1-②

 1410年、妖精城。ディオの親友ロレットは、険しい表情で告げた。

「聞いてくれ、ディオ。近々、父上は人間界へ侵略を始めるらしい」

 ――人間界と呼ばれるここと別側面に、妖精界が存在する。そこに存在する妖精は、人間と違い長寿の生き物だ。また、自然を操る魔術に長け、頭も回る。

 ディオは妖精界で育った人間だ。育て親が見つけてくれなければ死んでいただろう。

 彼は種族の違いこそあれ、優しい妖精に愛されて育った。その過程で、最もディオに影響を与えた人物を、ラルド・デ・ロレットという。

 妖精界の王の息子にして、第一皇子だ。

 唯一無二の友だった。歳も近く、種族こそ違えど、同じ空気を吸い、共に食事をした。

 そんな親友の言葉に、ディオは争いの気配を知り大きな衝撃を受けた。

「それは本当か、ロレット」

 思わず声が大きくなる。シッ、とロレットは彼を窘めた。聡明な緑の瞳は、今は曇っている。

「理由は分からない。妖精の中には、人間を良く思わない連中も沢山いるから、彼らに唆されたのかもしれない。とにかく、僕はそれを止めたい。力を貸してくれないか」

 ロレットは、決意を固めた表情で頷く。

「人間界に行き、そちらの王へ文を届けてくれ。きっと彼らは何も知らない。もし争いが起きてしまったとして……人間界からも助けが必要だ。勿論、この文は争いを未然に防ぐためのものでもある」

 彼は苦々しく言葉を紡ぐ。

「危険であることは承知している。人間界に、僕たちは行った事がない。何があるのか、分からない……それでも」

「何も言うな」

 ディオは頭を振る。苦渋の決断であることは理解できた。何より、親友であり、次代の王であるロレットが言うのだ。

「俺は人間だが、……妖精界で今日まで育てて貰った。この世界の平和のためならば」

 文を、人間界の王へ届け協力を得る。そして、妖精と人間の間で戦争を起こさせない。

「必ずお前の――王命を、果たそう」


 *


「おう、めい?」

 ネモは首を傾げて復唱する。だが、それ以上を話す気は無いらしく、ディオは無言だった。

「他に、質問は?」

「ええっと……はい! あの、好きなタイプ……恋人にしたいタイプとか、ありますか!」

 元気よく、彼女は手を挙げる。

 ディオは首に下げていたチェーンを摘まむ。そこから姿を見せたのは小さな指輪だ。金色に輝いている。

「それは答えにくい」

 そうして、ネモはその恰好のまま硬直した。大切そうな指輪。それを見る目は優しい。素直に彼女は連想する。

(結婚してるんですね! 奥さん、いるんだ! ……でも)

 ネモは、優しさだけではない、哀しみも混じっている彼の瞳を敏感に読み取って、それ以上問い詰めるのはやめておくことにした。今の彼は旅人で、ひとり。同行者がいるようには見えなかったから。

「ところで、俺からも聞きたい事があるんだが……」

「な、なんでしょう!?」

 彼女は上ずった声で返事をした。ディオは椅子から飛び上がりそうなくらい挙動不審な少女にやや不思議そうに思いながらも、尋ねた。

「今は、世界暦何年だ?」


 会計を済ませ、ディオは食堂を出た。

 草木が風に吹かれて、歌う様に揺れている。空は美しい蒼天だ。育てられている家畜が鳴き、畑仕事に精を出す人々の姿が見える。使い古された水車がカラカラと音を立てて回っていた。

 のどか、穏やかな村。正しく、ルプス村はその言葉が似合う。

「1410年……俺は本当に戻ってこれたのか」

 ディオは、肌身離さず持ち歩く指輪を掌に乗せた。

 世界歴1410年――ロレット皇子から、妖精の人間界への侵略の話を聞いたディオは、ロレットの手助けを受けながら、人間界へ向かった。そのさなか、事故が起きた。

(けど、飛べた先は1418年の人間界だった)

そこには、既に虐げられた人間の姿があった。妖精は我が物顔で歩き回り、人間を従えていた。

 妖精界で暮らしていた妖精が、1411年に人間界に攻め入ったのだ。

 人間の扱いに妖精内で意見が割れていた。人間に対する仕打ちは度が過ぎていないか、と考えた一部の妖精たちが王都から遠い村や街に住み着いた。妖精が人間界侵略時に建物や土地を蹂躙したせいで荒廃し、人間界は開拓地となっている場所が多くあり、ディオが飛ばされた先もその一つだった。

(そこで、フィラに出会った。彼女が俺の傷を癒し、助けてくれて……三年間、その土地の開拓に手を貸した。だが)

 フィラを含め数名の妖精たちは、人間を従える方針に反対していた。その時代の人間たちに比べて、ディオはとても恵まれていたが、同時に苦しんでいた。

(あの世界は、全て終わった後だ。妖精は人間界を侵略して、ロレットは、行方不明に、なっていて)

 ――果たすべき使命は無く、結局、ディオは何も出来なかった。そんな無力感に苛まれた彼を、献身的にフィラが世話を焼いた。互いに惹かれ合い、まだハリボテの村の形を取った開拓地で、慎ましやかな婚儀をあげて。

 悔しさと、諦めと、それでもこれから此処で生きていくのだと決めたのに。

 ――世界歴1421年。妖精王が人間界の統治者になり10年あまり。空は赤く染まり、大穴が現れた。

 フィラの術のお陰で時空を飛び過去へ戻ってきた。

 それでも元の時代に戻れる保証はなかったが、こうして彼は辿り着いたのだ。

「ここが出発点だ」

 ディオは、未来で三年の月日を過ごし十九歳になっていた。過去に戻ったとはいえ、記憶も肉体もそのままだ。フィラと交わした約束も覚えている。

 この時代で、ロレットの王命を果たさなければならない。

 必ず人間の王に会い、託された書簡を届けなければならない。

 これから成す事を思うと、少なからず恐怖と不安は浮かぶ。だが、この時代に着いたからには、足を竦めている暇はない。

 もう、ディオの背を優しく押してくれた『彼女』は居ないのだから。

「まずは地図、それから旅の資金だな。それに……」

 この世界の事について、彼はほとんど知らない。

 必要な物を考えながら、視線を上に向けると、空の青さが目に入った。人間界の空も、妖精界の空の色も変わらない。

 親友のロレットと過ごした子供時代を思い出した。ディオは“年齢が近い子供”という理由で、ロレットと出会った。妖精の子供は少ない。妖精界は三百年近く安定しなかったため、後を継いでくれる子供の必要性について考えるようになったのは、ここ十数年の話なのだ。

「ロレットはどうしているんだろうな」

 現代に戻ってきた今、叶うなら、一度、妖精界へ行きたい。けれどそれには空間を超える魔術や、同じ種類の魔術が込められた道具が必要だ。そのどちらも手に無い以上、彼に連絡を取る手段は無かった。

(……妖精界に渡る手段を探すのは後だ)

「……それにしても」

 ディオは寂しい懐を探り、ため息を吐いた。所持金はほとんど底をつき、旅発つには心許ない。先程、食堂で知ったが、妖精界の金貨は二種類あるらしい。そのうち一種類はこちらの世界と共通していたようで、内心冷や汗を掻きながら支払いを済ませる事が出来た。

 金貨の種類など、この世界では当然の事でさえ、ディオは分かっていないのだ。気持ちは逸るが、まずは一日この村に滞在し、情報収集に努めるべきかもしれない。

(俺は、妖精が支配した人間界しか知らない。今の王都の状況なども聞ければ良いが)

 村の役場なら、地図や情報を得られるだろうか。

 村の入り口から食堂まで、それらしき建物は見当たらなかった。ならば、と、ディオは緩やかに続く石畳の階段を見上げる。

 上り切った先に、他の家と同じ木造建築だが、外観的に、住宅とは異なるやや広めの建物があった。昼食を終えた村人の姿もある。そのとき、

「わぁ! 誰か、捕まえてー!」

 こちら目掛けて真っ直ぐに、鶏が四羽、背後から猛スピードで迫ってきた。

「……ッ!」

ディオは、反射的に手を伸ばす。鶏の首を掴めば、グェッ、と低く鳴いた。自分の腕は二本しかない、右手で一羽、左手で一羽。それから。

「フッ」

 短く吐いた息が白くなる。軽く爪先で地面を叩いた。

残りの二羽がディオの両隣を駆け抜けていく直前――地面が凍る。

 勢いを殺せなかった鶏は、氷の上でツルン、と一回転して、動きを止めた。

「ふぅ、はぁ! た、助かった……」

 追いついた男が、手の甲で汗を拭う。日に焼けた顔を真っ赤にし、手に持った網籠へと、四羽を収納した。

「良かったぁ、ちょっと餌やりをして目を離した隙に逃げ出して……ありがとう、ええと」

「旅人だ」

 革手袋の上から地面を摩る。氷は溶け、何事も無く元の土色が戻った。

 それら一連の流れを見て、男は、感心したようにディオを見る。

「あんた、術士なんだなぁ」

 氷、風、火……様々な元素を操る者を、術士という。一般的に魔術と呼ばれるそれを扱える人間はあまり多くは無い。恵まれた者、才能、産まれた時から決まっている。

 術士に対して向けられる視線は、尊敬か侮蔑のどちらかだ。どうやら、男……否、この村に限っては、前者らしい。

「おおい、兄ちゃん! ちょっとこっち来て、見せてくれよ! 今の氷のやつ! どうやってやるんだ?!」

「便利だなぁ! 肉を保存するのにも使えそうだ! やってくれ!」

 一人、二人と声をあげれば、途端、周囲が騒ぎ出す。ディオは目を丸くした。

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