古きもりから

古きもりから 壱

 鳥居の奥。

 寂れた社の間隙から、ふと呼ばれたような気がした。


 ◇


 北海道にはヒグマがいる。本州に生息しているツキノワグマよりも獰猛で危険性が高く、無知な者が山へと足を踏み入れては命を散らしている。

 勿論それは山林周辺の地域とて例外ではない。通学路にヒグマが現れたという通報と共に、下校中止を行う学校も中にはあるほどだ。

 そんな山際の中学校へと少女は通っていた。


「またねー」

「うん、じゃあね」


 友人との別れを済ませて帰路に就く。

 何気ない日常ではあるが長門ながと朔奈さくなにとっては安心感を得られる毎日の流れなのであった。

 しかし朔奈にはどうしても受け入れがたい、日々における異物がある。それは帰宅時に嫌々前を通過している神社の存在。


「……不気味」


 思わず呟いてしまうくらい目の前の鳥居は廃れていた。

 朱色の明神鳥居はところどころが朽ち、染料が剥がれないにはせよ雑草の蔓が絡みついている。鬱蒼とした森の中へと続く道はあまりの暗さでフェードアウトしてしまっており、とても参拝しようとは思えない社であった。

 そのうち奥から何か得体のしれないモノが出てくるのではないか、と子供心故に想像してしまう。

 ぶるり、と身震いした朔奈は鳥居の奥の闇と目を合わせないようにしてその場を足早に立ち去った。


 気づけば夕方のことなんて忘れて晩御飯の時間。

 一日の大トリとなる料理たちに舌鼓を打ち、幸福感に浸りながら箸を進めていた。


「お姉ちゃん、今日ね面白いことがあったんだよ」


 自慢げな声をあげて朔奈を呼ぶのは、妹の伊和子いわこ。まだ小学生であり好奇心旺盛な性格の女の子である。

 「またへくさいことしたんでしょ」と呆れ半分で言葉を返すと伊和子は少し怒ったような声色で内容を語った。


「あの帰り道にある神社、ちゃんと持ち主さんが居たんだよ!」


 意外だ、と眉を上げる。

 ずっと手入れのされていないただの廃神社かと思えば、どうやら伊和子が管理者と会ったらしい。どんな人だったのか何となく気になった朔奈は色々と質問した。

 しかし返ってくる答えはどれもあやふやで、「優しそうだったよ」程度の印象しか残っていないらしい。

 期待外れと言わんばかりに肩を落とす。



 ◆



 あの会話からしばらく経った後の学校帰り、朔奈はふと神社を見やる。

 (この中に伊和子が入ったの?)と今思えば小学生の話を鵜吞みにした自分にふつふつと怒りが湧き、いつしか「私だって」と鳥居に向かって足を踏み出していた。

 一の鳥居をくぐった瞬間、彼女の首筋から腰にかけてひやり。悪寒とも違ううすら寒い感覚が触り抜ける。

 途端に恐怖心が湧いて帰りたくなったが、妹もここを通ったのだと思うと姉としてのプライドが足を前へと進ませた。


 二の鳥居、三の鳥居と赤い門を境目にどんどん景色は薄暗くなっていく。

 今からでも帰ろうか、なんて思った頃にはもう引き返せない。暗闇に背を向けて来た道を戻るなんて逆に怖くて出来やしないのだから。

 そうして辿り着いた拝殿前。

 彼女を待っていたのは――


「それでねー」


 拝殿前の石段に向かって楽しそうに喋りかけている妹の姿だった。

 その異様な光景を目の当たりにして、いよいよもって朔奈の精神が限界を迎える。

 前に聞いた話はでたらめなんかじゃなくて、妹が「会ってはいけない何か」と出会ってしまっていたんだとすぐに理解した。


 そこからの行動は早かった。

 親の仇でも見るような目で妹を睨みつけながら鷲掴みにし、一言も喋らせずに一の鳥居目掛けて駆け抜けた。

 皮膚へと爪が食い込んで痛いと泣き出す妹にも構うことなく、彼女は全力で引っ張りながら疾走したのだ。


 ――やがて到着した我が家。

 玄関前で人目もはばかることなく妹を怒鳴りつける。


「どうしてあんな危ない場所に入ったの!」

「だって、呼ばれたから……」

「呼ばれたら知らない人にでも着いてくの!?」


 あまりの怒号に言葉を発せないまま泣きじゃくる妹。

 その声を聞きつけてか家の中から父親が顔を覗かせた。


「おいおい喧嘩かい?」


 温厚な父の空気にイラっとしたのか八つ当たりをするように言葉をまくし立てる。

 それでも朔奈の一連の話をしっかりと聴き、飲み込んだ父親は「あそこに行ったのかあ」と特に驚くような素振りもなく。ぽつりぽつりと話を始めた。


「あの神社はね、今でこそ心霊スポットのような扱いだけど昔は子供の遊び場になるくらい地元の人に愛されていたんだよ。でもお父さんもそうだけど神様を敬うなんて風習は時代と共に廃れてね、誰も足を運ばなくなったんだ」

「そんな……」

「うん寂しいね。でも何かが発展するということは、何かを切り捨てるということでもあるんだ。不要な物を置いてみんな前へと進んでいるからね」


 怖いという感情しか持てなかった神社だが、話を聞くうちにどこか同情を覚える。

 難しい内容は理解できないけれど、ただただひとりぼっちになるというのは辛いだろう……それだけは容易に想像できたのだ。

 そんな彼女の表情を汲んでか、父親が優しく微笑む。


「この話をしたら『温故知新』って四字熟語を返してきた人が居てね、きっと朔奈と同じでなのかもしれないね」

「その人って?」

「ちょっとした知り合いさ。どれ、ちょっと相談しておいてあげるよ」


 そう言いながら父は家の中へと戻っていった。

 妹も話を聞いているうちに泣き止んだようで、「ごめんなさい」と申し訳なさそうに謝った。

 しかし心のもやもやが依然として晴れない朔奈は、返事の代わりにただ伊和子の頭をそっと撫でるのだった。

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