射干玉の 伍

「仏教において魂は極楽浄土へ送られるという教えもあれば、輪廻転生を主軸にした経典も多い。対して神道は死者はそこに滞留するという考え方なんだ」

「じゃあ、死んだら幽霊になるってことっすか?」

「俺は死んだことが無いからどれも信じちゃいない。ただ一概に人の考える事とは片付けられない、ってだけさ。死者がその場に留まって、弔いという人からの信仰を得ることで先祖は神格へと昇華出来る。そう民俗学者の柳田國男が解釈していた」


 「であれば」と総司郎が立ち上がり、箪笥へと歩み寄った。


「怨霊も信仰を得れば神となる。日本三大怨霊が神社に祀られているように、人が畏れを抱いたモノには等しくその素質がある」


 総司郎が引き出しを開けると――

 そこには薄く大きい木箱が丁寧に保管されていた。

 シミや汚れは無く、予想ではあったがこれこそ玄狐が示した物であることは間違いなかった。


「開けるぞ」


 木箱を取り出し、蓋を取る。

 すると中には一枚の真っ黒な毛皮が納められているではないか。


「黒狐はその祟りから畏れられ、函館に神社が創建されたんだ。その時に玄狐という名と御神体として毛皮が祀られていたらしいが――まさかここにあるとはな」

「もしかして、爺ちゃんが神主を降りた時に残したのかも……」

「なるほど。確かに今は玄狐の神社は残ってないし、何なら移動されちまってる。社を取り壊した際に玄狐の毛皮も出た、なんて話を聞いたが……まさか八次さんのところが神主をしていたとはね」


 話を聴いていた霊道はふと庭や廊下を見回して、「どうりで」と勝手に納得する。


「でもそしたら俺どうしたら……」


 玄の肩に手を置いた。


「何も玄狐は怒っていたわけじゃない。あまりにも長い間ここに放置されて飽き飽きしている、って感じだった」

「つまり?」

「この毛皮に色んな場所を見せてやりな。それで気が晴れるはずだ」


 玄は毛皮を受け取る。

 ふさふさとした感触の中にもしっかりと芯を感じる。艶々とした黒い毛は高貴さと気高さをこれでもかというほど発していた。

 そして何だかそれを見るうちに、彼は誇らしくなったのだ。


「俺、爺ちゃんの残した家もぼろいなとしか思ってなかったし、怪奇現象もみんな家族のせいにしてたんだけど」


 玄は膝をつき、毛皮にぽろぽろと大粒の涙を落とす。


「今、すごく爺ちゃんとの思い出が、映画みたいに溢れてて……うまく言えないけど、凄く温かい……」


 二人は彼の背中を眺め、そっと部屋を出た。

 しばらくは祖父との感傷に浸らせてあげよう、そう思ったのだ。


 ◇


 依頼を終えて相応の料金を受け取り、趣のある邸宅を出た総司郎。その横で霊道がぐーっと毛伸びをした。


「それじゃあ私はこれで。今の科学じゃ証明できない現象を目の当たりにしちゃったからには、出来る限りデータとしてまとめておかなくちゃ」

「おう、気をつけてな」


 総司郎に背を向け、ふと呟く。


「ねえ、境界屋はいつからある仕事なの」

「さあな」


 上手く流したつもりの総司郎。

 しかし彼女にはこの一言が「総司郎以外の代から境界屋はある」という言質を取ったことになるのだ。

 霊道はそっと今の言葉を手帳に書き記した。



 ◆



 港町というだけあって風が気持ちいい。

 玄はハンドルを握りながら助手席を見て、ふっと微笑んだ。

 海辺を走る愛車の席、ヘッドレストの部分には見覚えのある黒い毛皮が弧を描くようにくるりと羽織っている。


「これから色んなところを見に行こうな狐様。……それと爺ちゃん」


 かつてかの狐が観た海は、感じた潮風は今も同じものなのだろうか。

 景色は違えど同じ道を走る。今昔の交差する不思議な感覚に、人では無い何かがそっと笑った。

 そんな気がした。

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