草の縁 弐

 頬杖をつきながらコツコツとペンのお尻をノートに打ち付ける。

 霊道は総司郎との出会いから数日が経ったというのに、まだ霧がかったように晴れない想いをしていた。

 別に気になっているわけじゃない、なんて自分に言い聞かせてみるが逆に認めているような気分になる。

 そう、彼に対して好奇心が湧いているのだ。


「今ばかりは研究者の性が恨めしく思えるわね」

「そんなに気になるなら、どんな人か確認してみればいーんじゃない?」


 呑気な口調でがらりと椅子を引いたのは霊道の友人。

 彼女達が談話しているのはとある大学内にある研究室だった。


「確認って、また不審者と会えっていうの?」

「もーいつの時代の人間なのさ。少しは勉強以外にも頭使いなって、ほら」


 言うまでもないだろ、と呆れかえった顔で友人が差し出したのはスマホ。画面には有名なSNSのホームが映し出されている。

 要は本名で総司郎を検索してみろ、と言いたいのだ。


「出てくるかしら」

「ヒットしなかったら余程機械に触れない人ってことだね」


 霊道はタタタと軽快に彼の名前を打ち込んでいく。

 そして検索ボタンを親指でタップしようとするが、ぐぐっと思いとどまった。


(こんなストーカーみたいなことして良いのかしら……)

「あーもうじれったい!」


 踏ん切りのつかない彼女の指を友人が押し込んだ。

 慌ててキャンセルしようとするがそこは最新のスマホ、読み込みが早すぎて間に合わない。

 結果はノーヒット。

 ホッと胸を撫でおろす霊道であった。


「チッ、アナログ人間だったか」

「あのね、フルネームで利用してるとも限らないでしょ」

「まあそれもそっか、期待して損した~」


 これも友人にとっては好奇心のひとつなのだろう。

 何せ霊道が異性と積極的に関係を持とうとしたことは一度も無いのだ。そんな彼女が見ず知らずの男性を気にしている、とこれは興味が湧かないわけがない。

 椅子をくるりと回転させながら作業に戻る友人。彼女の背中を横目に見送った霊道は今度は自分のスマホ画面を覗き込んだ。


「別に興味なんて……」


 眉間に皺を寄せる。

 しかしそんな反応を気にかけてかは分からないが、ピコピコ! とメッセージ通知が画面に割り込む。

 相手は先程まで喋っていた友人。あえて今度は文章でのやり取りへとシフトしたのだろう。


『明日休みでしょ? 皆でちょっと冒険しに行かない?』


 確かに明日は研究室が休み。

 霊道は少し考えた後に『いいよ』と返した。

 特に内容を確認もしなかったのは考えることが多すぎて、面倒くさくなっていたからである。

 椅子を回しながらにしし、と笑う友人を見てふっと笑う霊道なのであった。



 ◆



 ――翌日。

 友人と他にも研究仲間の女子を数名集めた状態で霊道達はとあるお寺の山門へと集合していた。

 彼女らの目的は寺の奥にあるという不思議な石。

 もう少女という歳でもないのに高鳴る鼓動を抑えられない。まるで遠足前の夜のように皆は興奮していた……約一名を除いて。


(私はお寺に興味が無いんだけどなあ)


 困った表情を浮かべて手入れされた山門を眺める。

 いたずらをするような心持ちでお寺に踏み入ってよいものか、と少し心配もしているのだ。


「ちなみにその石ってどんな言い伝えがあるの?」


 あまり期待はしていないが試しに聞いてみる。


「何だっけ? 確か鳴き声が聞こえるんだよね」

「そうそう、女? あいや子供? ごめん、忘れちゃったわ」


 けらけらと笑う友人に苦笑いする。

 この遠出は彼女にとって実に無駄な時間であった。


 ◇


 境内へと踏み入り立ち並ぶ墓を抜け、足場の悪い山道へと差し掛かる。

 彼女らは口々に「疲れた」や「飽きた」、「同じ景色」といった文句を吐き捨てながら道を進んでいく。

 舗装されていない泥道は草木のツルが靴へと絡まり、手入れされていない枝が顔へと当たる。人が多くは通っていない証拠だ。


「あ! あれじゃない?」


 一人の声があがると皆が前を向いた。

 視線の先にはひっそりと姿を見せた石塀。そこから何か岩のようなものが頭を覗かせていた。

 周りが木々に囲まれており、聞こえるのが鳥と虫の鳴き声だけというのも相まってどこか不気味。

 本能からか嫌な感じを覚えた霊道は思わず後ずさる。がしかし、他の女性達は構わずずかずかと岩に近づいていった。


「何これ、お墓?」


 疑問符を浮かべる彼女らの背後から恐る恐る岩を覗いた霊道。

 そこにあったのはかすれた文字で何か刻まれた岩と、その真ん前に備え付けられた五つの燭台と思しき銀皿。そして岩の左右に設置された花立であった。

 この光景を前に「あ、駄目だ」と心臓を震わせる。

 ここはいたずらで来てよい場所ではない、そう感じ取ったのだ。


「ねえ、もう帰らない?」

「まあ、これ以上見るものもないしねー」


 自分の提案を素直に受け入れてくれた。これだけで思わずホッとする。

 霊道はいち早くこの場所から離れたかったのだ。

 ぞくぞくと山道を戻っていく集団。彼女らの背中を追うように霊道も一歩踏み出した。


 ――ガサッ。


 突然の音にびくりと肩をすくませる。

 思えばリスか狐の足音だったのだろう。がしかしソレを聴いた彼女の神経は過敏なほどに逆立っていた。

 後ろに誰かいるのだろうか? なんて余計な想像をするうちに、霊道は気配を探ろうと……耳を澄ませていた。


 ――しくしく。


 背筋が凍り付く。

 全身の血液が逆流するような感覚の中、嫌な想像をしてしまうのだ。

 最初に霊道の脳裏をよぎったのは研究仲間の話していた「鳴き声」という言葉。そして次に浮かんだのは「自分の後ろに誰か居る」という予測。

 前に進めない、かといって後ろを振り返ることも出来ない。


 しくしく。


 完全にこの空間へと囚われた。

 の鳴き声は間違いなく聞こえている。それだけに彼女の腰は砕け、気づけばその場にへたり込んでしまっていたのだ。

 もう自分ではどうしようもない、誰かに引っ張り上げて欲しい。


 とにかくここから助け出して欲しかった。

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