない。

 ディオは静かに呟いた。

「きっと、やり遂げてみせるよ」

 彼女はいつまでも笑っていた。

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