第30話
どのくらいの時間が経っただろう。意識が薄れ軽く気を失っていた。周りは瓦礫で埋もれ奇跡的に机は壊れず圧死は避けられたようだったが、自分が生きているのか死んでいるのさえ分からなくなるほど感覚が鈍っているようだった。
ただ漠然と時間が過ぎるのを待っている。体は動かず、意識だけが働いている状態で焦りもなくただ呼吸をして過ごしていた。
次第にまた眠気が襲ってくる。もう一度だけ仮眠をとってこれから先の事を考えようと目を閉じ直した。
目を開いてようと閉じていようと、周囲が暗く全く見えない事に変わりはないのだが他にすることがないのでしょうがない。素直に眠気に従うことにする。
そんな中で、夢なのか現実なのかも把握できない俺の耳に誰かを呼ぶ声が聞こえてきた。
「……さん……くん」
声の声量は次第に大きくなり、瓦礫の崩れる音が聞こえてくる。机の上の瓦礫が取り除かれたのと同時に、瓦礫の隙間から太陽の光が差し込んできた。
「アルトさん!」
「速見君!」
俺の名前を同時に呼ぶ声が聞こえてきた。声の主はあの二人だろう。俺は返事を返したかったが、思うように声が出ない。
周りの瓦礫が取り除かれていき、太陽光が完全に俺の姿を照らしだした頃、俺の視界には目に涙を溜めながら懸命に瓦礫を動かすユナとエミの姿が映った。
「大丈夫!? 息はあるわよね!?」
ユナが俺の肢体を抱き上げる。すかさず呪文を唱えだした。
「Comfortable、Excitatio!」
俺の周りを光の粒子が体を包み込むように舞う。そしてその粒子が俺の体に溶けるように消えると、俺の中のESという気力は完全に回復したようだった。
吉川との戦いで、擁護対象となった岸川さんに使ったのと同じ呪文を俺にかけてくれたのだろう。
相変わらず能力の代償のせいか体を動かすことは厳しかったが、俺はユナに抱きかかえられたまま、言葉を発した。
「ユナ、エミ……。助けに来てくれたんだな。ありがとう」
その言葉を聞いた途端、ユナとエミは感情が高ぶったのか涙を溢れさせた。
ユナはそのまま怒ったように俺に返事をする。
「ありがとう、じゃないわよ。速見君は本当に無茶ばかりして! 一人で抱えずに私達に相談すると約束したじゃない!」
ユナは泣きながら憤慨しているようで、初めてユナの本気で怒った顔を見た俺はそのあまりの気迫からたじろいでしまった。
「あ、あの時は本当に時間がなくて仕方なく……。そ、そうだエミのお父さんは?」
俺は話題を変えようと必死だったこともあり、ずっと気になっていた事を聞くことにした。
「アルトさんのおかげで、無事です。今は救急車で運ばれて病院に向かっています。アルトさん……本当に、本当にありがとうございました!」
ユナの代わりに隣で泣きじゃくっていたエミが言葉を発する。俺は漸く安堵して返事の代わりに深い息を吐いた。
「初音さんのお父さんよりあなたの容態の方が重症だわ。今すぐ本部に戻るからね」
ユナはまだ怒っているのか矢継ぎ早にしゃべっている。
俺はそんなことを言われながらも気分が落ち着いてきたため、やっと周りを見渡せた。
周囲は瓦礫の山が相も変わらず積み重なっていたが、俺がいたはずの地下4階から地上まで天井が吹き飛んでいた。四隅は壁に沿って瓦礫が溜まっていたはずだが、その壁すら爆発で吹き飛んでいる。まるで巨大な落とし穴を掘った後のように、地面の底に埋まっていたようだ。
また、救急隊員の人達が何十人と捜索活動を行なっていた。地上の様子がここからでは伺えないが、緊急自動車と思われる車の赤色灯が上部で光っている。
そんな中で二人は必死に俺を探してくれていたのだろう。二人の衣服が所々泥まみれになって汚れているのに気がついた。
「二人共、改めてすまない……。心配を掛けて……。ただ、よく俺の居場所がわかったな?」
いくら補助型の第二人種がいるとはいえ、俺のESは底をついていたはずだ。探すのは大変だっただろう。そう考えていると、エミがすぐに説明してくれた。
「父が地上に出た後、すぐに私とコンタクトをとってくれたんです。それから私は事情をすべてユナさんに話しました。けれど、その後すぐに地下の崩壊が始まって……。ただ、アルトさんの携帯端末から位置情報は把握していましたので、おおよその居場所が分かったんです」
そいえばエミのお父さんに無線機は渡したが、携帯端末のアイフォはポケットに入れたままだった。机が欠落しなかったことと、携帯が壊れなかったこと、そして顔も名前もわからないあの男が俺を助けてくれたこと、その幸運が重なって生き延びることができたのだろう。
俺はヘルメットの男がいたはずの方へと見遣るとユナに聞いた。
「……他に生存者はいないのか?」
「残念だけど、今判明しているのはあなたと初音さんのお父さんだけよ。速見君にしたってこの崩落で生きているのが不思議なくらいなんだからね!」
再び怒られそうになる。きまりが悪く他の話題を選ぼうかと考えていると、向こうの方からスーツ姿の男が瓦礫に足を取られそうになりながら駆け寄ってきた。
「おーい、長塚君。初音君。彼は無事だったかい?」
俺達の近くまで来たその男の姿を捉えると、吉川との取り調べの時に出会った皆川さんだった。
「決していい容態とはいえませんが、彼はもう大丈夫です」
俺の代わりにユナが応える。さっきまでの怒りは何処へ言ったのか、感情が消えて真面目な雰囲気に変わっていた。
俺は心の中で皆川さんに感謝すると質問した。
「皆川さん、何でここに?」
「二人と同じく君を助けに来た。……と言えたら良かったが、生憎私は仕事で彼女たちと合流してね」
皆川さんはそう言うと、ちらりとエミの方を見遣る。嫌な予感がしたが皆川さんは冷静に言った。
「初音君、君には特定秘密保護法違反の容疑がかかっている。最寄りの署までご同行願えるかな?」
(やっぱりそうきたか……)
今回のことが公になれば、エミが罪に問われる可能性は充分にあった。だが事情を知っている俺はすかさず口を挟む。
「待ってくれ、皆川さん。エミは……」
お父さんを人質に取られていたこと、決して最初からブラッディ・レベルに所属し情報を渡す裏切り者として潜入していたわけではないことを説明しようとした。
しかし、俺の言の葉を遮るようにエミ自身が口を開く。
「いいんです、アルトさん。今回の件で、アルトさんだけでなく沢山の人に迷惑をかけてしまいました。父の件が無事に終えた今、どんな罪でも甘んじて受けるつもりです。だから、私に構わないで下さい」
そう言うとエミは一歩前に出て、皆川さんの隣に進む。彼女がそれを甘受しても、俺の中ではどうしても否定したい気持ちが強かった。
すると、俺を抱き抱えていたユナが俺に諭すように言った。
「大丈夫よ、速見君。私も皆川さんも今回の件について初音さんからすべての事情を聞いているから。初音さんの事、決して悪いようにはしないわ。彼女が今までSCCOに尽くしてくれていたこともあるし、今でも私は彼女を信じているから」
ユナはキッパリと言い切った。それに合わせて皆川さんも反応する。
「私も初音君を疑っているわけではないよ。ただ、組織というのは厄介でね……。私や長塚君が彼女を許しても、普段から【SCCO】に反発しているものも政府や公安には存在する。彼らを納得させるためにも、形だけでも落とし所を付ける必要があるんだ」
皆川さんも渋々やっているというように肩を窄めて言った。その後、俺の方へと向き直すと力強く話す。
「約束するよ、速見君。初音君に関しては、緊急避難としてなるべく罪が問われないように話を進めるつもりだ。前のように管理責任者としての役職に復帰することは難しいかもしれないがね」
そう言われ俺はエミの方へと顔を向けた。エミもまた俺を見つめ返し力強く頷く。エミ自身がこのことに納得しているようならこれ以上俺から言うことは何もなかった。
それから少しの間の後、皆川さんが続けて言った。
「さて、そろそろ行こうか。初音君、しばらくは家族以外と面会できなくなる。最後に二人と話すといい」
皆川さんはそう言うと俺達と少し距離を開けて踵を返す。
その様子を見たユナは俺を側にあった瓦礫に持たれ懸せると言った。
「私はいいわ。いざとなったら長官権限で会いに行くから。初音さん、あなたのこと待っているから。いつでも戻ってきてね」
ユナはエミに笑顔を向ける。それに応えるようにエミも涙を溜めながら力強く「はい!」と応えた。
それからユナは俺達に気を遣ったのか、エミと二人きりになれるように皆川さんの元へと向かった。
自然とエミと向き合う。こういう時なんて言葉をかければいいか俺には分からなかった。
結局、俺が悩んで沈黙しているとエミの方から話しかけてくれた。
「アルトさん、改めてお礼を言わせて下さい。父のことを助けてくれて、そして私のことも励ましてくださって本当にありがとうございました。それから謝罪も。私のせいであなたのことを何度も危険な目にあわせてしまいました。本当に……本当にすみません!」
目の前で深々と頭を下げる。涙を堪えているのか、顔を見せない代わりに最後の辺りは涙声になっていた。
お父さんが解放され、今まで押し殺していた感情が沸き上がっているのだろう。今まで無理をしていた分、エミは漸く誰とでも気兼ねなく話せるようになった。本来ならこれからゆっくり時間をかけて彼女は人生を新しく歩み出すことができるのに結果的にこうなってしまった。それを思うと胸が苦しくなる。
ただ俺は最後にもう一度伝えるべきことを言うことにした。
「顔を上げてくれエミ。あの時も言ったが、俺は自分の意志で戦い。自分の意志でSCCOに残ることにした。これは俺の責任であって、君自身が責任を負う必要はないよ」
エミはすぐさま顔を上げる。やはり泣いていたのか頬から零れ落ちるほど顔が涙で濡れていた。
「けど……私は……」
エミを問い詰めたあの時と同じで何かまだいいたげな様子だったが、俺はまたそれを遮るように続けた。
「むしろ俺は君に感謝している。君と出会えて一緒の時間を過ごして、君のお陰で何度も命を救われた。だから俺の方こそお礼を言わせて欲しい。助けてくれてありがとう、エミ」
「そんな! 私はお礼を言われる筋合いはありません! 元はといえば全部私のせいなんですから!」
エミは未だに罪悪感を感じているのだろう。このままでは彼女の心に一生の傷が残ってしまうかもしれない。そう思った俺はとある提案をすることにした。
「エミ、君が君自身を許せないというなら一つだけ約束をしてくれないか? もし君がこの約束を守ってくれるのなら俺はこれ以上この件に関して何も言うつもりはないし、例え周りの人達が君を責めようと、一番の被害者である俺が許すんだ。他の誰にもこの件に関して責めさせはしない」
エミは食い入るように俺を見つめると、藁にもすがるように頷きながら言った。
「……わかりました。アルトさんがそれでいいなら、何でも言って下さい」
「あぁ、それなら……」
俺はわざとらしく沈黙をする。
エミはこちらの様子を恐る恐る伺っていた。きっとエミにとってどんな不都合な条件でも今の彼女なら叶えようとするだろう。
そんな彼女の杞憂を取り払うかのように俺は言ってやった。
「今度また会えたら俺と一緒に食堂で朝食を食べてくれ」
「……え?」
聞き間違えたと思ったのか、間の抜けた声でエミが返答した。それはそうだろう。けれど、俺は唯一後悔していた事をそのまま伝えた。
「あの時……エミと朝食を食べたのは結局一回きりだったし、他のメニューも試してみたいとずっと思っていたんだ。ただ、一人ではちょっと気まずいというか……。一緒に食べてくれると助かる」
「……そんなことでいいんですか?」
俺のこの返答は予想していなかったのか、エミは困惑しながら俺を見つめていた。俺はそんな彼女の顔を見つめながら続けて言った。
「俺は基本的に人見知りだからな。誰かを誘うにも勇気がいるんだよ。もし君が一緒に食べてくれないなら俺も今回のこと一生許すつもりはない。だから……俺のわがままに付き合ってくれ」
なるべく真剣に伝えたつもりだったが、エミは俺の言葉を冗談だと受け取ったのか手で涙を拭うと少し笑って言った。
「どんな事を言われるのかと思いましたが……わかりました。必ず、お付き合いしますね」
「あぁ、それからあのカレーもまた一緒に食べよう」
「……はい!」
今度はちゃんと笑顔で返事をしてくれた。それから少しの間見つめ合う。もう彼女の心に傷は残っていないように思えた。安心した俺は「それじゃあ、また会おう」と呟く。
彼女も「はい、また会いましょう」と返事した。
お互いの距離が離れ彼女は後ろを向く。その後、皆川さんの元へゆっくりと歩いて行く彼女の背中を見送った。
しかし、突然エミが思い出したかのように振り返ると声を大にして叫んだ。
「アルトさん! あなたは私にとってのヒーローです! アルトさんならどんな人だって助けられると信じていますから! だから、これからも頑張ってください!」
そう言われ俺もそれに応えるように叫んだ。
「ありがとう! 出来る限り頑張るよ!」
エミは俺の言葉に笑顔で返した。そしてもう一度今度は真っ直ぐ振り返らずに去っていく。
「アルトさん……大好きです」
エミの背中がだんだんと小さくなって行く中、エミが最後に小さく呟いた言葉は俺には聞こえていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます