射干玉の 参

 中庭のある廊下を進み、コの字に曲がった突き当り。黄ばんだ襖の部屋がひとつ。

 襖を前にして黙り込む玄の様子を見るに、そこが問題の原因なのだろうと誰もが察した。

 年季の入った襖紙ふすまがみをじっと見つめる彼の肩を総司郎が叩いた。


「そんなに怯えなくてもいい。さっきも言ったように悪い何かが居るわけじゃない」

「そうっすよね……」


 玄は拳をぎゅっと握り戸を引いた。

 中はそこそこ広く四畳半以上はあるであろう和室。畳に傷んだ様子は無く、しっかりと手入れが成されているのが見て取れる。

 窓は閉め切られており、玄曰く空気の入れ替え時にしか開けないのだそう。


「少し暗いな、窓を開けてくれ」


 玄は言われるがまま窓を二枚開けた。

 北海道の窓は二重になっており、この和室も例外ではない。内側は障子張りの和風な窓だが外は近代的なガラス窓である。

 日光が差し込み、薄暗かった部屋が鮮明に照らし出された。

 箪笥たんす、本棚、それ以外には使われなくなったのであろう花瓶が置いてあるだけの少し寂しい空間。


「ん?」


 霊道がふと部屋の隅を見る。

 日の光が部屋全体に行き届いているはずなのに一か所だけ影が出来ていた。最初はシミか何かかと思ったが、黒いもやのように滞留している。


「見えるか」


 ふいに総司郎が呟いた。


「ううん、黒い何かにしか……」

「問題ない、俺もそうだ」


 襖横の傷に気が付きしゃがみこむ。


「だが相手は獣、それも……」


 何かを思いついたように総司郎が立ち上がった。

 踵を返して部屋に背を向けると


「悪いがもう一度窓を閉めてやってくれ。俺達は必要な物を買いそろえてくる」

「ちょっと、必要な物って何?」

「面倒だから行ってから説明する」

「面倒って、あなたねえ……!」


 霊道はふくれっ面のままツカツカと総司郎に続いて部屋を出た。


 ◇


 総司郎達が来たのは意外にもホームセンター。

 もっと特殊な場所に行くのかと思っていた霊道は口をぽかんと開ける。


「ここなら一式揃うからな」


 店内へと入り迷いなく総司郎が向かったのは調理器具コーナー。

 陳列されている商品の中から彼が手に取ったのは、底の深い小型の鍋だった。

 何をするのか、と尋ねる霊道に「あとで教える」とだけ返しながら次に入手したのは食用油。


「揚げ物?」

「そう、揚げ物をする」


 ふっ、と笑う総司郎が最後に向かったのは――


「アクアリウムコーナー……?」


 そこは多数の魚が商品として飼育されている水生生物スペース。

 だが総司郎は煌びやかな魚たちには目もくれず、赤虫などが保管されている冷凍庫へと向かう。

 そして取り出したのは


「ネズミ!?」

「そうピンクマウスだ」


 冷凍されていた小さな鼠だった。

 全長は大人の人差し指程度、ふっくらしているとはとても言えないような体型。

 まさに――


「餌用の鼠だ」

「ちょっと待って、これを食べるの?」

「何も俺たちが食べるわけじゃない。こいつは元々爬虫類なんかの餌用として売られているモンだ、それをちょいと工夫しようってだけさね」


 初めて外国人と喋った時のように「意味不明」と筆で描いたような顔をして、霊道は総司郎を見据えた。

 あまりの反応に思わず彼も困った顔をする。


「理数系専門じゃなかったのか?」

「生物学は勿論学ぶけれど、鼠なんて参考書に載っている解剖済みの写真を見るだけよ」

「へえ、じゃあ本物はこれが初めてってわけか」

「そうなるわね」


 ◇


 必要な物を購入した二人は再び玄の家へと戻っていた。

 台所を借り、解凍したピンクマウスを油で揚げる。天ぷら特有の良い香りが室内へと立ち込め、何を揚げているのかさえ見なければ食欲を掻き立てる良いにおいであった。

 じゅわりと本能を刺激するような音。


「揚げているものさえ違ったらね……」

「確かに俺もこれはちょっと」


 総司郎は衣が焦げ付かないように菜箸で天ぷらを適度に揺らしながら言う。


「日本にも鼠食文化を行っていたという歴史は少ない。縄文時代から既に害獣として認知されていたのも大きいだろうが、病気の媒介原因だという事を昔の人々は既に知っていたからだ」

「今なら鼠咬症そこうしょうが一般的ね」

「そこうしょう?」

「鼠に噛まれた場合なんかに傷口から感染する症状のことよ」


 玄は身震いする。


「俺の家古いけど、鼠が巣を作ったりして無いよな?」

「俺達は専門家じゃないから何も言えない、が鼠が駆け回っているなら何かを齧る音がしたり糞が落ちているはずだ」

「見覚えは……ないな」

「じゃあ、気になったら業者にでも見て貰えば良いんじゃない?」


 総司郎がいつの間にか用意していた木の台に折った敷き紙を乗せ、鍋から鼠の天ぷらを引き上げ始めた。


「それって、貢物とかを乗せるやつよね?」


 霊道が木の台を指さし言う。


「そう、これは三方さんぼう。神道では敬うべき存在への貢物を載せる台、儀式……正確には神事で常用されているな。ちなみに仏教で使用するのは三宝さんぼうと書く」

「これって名前あったのね」

「あらゆる物に正式名称が付いてると思っておくといい」


 テキパキと作業を終わらせた総司郎は台所から出て、中庭の奥に覗く黄ばんだ襖を見つめた。

 当然悪意は感じない。予想が確かならこれで調査は進展するはずだと、彼は考えている。


「そいじゃ、少し拝ませて貰いましょうか。文字通りね」


 台所の出入り口をこつんと拳頭で鳴らした。

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