1-⑤

 ディオが釣りを始めて、二時間半後。夕日が沈み周囲も大分暗くなった。

 彼に釣竿を預けたエリンが釣り堀に戻ってきたので、ディオは釣りを切り上げた。釣れた二匹の魚が、黄色いバケツの中を泳いでいる。エリンが申し訳なさそうにディオに言った。

「悪かったな、長い時間……あんた、今日はこれからどうするんだ?」

「私の! お家で! お泊りなの!」

 ディオが答える前に、ネモが元気よく返事をする。

「おおう、ネモちゃんとこか。……ああ、じゃあこの二匹、持っていきな!」

エリンは食いつく様な勢いに驚きながら、バケツをディオに差し出した。

「塩焼きがうめぇぞ! 今日はありがとな!」

「え、いや、受け取れない……話をちっとも聞いてくれないな」

 反射的に受け取ってから、慌ててディオはエリンに言うが、彼はさっさと釣竿などの道具を手に去って行ってしまった。あの、人の話の聞かなさ。『奥さんを怒らせる』原因なのだろう、とディオは推測する。

「はぁ……今更突っ返すことも出来ないか……」

「お魚、お母さんに焼いてもらいましょう! えへへ、楽しみですね!」

 彼らも釣り堀を離れた。村は明かりが少なく、足元も薄暗い程だ。村の入り口からやや遠い、緩やかな階段を上っていく。

ネモは、軽い足取りでスコット食堂に戻ると、閉店、の文字が書かれた扉を開けた。

 天井の一つだけの照明が灯り、周りをオレンジ色の光が照らしている。食堂の奥からは、木製の食器がカタカタとぶつかる音と水が流れる音が聞こえた。

「お母さん! お魚、捌いて!」

「なぁに、そんなに大きな声を出して……あら、さっきの」

 ディオは軽く会釈をした。蛇口を捻り水を止めてから振り向いたオーナーは、ふ、と桃色の双眸を穏やかに細めて、彼が差し出した魚を受け取る。ネモは笑顔でオーナー、母へ尋ねる。

「ディオさん泊めても良いよね!」

「もう、この子は突然何を……」

 オーナーは少し眉尻を下げ、ディオの表情を伺った。その顔を見て、話が既についているのだと気付く。

「泊めるのは勿論、構いませんよ。さて、腕によりをかけてご飯の支度をしましょうか」

「わぁい!」

 ネモは飛び上がって喜んだ。ディオは頭を下げる。

「すまない。とても助かる」

オーナーは茶目っ気たっぷりに片目を瞑った。

「良いのよ、娘が迷惑かけたみたいだもの、これくらいの事はさせて」

「め、迷惑なんてかけてないもん!」

 ネモは激しく抗議した。それを笑って流し、オーナーは優しい目を彼に向ける。

「だから気にしないで頂戴。私たちが好きでやっているだけだから」

「……分かった、ありがとう」

 ディオは素直に礼を述べた。オーナーは満足そうに頷いて、料理を並べる。ネモも手伝い、あっ、と声を潜めた。続いた言葉に彼は押し黙る。

「ディオさん、キノコ入っていますけど食べれますか?」


 魚の他にも、手伝ってくれた礼だと言われ貰った野菜で、彼女たちは夕食を振る舞ってくれた。食事を終えると、ネモが思い出したように叫んだ。

「ディオさんが使うお部屋! 私、片付けてきますね!」

 言うが早いか、返事をするよりも早く駆け出した小柄な後姿が二階へ消えていく。ディオはそれを眺めて、微苦笑を浮かべた。

「ごめんなさいね、あの子、せわしなくて。ルプス村は村の外からお客様が来ることがほとんど無いから、自分と同じ、別の場所から来たディオさんが珍しいのよ」

「自分と同じ?」

 オーナーは、静かな口調で「本当は」と続けた。

「あの子は、私の子供では無いんです。あの子は、二年前に近くの、神秘の森で保護した子なの」

 ディオの瞳が大きく見開かれる。

「そう、だったのか?」

「はい。ほら、目も、髪の色だって違うでしょう?」

 ネモの髪は明るい桃色で、瞳は若葉の色を映したような緑だ。対し、オーナーは暗い紅色の髪と、ネモの髪と同じ色の瞳を持つ。言われてみれば、二人の共通点はほとんど無かった。

 それでもディオから見れば、オーナーとネモの様子は、母と子以外の何物でもなかった。

「森には泉があって、その付近で横たわっていたのを私が見つけたの。ちょうど、村の人たちと料理に使う山菜を取りに行ったところでね」

 彼女はスヤスヤと眠っていて、特に外傷も無かったが、目覚めた彼女は少し様子がおかしかった。自分の名前は思い出せるが、何故あの場所にいたのか分からない。どこから来たのかも。つまり、記憶喪失だった。

「ちょうど、食堂のお手伝いさんが欲しかったから、私があの子を保護しました」

 食堂を手伝う形で迎え入れたネモを、オーナーは、まるで我が子のように愛した。そしてネモも“母”と呼び慕うようになった。

「王都のお医者様にも見て貰ったけれど、記憶喪失の原因は分からなかった」

 記憶が無い子供ということで、不憫に思ったルプス村の人々も、彼女の事を気にかけた。最初は、ネモ自身も不安そうにしていたが、オーナーを筆頭に村人のお陰で、徐々に明るくなっていった。

「今ではもう立派なこの村の一員です。ただ、不安はあって。……あの子の側には、剣が落ちていたんです」

「剣が?」

 思いがけない言葉に、ディオは注意を引き寄せられた。

「ええ……こうして親しくお話できるのも、何かの縁かもしれません。良かったらご覧になりますか?」

 他人の秘密を覗き込むような気がして少し躊躇ったものの、好奇心に突き動かされてディオは肯いた。

 そして、オーナーに促されて、ディオは二階に上がった。二階には部屋が複数あり、隅の部屋からはネモの声がする。オーナーは自分の部屋の前にディオを待たせると、白い布に包まれた細長い物を持ってきた。

「……! これは」

 驚きで言葉が続かない。一振りの剣が白布の上に晒された。片手で握るように作られた柄には微細な銀の細工が施されている。

(フィラが持っていた物と似ている……いや、そっくりじゃないか?!)

 フィラは剣を大切にして、誰にも見せたことはなかった。だからディオが知ったのもこの時間軸に飛ぶ直前の話だ。

「この剣、鞘から抜けないんです。……どうですか?」

 オーナーに言われて剣を手に取る。短剣と呼ぶにはやや長めのそれは、思っていた以上に軽い。そして、鞘から引き抜こうとしても……何かに挟まってしまったように、止まってしまった。

「確かに抜けないな。古い剣だから錆びついているのか?」

「それが……」

 オーナーは一度言い淀み、けれど広い世界を旅しているらしいディオから何か意見が得られないかと、少しの望みを込めて告げた。

「ネモは簡単に生き抜いてしまうんです。あの子は力持ちじゃありません。むしろ非力な方でしょうね。それに、あの子を泉で見つけたとき、これを抱えていたけど、もっと輝いていたような気がするの」

「特定の個人が使う事で効果を発揮する、ということか。俺はこれにそっくりな剣を見たことがある」

「本当ですか?! どこで……」

 食い気味に問うオーナーに、ディオは申し訳なさそうにした。

「ここよりずっと遠い所だ。俺も自分が目にした剣と、この剣にどう関係があるかは分からない。貴方を納得させるような答えは持ち合わせていない」

 歯切れ悪くそう答えるしかないディオに、オーナーも「そうですか……」と残念そうにした。

すると、

「あっ、お母さん! ディオさん! お部屋大丈夫ですよー……ん? どうしたんですか?」

「何でもないのよ。部屋の整頓、ありがとう、ネモ」

 剣を布で隠しながらオーナーが微笑む。礼を言われたネモは嬉しそうに頷いた。

(……ネモにしか使えない剣、か)

 ならばやはり、フィラが持っていた物とは違うのだろうか。どうにも結論が出せない気持ち悪さを覚えながら、ディオは記憶にとどめておこう、と頭を振った。


 事件が起きたのは、その翌朝の事である。

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