第22話

 隣の部屋の扉を開ける前に、もう一度小さく深呼吸をして意を決すると中へと入る。

 扉を開けても、例の男……吉川は上を向いたままこちらを見向きもしていなかったが、扉を閉めた時の開閉音でそのギョロ目がじろりとこっちに動いた。その目が俺の満身を捉えると男はニヤリと口元を緩めて声を発する。

「よぉ、待っていたぜぇ」

 初めて対峙した時と何一つ変わらぬ冷たい声が向けられ、無意識に身構えてしまう。しかし、俺のその様子を見た吉川は向かい側の椅子を顎で指すと言った。

「まぁ、そんなに身構えるなよ。取り敢えずそこに座れ、速見」

 俺は言われた通り、椅子を引いて席に座りながらも言葉を返した。

「お前に名乗った覚えはないが何故名前を知っている?」

 すると、男は身を乗り出し、顔を俺に近づけて言った。

「あまり俺を舐めるなよ? あの女がお前の名前を口にしていただろうが。まぁ、殺す相手の名前なんて覚える気は無かったが、お前は俺が初めて殺害に失敗した男だ。それは驚嘆に値すると言っていい」

 あの女というのは恐らくユナのことだろう。記憶を辿ると確かにこいつの前でユナは俺の名前を呼んでいた気がする。手錠のお陰で今は前みたいに襲撃されることはないだろうが、こいつのギョロ目を間近で見ると、何とも言えない迫力があった。俺は動揺を悟られぬようこの男の目を睨み返して言う。

「あんたの戯言を聞くほど、俺は暇じゃないんだ。何故俺をここに呼んだ? あんたはブラッディ・レベルについて何処まで知っている? あんたの知っていることを洗いざらい話してもらうぞ?」

 そう言うと、吉川は椅子に座り直し一度ため息を吐いて言った。

「ふぅ、そう急かすなよ。だが、いいだろう。順番に答えてやる。まず、お前を呼んだ理由だが、どうせ話すなら俺を屈服させた奴に話したいと思ったからだ。所謂、褒美リワードって奴だな」

 そこまで区切ると一息ついて、吉川は続けた。

「組織については……質問の幅が広すぎるなぁ。何が知りたい?」

 その問に対し、俺はユナに言われたことを振り返り慎重に答えた。

「組織のボスの名前についてと、あんたのアジトについて答えろ」

「ボスの名前は河原かわら靖史やすしだ。そいつの命令で俺達は行動している」

「かわら……やすし……」

 組織のボスにしては、ぱっとしない名前だった。だが、今は考えている余裕はない。俺は続けて吉川に尋ねた。

「それであんたらのアジトは何処にある?」

「あぁ、それについては答える気はない」

「なにっ!? 洗いざらい答えるんじゃなかったのか!?」

 吉川の拒否的な態度で、俺はつい声を荒げた。だが、奴はそんな俺の様子を見て、口角を緩めたまま話す。

「世の中のすべてがお前の思い通りなると思うなよ? だが、ヒントを与えてやろう。そこに辿り着けるかどうかはお前しだいだ」

 そう言うと、吉川はまたもや身を乗り出し、耳元近くまで顔を寄せると小声で俺に向かって言った。

「お前達の中に裏切り者がいる。場所はそいつが知っているはずだ」

「!?」

 俺はあまりの衝撃に耳を疑った。こいつの言い分が正しければ、その裏切り者はブラッディ・レベルの一員で、ずっと俺達を見張っていたことになる。だが、俺はすぐに冷静さを取り戻した。

「……時間の無駄だったな。お前の発言に信憑性がまるでない」

 【SCCO】は、その機密性から組織に入る段階で厳しいチェックが入るとユナが言っていた。ブラッディ・レベルがいかに証拠を残さないように徹底された組織とはいえ、吉川のように犯罪歴がある人物はまず候補からはずされるだろう。仮に、犯罪歴が無くともSCCOの目を盗んで情報をやり取りするのは至難の業だ。

 そう考えた俺は椅子から立ち上がり、部屋から出て行こうとした。しかし、ここで吉川が口を開く。

「俺の情報を信じるも信じないのもお前の勝手だ。だが、こうしている間に、俺の代わりの者がそいつと手を組み次のターゲットを狙っているかもしれないぞ?」

 吉川の言葉に俺の体がぴたりと止まる。そのまま俺はゆっくりと吉川の方へと向き直って言った。

「仮にあんたの話が本当だとして、どうやってそいつと連絡を取り合っていた?」

「さぁな、俺達は基本的に互いに関する情報は一切教えない決まりだからな。俺達も組織についてはボスの名前くらいしか把握できない。だが、そいつのお陰で随分と任務がやりやすかった。まぁ、そいつなら何か知っているんじゃないか? 頑張ってそいつを見つけ出し、ボスを探すんだな」

 俺はその言葉を聞くと、一刻も早く本部に戻りたい衝動に駆られた。今もSCCOの情報がブラッディ・レベルに筒抜けになっているのだとしたら、一般人だけでなくSCCOにいる連中も含め、第二人種のすべての者が危険に晒されることになる。

 俺は部屋のドアノブに手を伸ばすとユナの元へと急ごうとした。

 だが、ここで吉川は思い出したかのように付け加えて言った。

「あぁ、一つ言い忘れていた。速見、覚えておけ。お前は俺を捕まえたが、ブラッディ・レベルはお前が思っている以上に危険な組織だ。お前の実力ではいずれ後悔することになるだろうよ。あの時、俺に殺されていれば良かったってなぁ」

 吉川の笑い声が部屋中に響く。俺はそれに答えることなく、急いで部屋から出て行った。

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