第29話

 部屋の全容を素早く一瞥する。どういう構造なのかわからないが、この部屋のみ天井が高さ十五メートル程あるようで、小さな蛍光灯が二つ中央に並列されている。その蛍光灯の光が最低限内部を照らしていて、廊下側の光と重なり漸く部屋に何があるのか目視できる程度だった。

 薄暗い部屋には三人の男達が機関銃を俺の方に向けてこちらの出方を探るように牽制しており、その男達の後ろには椅子に縛られた一人の男性がこうべを垂れている。更に男性の後ろの壁際に机と一緒に起動していないパソコンが一台置かれていた。

 部屋の大きさの割には他に何もなさそうで、罠が仕掛けられている可能性も低い。

 それならば、対処すべきは他の警備隊と同じ格好をした三人の男達のみということになる。 俺はすぐに男達の方へと視線を戻すと、能力を発動させたまま身構えた。

 その様子を見ていた三人の男達の一人が口を開く。

「何者だ……と言いたいが、大体予想は付いている。お前、SCCOの一員だな?」

「そうだ……その人を今すぐ解放しろ」

 俺は男達の後ろにいる椅子に縛られた男性を少しの間見遣ると言った。

「残念だが、そういう訳にはいかない。俺達の任務はこいつの殺害にたった今切り替わった。任務失敗は許されない」

 もう一人の男が親指を後方へ向け、人質となっている男性を指して言う。

「つーか、あいつ一人で来たのか? 無謀すぎじゃねぇ? いや、それよりこれから楽しもうって時に何邪魔してんだよ」

 最後に軽薄そうな男が苛立ちながら機関銃を構え直した。張り詰めた空気が一層重くなり、もう少しで発砲されそうな雰囲気に変わる。

 能力をフルで発動させれば銃弾も交わせそうだが、ここに至るまでの能力の使用頻度を合わせて考えると、この後に十中八九動けなくなる可能性が高い。発砲される前に詰め寄るか相手が近寄って来れば問題無さそうだが、さっきまでとは違い相手に隙がないのも厄介だった。

 俺は少しの思考の後、どうにかして相手の油断を誘おうとはったりをかける事にした。

「誤解をしているようだが、俺はあんた達を傷つけるつもりはない。それに、今俺を攻撃すると工場の外に潜伏している一○○人あまりのSCCOの精鋭部隊が一斉に飛び込んでくるぞ」

「何だと!?」

 息を呑むように男達の頭部が僅かに反応したかと思うと、すぐさま左側にいた男が片方の手を耳元に当て、通信を試みた。

「おい、警備はどうなっている!? 侵入者だ! 周辺に敵がいないか今すぐ確かめろ!」

 予想通りと言うべきか、この地下にまだ潜伏しているはずの他の仲間と状況を確認しだした。

 こいつらにとっては、今の話をにわかには信じ難いだろう。こちらが信憑性を明示しなくても裏付ける判断が必要となる。

 だが、その確認が無駄であるということは俺の中で確信に近いものがあった。

 ここに来るまでの間、能力を使用して敵を制圧してきたが、ESを感知されて増援を呼ばれた形跡がなかったことや、地下に侵入する前に俺の存在を気付かれなかったことを考えると、今この地下施設に補助型の第二人種がいるとは考えにくい。

 つまり、仮にこの施設に敵の攻撃型の第二人種がいるとしても、外の対応をするよりは目の前の侵入者を対処するべきであり、これまでに一人足りとも遭遇しなかった時点で、この施設にESを感知できるほどの実力のある第二人種はいないと思っていた。

 奴らが外の様子を探ったとしても今の俺の言葉の真偽を計ることは難しいだろう。

 俺は追い打ちを掛けるようにはったりを続けた。

「確認しても無駄だ。俺の仲間には気配を完全に遮断する能力をもつ奴がいる。近づけばバレる可能性はあるが、仮に肉眼で見える距離にいれば他の仲間が敵を袋叩きにするし、状況がまずくなったとして、すぐにこの施設を制圧しにくる手筈になっているからな」

「なっ…………」

 奴らの動きがピタリと止まった。相変わらず銃口をこちらに向けたままだが、お互いの顔を横手に見合わせ、どうすればいいのか思考しているように思える。

 さっきまでとは違い動揺しているようだった。あと一手押せば隙を作れるかもしれない。 俺はより一層声を張り上げると言い放った。

「これが最終警告だ! 大人しく降伏すれば、消して悪いようにはしない。さぁ、今すぐ武器を下ろしてその人を解放しろ!」

「…………」

 再度奴らはお互いの顔を見遣ると三人の内、真ん中の奴を除いた二人は銃口を下げた。しかし、その中央にいた男が冷静に言葉を発した途端事態は急変することとなった。

「一つお前も誤解をしている。例え降伏しようが、お前の仲間に殺されようが、俺達は任務を失敗した時点で、組織のボスに殺される運命にある。ならば取るべき行動は一つだけだ」

「なにっ!?」

 真ん中にいた男はそう言い放つと、銃口を俺から捕虜の男性へと向けた。男の指先に力が入り、その引き金を引くまさにその瞬間、俺は咄嗟に最大限の能力を込めて男に向かっていった。

「はぁああ!!」

 気迫を込めた一撃が男の腹部に直撃する。男は「がはぁっ!」と短く咽ぶと壁際まで吹っ飛び轟音を立てて衝突した。

 一瞬の出来事に反応が遅れた残りの男達二人が、はっと我に返り慌てて銃を構え直そうとする。

 俺は間髪入れずに体勢を立て直すと男達に向けて打撃を加えた。その二人も同様に咽びながら体が宙を舞うと、転がるようにして地面に衝突し程無くして横たわった。

 その様子を見届けた後、俺はフル稼働させていた能力の発動をやめる。すぐさま捕虜の男性へと近づき声を掛けた。

「大丈夫ですか!?」

「……あぁ、私なら大丈夫だ。だが……君は一体何者なんだ?」

 疲弊しきっているのか、かすれ声で返答を受けた。

 よく見ると捕虜の男性は長い間拘束され拷問にかけられていたのか、普段なら端正であると思われる顔立ちがやつれており、眼鏡越しからでもわかるほどの柿色の瞳、その細目の目元から下には皺ができていた。鼻筋は高く傷はないが、細い口唇が切れているのか下唇から血が出ている。

 羽織っていた白衣はボロボロで衣服の隙間から擦り傷や切り傷が垣間見えた。上半身は椅子に巻き付くようにロープで縛られており、手には痣がくっきりと浮き出ている。

 俺は急いでロープを解きながら質問に応えた。

「俺は【SCCO】の速見アルトと言います。あなたはエミの……初音絵美さんのお父さんですよね?」

「……そうだ。君は絵美の知り合いなのか? それに奴らも言っていたが、その【SCCO】とは一体何だ? 娘と何の関係がある?」

 エミのお父さんからしてみればいきなり誘拐された挙句、恐らく家族とはいえエミ自身からは機密の漏洩を防ぐため、SCCOだけでなく第二人種に関することは何一つ聞かされていないはずだ。今の状況に混乱するのは当然だろうし、できる限り質問には応えたかった。

 だが俺はエミのお父さんが無事だったことへの安堵と、一刻も早くここから脱出してエミを安心させたい気持ちからその思いを抑えて言った。

「今は話している時間がありません。一つ言えるのは、俺は絵美さんに頼まれてあなたを助けに来ました。後で必ず説明しますから、取り敢えずここからすぐに脱出しましょう」

「……分かった。どのみち今は君を信じるしか他に道が無さそうだ。娘と同じ年頃の子に迷惑をかけて申し訳無いが、よろしく頼む」

 命の危機に晒されながら、普通なら動揺してもおかしくない状況で、冷静に納得してくれたようだった。流石というべきか、この辺りはエミと同じでしっかりしていると思わず感心してしまう。

 俺は短く「はい」と応えると、エミのお父さんに肩を貸し一歩踏み出した。

 しかし、その時だった。

「ぐっ」

 手足から全身にかけて体が小刻みに震え出す。これはあの時と同じ――能力を使い過ぎて限界に達している――状況に近かった。

 やはりここに至るまでの能力の連続使用と先程の最大限の発動が効いているのか、思わず体がよろめいて倒れそうになる。咄嗟にエミのお父さんが体を支えてくれた。

「大丈夫かね?」

「はい……すみません。行きましょう」

 不幸中の幸いと言うか、一回の戦闘における能力の割合を極力抑えていたことや、フルパワーでの戦闘時間が短かったことから体が完全に動かなくなることは無さそうだった。

 俺はエミのお父さんとお互いに支えあうように肩を貸し合いながら、部屋の入口付近にまで歩いて行った。

 ここに至るまでの敵は一人残らず倒したはずだが、残党が潜んでいる可能性が充分にある。とてもじゃないがこれ以上能力を使って敵を倒すのは不可能に近い。騒ぎを聞きつけられて増援を呼ばれる前に、どうしてもここから離れたかった。

 部屋の外から差し込む廊下の蛍光色がはっきりと見える所で少しだけ耳を澄ます。足音が聞こえてくる様子はなく、何となくだが敵の気配も感じられない。

 今のうちに脱出しようと後一歩踏み出せば廊下に出るという所で、状況が一変した。部屋中に響き渡るように銃声が轟く。俺の左頬を掠めるように一発の弾丸が廊下の壁へとのめり込んだ。

「なっ……!」

 突然の出来事に反応が遅れる。首だけを動かして後ろを見遣ると、最初に突き飛ばしたはずの真ん中にいた男が、壁にもたれ掛かるように座り込んでいたがその両手で持った機関銃だけはしっかりとこちらへ向けていた。

「嘘だろ……」

 思わず思っていたことをそのまま口にしてしまう。いくら一撃しか加えていないとはいえ能力をフル稼働させて殴ったにも関わらず、第二人種でもない人間がもう気絶から回復していた事への驚きと、殴った時の感覚から吉川との戦いと違って【バトル・アーマー】さえ着ていないはずの男が、あの一撃を耐え抜いた事への動揺を隠せないでいた。

 言葉を失っていると、こちらの気持ちを悟ったのか男の方から声をかけてきた。

「そう驚くことはない。いや、お前の攻撃は凄まじいものだった。だが、俺も和ノ國の元特殊部隊の一員だ。多少の痛みは我慢出来る」

 そう言いながら男はゆっくりと壁に背中を預けるように立ち上がった。

 相も変わらずオープンフェイス型のヘルメットを被り、その顔面を黒い半透明のシールドが口元以外を隠しているため、男の表情が全く読み取れない。

 男の所作からダメージを負っているのは事実だろうが、未だこいつの体力にゆとりがあるなら、このまま戦闘になるのは確実でこちらが殺られるのは目に見えていた。

 そんな思考をしていると、男は俺の不安を否定するかのように続け様に言った。

「そう心配するな。俺達はもう任務に失敗したとボスから見做されるだろう。先の通信から返答が無かったことを考えると、お前はこの地下にいる俺達の仲間を殆ど倒したはずだしな。それならばせめて、この俺に深手を追わせた奴と死ぬ前にもう一度手合わせをしたいと思っただけだ」

 男は機関銃を構えたままだったが、こちらの返答を待っているようで引き金を引く様子がない。

 先程のこいつの言葉が本当ならば、この男ともう一度対決すればこの場所は制圧したのも同然だろうが……。俺の体力はほぼ限界に近い上に、エミのお父さんを巻き込む可能性がある。  仮にこいつを倒したとしても地上に帰れる保証がなかった。俺はエミのお父さんの側を離れると意を決して男に提案をすることにした。

「もう一度言うがSCCOに頼めば捕まることにはなるだろうが……あんたも含めてここにいる連中全員の命の保証はできる。これ以上俺達が戦うことのメリットがない。けが人を安全に地上に帰すまでの時間をくれれば、あんただけでも減刑するようにSCCOのリーダーに俺から伝えるつもりだ。だから大人しく投降してくれないか?」

「それは無理な相談だ。言っただろう。任務に失敗した時点で俺達は殺される運命にあると。お前が思っている以上にブラッディ・レベルという組織は残酷なんだよ。お前こそ覚悟を決めて俺と決着をつけてくれ」

 戦いを避けつつエミのお父さんを助けるための唯一の提案のつもりだった。相手が退かない以上こちらも敵の要求を飲むしかない。

「分かった。なら、せめてけが人だけでも地上に帰させてくれ。俺とあんたとの戦いにこの人は関係がないはずだ。それとも任務続行としてこの人を殺すつもりか?」

 俺は隣にいるエミのお父さんを見遣ると言った。

 エミのお父さんは傷が激しいが、ここから地上に一人で帰るくらいの体力はあるだろう。ここで俺とこいつが共倒れになったとしてもせめてこの人だけでも助けたかった。

 すると、男は少しの沈黙の後構えていた機関銃を下ろし床へと投げ捨てて言った。

「……いいだろう。だが先程の一撃のように本気でかかってこい。それが条件だ」

 俺は返答の代わりに首を縦に振った。その後、エミのお父さんの方に首を向ける。

「聞いたとおりです。他の敵が襲ってくる可能性があるかもしれませんが、どうか気をつけて地上まで帰って下さい」

 エミのお父さんはその言葉を聞くとすぐに頭を横に振って言った。

「駄目だ。君を置いていけない。情けないことに私ではあの男を倒せないが、君に奴を倒せる可能性があるといっても、君自身の体調が優れないんだろう? それに絵美の知り合いなら尚更放っておけるものか」

「心配いりません。俺はまだ動けます。それに護衛対象がいると戦闘に支障が出てしまいます。どうかお父さんだけでも帰って下さい。それから……これを耳につけて貰えますか?」

 そう言うと俺は片耳につけていたイヤホン型の無線機を外して手渡した。エミのお父さんは不思議そうにしていたが、それを受け取ると右耳に着けた。

 その様子を見届けた後、俺は続けて言った。

「部屋を出て右に行くとエレベーターがあります。そこから地下一階に行き左に沿って通路を曲がった先に長い階段を登れば、地上まで出られます。後は、その無線機で絵美さんと話せるはずなのでお嬢さんの指示に従って下さい」

「……分かった。なら私は救援を呼ぶようにすぐに娘に伝えよう。君もどうか気をつけてくれ」

 エミのお父さんは俺がもう限界に近いと気づいていたかもしれないが、渋々でも納得してくれた上に、彼にできる事をすぐに提案してくれただけでも有難かった。

 俺は「お願いします」と一言述べると、エミのお父さんが部屋を出て行くのを見届けた。

 足音が聞こえなくなった頃、漸く相手の男と向き合うと息を整えて言った。

「待たせたな。これであんたとの決着を付けられる。いつでもいいぞ」

 男はその言葉を聞くと、顔面を覆うヘルメットから唯一見えるその口元がにやりと口角を上げる。そしてゆっくりと壁から離れると一歩ずつこちらへと近づいてきた。

 俺も手足の痺れを誤魔化しながら一歩ずつ相手へと近づく。

 互いの歩調が早くなり駆け足に近くなった頃、お互いに同時に拳を構えて相手へと伸ばした。

 俺は男の腹部を、男は俺の顔を同時に殴る。互いによろけながら体勢をすぐに直すと拳を交えた。

 殴る蹴るの単純な殴打。殺し合いというより喧嘩に近いそれは僅か数分の間続いた。お互いに息が上がり立っているのが精一杯になった頃、相手の男が口を開く。

「こんなものではないだろう。お前の攻撃が先程のものと違うことぐらい分かる。本気で来いと言ったはずだ。何を躊躇している?」

「別に、能力を使っていないわけじゃない。そんなことをしてもあんたには効かないだろうからな。だが、俺のこの能力は限度があるんだよ。さっきの攻撃は無理矢理出したものだ」

 嘘はついていない。能力は本当に使っていた。だが、体の痺れからかいつものようにうまく能力を使いこなせていない。ユナの話やみずき先生の話から俺のこの能力は使う度に体への負担が大きくなっているというのは明白だった。

 男はこちらの様子を探っているようだったが、一息ついた後言い放った。

「そうか……。ならば、次の一撃にすべてをかけてこい。俺もお前を殺す気で行く。それで終わりにしよう」

 相手の男が体勢を変える。先程までとは違い気迫を感じる勢いだった。

 俺もそれに応えるかのように身構える。正直な所全力を出せるかも分からないし、当然この後気絶は間逃れないだろうが、エミのお父さんを安全に返せた今、後先の事などどうでも良かった。

 俺はもう一度相手の方へと向くと能力をフル稼働させた。お互いに距離を近づけもう一度拳を振りかぶる。

 だが、さっきまでとは違いお互いの拳は同時には届かなかった。

 俺の放った一撃がまたも男の腹部を直撃する。その後最大限の能力を込めて相手の体を突き飛ばした。

 最初に加えた一撃と違い、男の体が壁にぶつかることは無かったが床に倒れ込むと横たわる。

 俺はただその様子をじっと見ると膝から地面に崩れ落ちた。

 吉川との戦いと違い幸いにも意識はある。だが、起き上がることを拒絶するかのように体にもう力が入ることは無かった。

 このままの状態でいればいずれ敵に見つかるか、エミのお父さんが約束通りエミを通じてSCCOに連絡をしてくれるかもしれない。正直な所賭けに近かった。いやむしろ心配なのは、エミのお父さんは無事に地上に帰れたのだろうか。

 そんなことを考えていると、不意に室内にあった机の上にあるパソコンの画面が起動した。部屋に入った時は気にも留めていなかったが、何事かと目線だけをそちらに向ける。画面がよく見えないが電話会議のように誰かが画面越しに映っているのが見えた。

 そのパソコンから拍手のような手を叩く音が聞こえてくる。その数秒後渋目の男性の声が発せられた。

「素晴らしいものを見せてもらった。SCCOに新しい格闘系の第二人種が入ったと聞いた時は耳を疑ったが……。まさか君のように素晴らしい素質を持っているとは……」

 男性の顔は地面からだと見えづらく今の俺には声を聞くことと話すことしかできそうに無かったが、声の主は大体の検討がついていた。

「お前は……。ブラッディ・レベルのボス……河原靖史だな?」

「その通りと言いたいが……。その答えでは半分不正解だ。確かに私はブラッディ・レベルで組織を管理しているし指示も出しているが、私は組織のボスというわけではない。私ではあの方には到底及ばない。あの方の高尚な目的など誰にも理解できないだろう」

 まさかとは思ったが河原靖史以外にもボスがいたとは考えていなかった。いや、それよりもこいつと話せるチャンスは限られている。今の俺には少しでも情報が欲しかったので聞くことにした。

「ここの連中と話した時から違和感があったが……やはり、部下のことを監視していたんだな」

 そうでなければSCCOの助けを頑なに拒んだりせず、普通は任務続行を優先としてエミのお父さんを確実に殺そうとするだろう。俺の邪魔が入った時点で任務に失敗したと話していたということは誰かに見られていたということだ。

「気づいていたか……。まぁ、あれだけの要因があれば当然とも言える。だが、むしろ感謝して欲しい。君が私の興味を引く存在で無ければとっくに君を始末していただろう」

「……そっちでも格闘系の第二人種があまりいないのか? あんたがここに残した連中は第二人種がいないようにも見えたが」

「私は勝負事にはまず小手調べを行う質でね。消して第二人種の人材が足りないわけではない。ただ吉川からの連絡が途絶え倒されたと知った時から、君の実力が見てみたくなっただけのこと」

 それ以上応えることはないとでも言うかのように質問をはぐらかされた。それならば次に気になっていることを聞くことにした。

「何故このタイミングで俺に接触してきた? そのまま静観していても良かっただろ?」

「私は組織の管理をしていると話しただろう? つまりは君を勧誘に来たということだ。どうかね? 我々とともに和ノ國を、いや世界を蹂躙し人々の上に立つことに興味はないか?」

「冗談きついぜ。あんたらの仲間になるくらいならここでくたばったほうがマシだ」

 それを聞いた河原は肩を落とすかのようにわざとらしく溜め息を吐いた。

 画面が見えない分どういう表情で話しているのかわからないが、俺が断ることなど想定内だろう。まさか本気で誘っていたとでも言うのだろうか。

 その思考を遮るかのように河原が口を開いた。

「ならば仕方ない、私は諦めも早い方でね。君という存在は今後我々の脅威になる可能性が高い。望みどおりここで死んでもらおう」

 そう言うと河原は指でパチッと音を鳴らした。その瞬間、何処かで爆弾が作動し起爆する音が聞こえてくる。轟音が次第に大きくなるに連れて地面も揺れているのを感じた。

 部屋の天井に亀裂が入り始め、砂埃が舞う。廊下では既に天井が崩れたのか蛍光灯の割れる音が響いた。

 俺はというとそんな状況でも体が動かず、パソコンの方をじっと見つめることしかできない。

 抵抗するのも虚しく口で反論するのがやっとだった。

「あんたの仲間も見殺しにするきか? 随分と薄情なんだな」

「仲間だと? 面白いことを言うなぁ君は。組織というのはいかに効率よく部下を使いこなすかだ。使えなくなったものに価値などない。代わりはいくらでもいるのだから」

 普段の俺ならこの言葉を聞いて突っかかったかも知れないが生憎、今は怒った所で力が入りそうにない。

 そうこうしていると部屋の崩壊が強まり天井が崩れ始めてきた。コンクリートの塊が部屋の隅へと落ち始める。

 自分のいる場所に落ちてこないのが幸いだったが、もはや死ぬまでの時間が一刻もないように思えた。

 俺は最後にもう一度河原へと疑問を投げかけることにした。

「なぁ、最後に一つ聞いてもいいか? どうせ俺はここでくたばるんだから教えてくれてもいいだろう?」

「いいだろう。何が聞きたい?」

「お前達の居場所だよ。何処に潜んでいるんだ? それとさっき言っていたあんたらのボスの名前は?」

 俺のこの問いかけによって、一瞬、周囲が静閑したように思えた。

 河原は返答に迷っているようで、瓦礫の山だけが刻一刻と積み重なっていく。このまま沈黙を貫くのかと思ったが、漸く口を開いた。

「我々は一つの場所に留まっているわけではない。所謂アジトと呼ばれる場所が複数に存在している。それと、あの方の名前については黙秘させてもらおう」

「なんだよ。言ったら殺されるとでも?」

「そうではない。ただ私の立場上、権限が決まっていてね。あの方の事に関しては特に勝手に話をしてはいけないということだ。代わりに他のことなら答えよう」

 これ以上聞きたいことは無かったが、ふと視線を戻すとさっきまで俺と殴り合いをしていた男の姿が目に入った。

「なぁ、せめてあいつだけでも助けてやってくれないか?」

 唐突な俺の発言に河原はまた言葉を一時いっとき失ったようだった。少しの間を置いて、返答の代わりに疑問が返ってくる。

「君はまた興味深いことを言うな。あの男は君の敵だろう? どうして助けようとする?」

「別に、敵とか味方とかそんなことは関係ない。ただ、あいつは本来俺かエミのお父さんを殺せたかもしれないのにそのチャンスを捨ててまで俺と戦うことを選んだんだ。あんたが部下を切り捨てようとしても、俺は救える可能性があるなら敵だろうと助けたい。それが少しでも良心のある奴なら尚更な」

 この場にいた他の男達はいつの間にか瓦礫の下敷きになっていた。悪いことをした天罰が下ったと言われればそれまでだが、目の前で人が死ぬというのはやはり後味が悪い。

 せめて瓦礫の下敷きになる前に、殴り合いをした男だけでも他の誰かが救助してくれればと思ったのだが……。

「残念だがそれはできない。君も分かっているだろう。この地下施設にもはや生き残りなどいなく、私にできるのは遠方から爆弾を起動することだけだと」

 河原の言っていることはもっともだ。わざわざパソコンを使って接触を測ってきた時点で、この地下施設にこいつはいないことは推測できる。それに他の敵の残党達も崩壊が始まった時点で逃げ出しているだろう。

「君という人間がどういうものか、少しは理解できた所で申し訳無いが、そろそろ時間のようだ」

 河原がそう言うとパソコンの真上にある天井に亀裂が入りコンクリートの塊が崩落する。

「最後にはなるが、君と話せて光栄だった。もし君が生き延びる事ができたならば、次は直接会えることを期待しているよ」

 そう言い残すと瓦礫がパソコンを直撃する。破裂音とともに歪な形になったパソコンが完全に停止すると、部屋を照らしていた明かりが消え周囲が暗くなった。

(ここまでか……)

 心の中でそう呟いた。この崩壊の中ではSCCOの救助は期待できない。今の俺にできることは頭上にある天井の崩落が少しでも長く持ち堪えるのを祈るくらいだった。

 自分にできる事はやりきった。今の気分は諦めもあるが満足感の方が強い。ただ一つ後悔があるとすれば、最後にもう一度師匠に会いたかった。

 目を閉じて思い出を反芻する。人生の半分、他人にとってはたかが九年間としか思われないかもしれないが俺にとっては師匠と過ごした時間はかけがえのない思い出ばかりだった。

 ふと、ある時言われたことを思い出してしまう。それは修行の一環として木に実っている林檎を能力によって採るというものだった。

 その頃の俺は背も低く、能力を発現させたばかりでうまく扱えない。子供が遊具で遊ぶように高く飛び跳ねるので精一杯だった。

「師匠、無理だよ。僕にはもうどうすることもできない」

 泣き言を並べる俺に、師匠は優しく微笑みながら励ますように言った。

「あら、アルト。もう諦めるの? 昨日はもっと頑張っていたじゃない」

「だって、何度やったって何も起きないし、僕に能力を扱う才能なんかないんだよ」

 俺がそう話すと師匠は俺の頭を撫でてくれた。俺もつい弱音を吐くのをやめて身を任せてしまう。

 そのままじっとしていると師匠は続けて言った。

「いい、アルト? 才能というのは確かに人によってはあるかもしれない。でも、大事なのは才能があるかどうかじゃないわ。どんな人でも始める時は一緒よ。ただひたすら努力して会得するのが遅いか早いかだけ」

「でも……」

 言い返したい気持ちはあった。師匠の言葉は正しいだろうが、子供の頃の俺にとってはできないという事実が悔しさを通り越してもはや諦める言い訳になっていた。

 そんな気持ちを汲み取ったのか師匠は俯いていた俺に続けて言う。

「諦めては絶対駄目ということはないけれど、仮に諦めてしまったらその先にあったかも知れない未来まで完全に閉ざしてしまうわ。だから勇気を出して、可能性が僅かでもある限りやれる所までやってみて」

 その言葉を聞いた俺は「うん」と短く呟くと再び能力を使おうと努力する。

 師匠はその様子を見守りながら続けて言った。

「それにね、アルト。あなたのことを見守ってくれる人は必ずいるわ。例え今が辛くても、その人があなたの支えにきっとなってくれるから。だから絶対大丈夫! あなたならやれるわ」

「それって師匠のこと?」

「もちろん私もそうだけど……。あなたがこれから出会う沢山の人達がきっとあなたの力になってくれるわ。だから自分を信じて頑張りなさい……」

 思い出の中の師匠がだんだんと薄れていく。これはただの回想に過ぎないことを自覚した途端、俺はそこではっきりと目を覚ました。

 辺は依然として瓦礫まみれの真っ暗な部屋で、目を閉じていたのはほんの数秒に過ぎなかっただろうが、それでも意識だけは元の状態に戻ったように思える。

 俺はもう一度体を動かそうと全身に力を入れた。師匠の言葉通り最後まで諦めない。その思いが全身に力を与えているような気がした。

 しかし、その思いとは裏腹にやはり思うように手足が動かない。ただその場で身動いだだけの状態が続く。

 その様子を無下にするかの如く、ただ天井の亀裂が広まっていき周囲には瓦礫が積み上げられていった。

「……まだだ! まだやれる!」

 自分に言い聞かすように声を上げる。能力を発動させるように意識を集中するが、俺の体内に存在するESがもう残っていないのか、いつも感じていた力が湧き上がるような感覚が全く起きなかった。

「くそっ! 何か他に方法があるはずだ! 考えろ!」

 助かる方法を模索する。思考を止めてしまえばそこで死んだのも同じだ。俺は周囲に使えそうなものがないか見渡した。

 ふと、先程まで河原と会話していたパソコンが目に入る。瓦礫に潰れて砕け散ってはいたが、そのパソコンが置かれた机は無事だった。 材質がスチール製なのか多少の衝撃では壊れそうにない。机の下までいければ生き埋めにはなるだろうが、圧死の可能性を少しでも避けられそうだった。

 俺は再度身を捩らせると机を目掛けて這うように進んだ。僅か数センチずつゆっくりと近づいていく。そうしている内に崩壊が進み部屋の半分以上は瓦礫で埋まっているのを感じた。

 机の下まで目と鼻の先という所まで来た所で遂には俺の真横まで瓦礫が落ちてきた。

 一瞬の出来事に驚き冷や汗を掻く。あと少しだけ待ってくれと心の中で祈りながら机に近づこうとした。

 その瞬間、意外な事が起こった。俺の体が持ち上げられると、机の下までそっと放り込まれたのだ。

 俺は何事かと思い何とか首を横に向けると俺と殴り合いをしていたヘルメットの男が佇んでいる。

 男は肩で息をしながらその場にゆっくりと腰を下ろした。

 その様子を見ていた俺は思わず口を開く。

「あんた、どうして?」

 何故俺を助けようとするのか、この崩壊の中何故逃げないのか、その両方が聞きたかったが、突然の出来事に言葉が出て来なかった。

「お前がボスと話していた時、俺の意識はまだあった」

 男はゆっくりと息を吐くと俺の疑問にすべて応えるように徐に口を開く。

「正直な所、たまげたよ。まさかお前は敵であるはずの俺を本気で助けようとするとは。これはその借りのお返しだ」

 耳を疑うセリフだったが、俺はそれよりもこの男の方が心配だった。さっきの疑問を率直にぶつけることにする。

「助けてくれたのは有難いが、今すぐここから逃げろ。さもないと生き埋めになるぞ」

「無駄だよ。お前からは見えないかも知れないが、既に入り口は瓦礫で埋まっている。後は死ぬのを待つだけだ」

 男は部屋の入口付近を見遣ると言った。机の周りはほぼ瓦礫で埋まっており、周囲の様子が伺えない。その言葉に嘘は無さそうだった。

「なら、あんたも机の下まで入ってくれ。二人ならまだ空きがある」

 一人用の机だがお互いに膝を抱えるか、寝そべった状態だと二人が入れそうな長さはあった。

 だが、男は俺の誘いにかぶりを振ると言った。

「お前に負けた時点で、俺の人生は終わったんだ。もう悔いはない」

「バカを言うな。あの戦いに命を捨てるほどの価値があったとでも言うのか?」

 あんなのはただの殴り合いだ。命を掛けたとはいえ俺はこの男を殺す気などは無かった。最後の一撃、全力を込めたつもりだったが、ほんの一瞬無意識の内に手を抜いてしまった。

 第二人種でもない普通の人間が俺の全力を込めた一撃を二度も食らったら、流石に相手の体が耐えられないかもしれないという恐れがあった。その結果、こいつの中では殺し合いのつもりであっても俺の中では喧嘩を諌めるような感覚で戦うこととなった。

「言ったはずだ。任務に失敗した時点で俺は殺されて当然の存在だと。だが、お前は最後に俺の要望を聞いた上に、そんな俺を助けようとした。人生の最後にお前のような奴と戦えて感謝している」

 俺の思いとは関係なく、男の意志は固いようでそこから動こうとしなかった。ならせめて男の事を最後に少しでも知ろうと俺は今湧いた疑問を素直にぶつけることにした。

「……何であんたみたいな人がブラッディ・レベルに入ったんだ? 俺や捕まっていた男性をいつでも殺せるチャンスはあったのにそうしなかった。その上他の奴らとは違ってあんたには良心が残っているように感じる」

 この言葉を聞いた後、男は少し何かに思いを馳せるように上を向くとゆっくりと息をついていた。その後俺の方を向くと語り聞かせるように言った。

「俺には息子がいてな。生きていればお前と同じくらいの年頃になっていただろう」

「生きていればって亡くなったのか?」

「あぁ、交通事故でな。相手はこの国の政治家だった。当時はメディアに叩かれるかと思われたが、俺の特殊部隊の一員という身分も相まって表に出すことができなかった」

 当時を思い出しているのか男は俯き加減で話していた。俺は口を挟むのを止めて耳を傾けることにした。

「そこをついた相手の政治家は金の力で事故を隠蔽したよ。急に飛び出した息子が悪いと決めつけて。実際には信号を無視した政治家が悪いのは明白だったがな。その結果、妻は心を病んで病死した。結局、国に仕えていた俺は国を支えるべき柱に裏切られたんだ。もう何も信じられなかったよ。組織に入って復讐も考えたが、任務以外は何もする気が起きなかった。今にして思えば俺はただ死に場所を求めていたんだろうな……」

 家族を失くした上に相手に杜撰な対応をされたら俺でも怒り狂うだろう。男の気持ちは分かる気がした。この男がしたことで苦しめられた人がいるのは事実だろうが、数週間前のひったくり犯や吉川の時とは違いこの男が逆恨みで誰かれ構わず悪事を働いているようには見えない。

 俺は少し同情してしまっていた。顔も名前もわからない人間が何故犯罪組織に入らなければならなかったのか。人には人の事情があるのも理解できる。それでもこういった人間が悪事を働くことを俺は許せないでいるのも確かだった。

「理由は分かったが、あんたの息子さんはあんたが幸せに暮らすことを望んでいるんじゃないのか? 俺には父親との記憶が無いが、仮に自分のことが原因で父親が犯罪を犯していたらやっぱり止めると思う」

 男は再度沈黙した後ゆっくりと口を開いた。

「……だろうな。今更何をしても息子には許しては貰えないだろうが。せめて最後には人助けをして死のうと思い直した。借りを返すとは言ったが、俺はただお前に息子を重ねているだけなんだろう。息子もお前と同じで他人に優しくできるいい子だったからな」

 男はそう言うと、軽く息を整え口調を正して言った。

「だが、お前には警告しておく。その優しさは戦いには不向きだ。これから先ブラッディ・レベルと戦うつもりなら相手には決して情けを掛けるな。いずれそれは大きな仇となって自分に返ってくるぞ?」

「俺はそうは思わない。現にあんたに優しくしたお陰で助けてもらえただろ?」

「俺のような人間は特殊だ。他の奴らは甘くない。おっと……残念だがもう時間のようだ」

 男は話の途中で上を再度見上げる。時を同じくして俺達の真上にある天井の亀裂が大きくなり、遂に崩壊した。

 コンクリートの塊が俺達目掛けて降り注いでくる。すべてがスローモーションのようにゆっくりと時間が流れていると思える中、男が最後に言い放った。

「お前がその生き方を変えるつもりが無いのなら、せめて俺と息子の分まで生き延びて見せてくれ。俺は息子と二人であの世でお前の生き様を眺めているからな」

 その言葉を言い終えるくらいのタイミングで大量の瓦礫が俺と男に降り注いだ。

 轟音が鳴り響き、辺りがより一層暗くなる。俺は男に返答することもできずにただ瓦礫に埋もれていくのを見ていることしかできなかった。

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