1-⑥

 まだ薄闇が空を覆う時間帯だった。ディオは外から何やら騒がしい音が聞こえてきて目を覚ます。

黒シャツの上にジャケットを羽織り、金色のチェーンで括られた指輪を首に通す。木製の扉から廊下へ出て、住居スペースとなっていた二階から一階の食堂部分を覗き込む。だが、そこに人の姿はない。何となく嫌な予感がして、ディオは音を立てないように階段を降りていく。

 スコット食堂の扉を押して、外を見れば、村人が輪になって集まっていた。

 輪の中心には、見覚えがある男が悔しそうな表情で蹲っている。件の鶏に振り回されていた男だった。

「くそ、またやられてた」

「鶏を三羽……スミさんは豚か?」

「やっぱり王都に連絡して、早く騎士を呼んで貰わないと」

 ディオは、男が血塗れの鶏を抱いている事に気が付いた。羽根はむしり取られて、無残に散らばっている。

「何があった?」

 近くにいたオーナーに声を掛ければ、彼女は顔を曇らせた。

「最近、深夜に家畜が襲われる事件が起きているの。今までは滅多に無かったのに」

「家に入っていれば人に被害は無いが、家畜はなぁ……」

 どうしても、納屋に入れられない動物たちもいる。閉鎖空間がストレスになってしまうからだ。

「犯人の目星はついているのか?」

「一度ね、こらしめてやろう、って寝ずの番をした事もあるの。でも、相手は妖魔だったのよ」

 人間や動物であれば、対話で解決できる、或いは罠で仕留められる。しかし、彼らが見たのは妖魔であった。

 かつて人間と妖精に滅ぼされた妖魔だが、中には生き延び、人間界に紛れて暮らす強力な力を持つ者たちが居るらしい。また、妖魔の残滓と呼ばれる影のようなものが残り、実体を取る事もある。人々が稀に目にする個体は後者で、それらの小型妖魔を退治するために、王都から騎士や術士が派遣されるという。

「王都に文を出そうか悩んでいて……今のところ、人間に被害は無いから」

 村に術士は居ないため、オーナー達ではどうしようもできないのだ。

「かといって、これ以上家畜が減るのも不味いしなぁ。……そうだ、お前さん、術士だろう」

 ハッ、と村人は一様にディオを見た。

「何とか出来ないか? 勿論、お前さんが欲しい物はなるべく用意する」

「俺に頼むより、王都に要請した方が良いのでは?」

「騎士や術士が来るまで一週間以上は掛かるよ。何せここは辺境の村だしな。受理されて、手筈を整えて、ここまで来る……しかも途中でクォーレ山脈も越えてこなくちゃならん」

 王都へ行く道に連なるクォーレ山脈は、健脚な者でも三日は掛かる。その間に被害が拡大するよりかは、ディオに頼った方が早い。

 村人には半日程度だが、良くして貰った。その恩を、ディオは返したいと思う。同時に、資金難に悩まされてもいた。

「分かった。誰か、見た妖魔の特徴や、潜伏場所など分かる者が居たら教えて貰えないか?」


 約二時間後、太陽も昇り始め、空がじゅうぶん明るくなった時間帯。

 寝ぼけ眼で、早朝の事の成り行きを聞いたネモは、バケツいっぱいの水を被った後のように一気に目が覚めた。

「ええっ! ディオさんが、妖魔退治ですか?」

「こら、ネモ? 食事中に立たないの」

 キッチンからオーナーの叱責が飛ぶ。慌ててネモは座り直した。スコット食堂の窓際、キッチンから最も近い二人席で、ディオはネモと遅めの朝食を取っている。あの後、ディオは情報収集の為に村を歩き、食堂へ戻ってきた所、起床したネモと鉢合わせたのだ。

 東側の窓から差し込む日差しと、吹き込む風は心地良い。

 ネモは、両手で湯気を立てるミルクを抱え込み、眉を寄せた。

「危ないですよぉ……怪我しちゃうかも……」

「とにかく、妖魔本体を見てみないと、どの程度の力を持っているかは分からないからな。手に負えないようなら、諦めて王都に連絡をしてもらう」

 妖魔の残滓ならば良い。所詮、搔き集めた脆い実体は、術士の一撃で簡単に払える。だが、稀に強力な力を持ったまま生き続けている妖魔も居る。その類であると、ディオとて簡単にはいかないだろう。そんな妖魔が本当に今も存在しているのか、実際に見たことが無いから分からないものの、用心するに越したことはない。

「食べ終えたら、妖魔が去っていったという神秘の森に向かうつもりだ」

「そんなすぐに?!」

「物事は迅速に。村人が困っているならば、早く済ませてしまうべきだろう」

 鋭い指摘に、あぅ、とネモは肩を落とす。しょんぼり、と表現が似合う姿に、ディオは首を傾げた。

 すると、二人のやり取りを聞いていたオーナーがキッチンから顔を出して、小さく笑う。

「その子、今日もディオさんに村の良いところを案内したい、って言ってたんですよ。ほら、昨日はずっと釣りをしていたのでしょう?」

「ううん、良いの。ディオさんの言う通りだもん」

 ネモは残念そうな口ぶりで、けれど物分かりが良い子供のふりをした。

ディオは何も言えずに口を噤む。けれど、ネモは、その仏頂面から僅かに見えた困惑の表情と、優しさに気が付いて、明るい笑顔を返した。

「――分かった、戻ってきたらで良いか?」

 その笑顔に、ディオは自分でも驚くほどスルリと言葉が飛び出した。え、とネモは目を見開く。

「は、はい! やった、約束ですよ!」


「……とは、言ったものの……」

 ネモは、ディオが食事を終えて早々にスコット食堂を出るのを見送ってから自室に戻り、ため息をついた。

「やっぱり心配です」

 ディオを信用していない訳じゃない。彼がどれ程の実力ある術士か分からないが、少なくとも、危険を感じればすぐに撤退するだろう。だがもし、何かあったら。

 待っているだけで良いのだろうか。

「私にも、力があるのに……」

 ぼんやりと呟いたネモは、ハッ、と思いつく。その衝動に突き動かされたまま、オーナー……母の部屋へ向かった。ドアノブを回す。鍵は掛かっていない。あまり物が置かれていない、整頓された室内。壁沿いに置かれたベッドの向かい側に、三段の戸棚があって、そこに白い布で包まれた細長い物を見つけた。すぐにネモは駆け寄る。

「私にも、これがある! ディオさんのお役に立てるかも……!」

 後から母にバレたら怒られるだろう、とか、不安がよぎったものの、今はとにかく、彼に追いつかなければ、と気持ちが焦った。

 ネモは両腕に薄く光輝く剣を抱いてスコット食堂を飛び出し、森へ向かって駆け出した。

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