第20話
診察を受けてから特に体に異常もなく、そのまま二日が過ぎた。先生の診断の通り、一日経過した頃には体の痺れがなくなり動ける状態にまで回復したが、念のためもう一日休んでおくように言われ今に至る。
兼先や第七部隊のみんなも時々見舞い――余談だが、鎌瀬はあれ以来見舞いには来ずに、【SCCO】の地下二階にあるトレーニングルームに入り浸っているらしい――に来てくれたが、第七部隊の皆は軽い任務が入ったとかで、隣のTASEGAYA区に出張った。
その後、暇つぶしに俺が涼香に貰ったライトノベルの数々を読み耽っていると、いつものように兼先が見舞いにやって来る。
「うぃーす! アルト!」
病室の扉を開けて陽気に入ってくる兼先を見て俺は言った。
「お前も暇だな。他にやる事がないのか?」
見舞いに来てくれるのはありがたいが、正直こう何度もやって来られると、さすがに話すこともないし、俺はラノベを読むのに集中したかった。そんな俺の思考とは裏腹に、兼先は文句を垂れた。
「おいおい、入ってくるなりそれはないだろ? せっかく見舞いに来てやっているのに」
兼先はベッドの脇に用意された来客用の椅子に座る。俺はその様子を眺めながらも言い返した。
「にしても、やけに頻度が多くないか? 何も日中に入り浸る必要はないだろ?」
「馬鹿言うな! お前をみずき先生と二人きりにしてたまるもんか! 一人でいい思いをしようとしたってそうはいかないぞ?」
俺はこいつの卑猥な考えに呆れつつ、ため息を吐いて言った。
「別にお前が想像していることなんか、一つも起きやしないよ。先生だって定期検診の時以外は席を外しているからな」
「そんなことわかってらぁ。こうやってお前を見舞いに来ていたら、それを口実に先生と会えるんだからよぉ。俺からすれば、願ったり叶ったりってわけだ」
本当の目的は俺の見舞いではなく、そっちなんじゃないかと思いながらも続けた。
「そんな面倒なことしなくても直接会いに行けばいいじゃないか」
「そんなことできるか! だいたい、ここにいる連中は怪我をしても回復魔法を使える第二人種が治療するから先生に会う機会なんて滅多にないんだ。一度、先生に会いたいがために、下剤を飲んで腹痛を訴えた猛者もいたが、一目見られた途端に門前払いされたんだぞ?」
ここにはそんな馬鹿げた行動をする奴もいるのか、と呆れながらも素っ気なく返した。
「あっそ……ところで、気になっていたんだが、あのブラッディ・レベルの一員であるあいつはどうなったんだ?」
俺が目覚めてから口にしていなかったが、奴らの動向を気にはしていた。みずき先生に尋ねても、任務に関わっていないから分からないと一点張りをされ、皆といる時も各々が自由に話していたため、聞くに聞けない状態だった。
すると、兼先は神妙な顔つきをして話した。
「お前が倒れてから、すぐにここから離れた収容施設に輸送されたよ。今頃は奴の傷も癒えて取り調べを受けている頃だと思うぜ? ユナがここしばらくいなかったのも、そっちにいるからじゃないか?」
「なら、あいつらの組織についてはまだ詳しくは分かっていないってことか?」
「だろうな……だが、SCCOの連中は優秀だ。すぐにそいつから情報を吐かせて、敵の全容がわかるだろうよ」
その話しを聞いた後、俺は続けて気になっていたもう一つの質問をした。
「取引相手の……岸川康雄さんだったか? あの人は無事なのか?」
「あぁ、あいつならしばらくSCCOで保護することになった。事情聴取後に、証人保護プログラムが適応されて安全が保証されたら、奥さんの遺体と一緒に開放されるだろうが……にしてもやりきれないだろうな、目の前で奥さんを亡くしちまってよ……。まぁ、でもお礼を何度も述べていたぜ? 特にアルトお前には、命を救ってくれてありがとうって伝えてくれだと」
兼先が努めて明るく話すと笑顔を見せた。俺はどう反応していいか分からず、俯きながら短く「そうか……」とだけ返した。俺と兼先の間で、しんみりとした空気が漂ってくる。
すると、病室の扉が突然開き、俺も兼先も同時にそちらの方へと向いた。
そこには俺がお礼を言いたいと待ち望んでいた朱色の髪の少女、ユナが立っていた。
彼女は休んでいないのか、少し気疲れをしているようだったが、その煌めく黄色の瞳をこちらに向けると微笑んで言った。
「速見君、調子はどう? あら、兼先君もいたのね」
彼女の姿を見た俺は返事をしようとしたが何を言っていいかわからず、茫然と見ていることしかできなかった。代わりに隣にいた兼先が彼女の姿を見て声をかける。
「おぉ、ユナじゃねぇか! 取り調べは終わったのか?」
しかし、それを聞いた彼女は首を横に振って言った。
「いいえ、それが少し難航しているの。そのことで、速見君に用があって……」
「……俺に?」
ここで俺は漸く声を絞り出すことができた。彼女は俺の返事に首を縦に振る。
「ええ、ちょっと頼みたいことがあって……」
彼女は言いながら、ちらりと兼先に視線を移す。それを受けた兼先は、わざとらしく咳払いをしながら立ち上がると言った。
「うぉっほん。ちょっと用事を思い出したから、散歩してくるわ。アルト、また後でなぁ!」
そう言い残して手を振りながら、兼先は病室から出て行った。
その様子を見送った後、俺はユナに声をかける。
「頼みって何だよ?」
「それを伝える前に、あなたに言いたいことがあるの……」
彼女は瞳の中を潤ませて俺を見つめる。その瞳から目が離せなくなり、場の空気が一気に緊張したものに変わった。そのまま彼女は一呼吸すると、俺に向かって頭を下げる。
「ごめんなさい!」
「へっ?」
変な勘違いをした俺は彼女の言葉に、思わず間抜けな返事をしてしまう。慌てて取り繕うように言った。
「きゅ、急にどうしたんだよ?」
すると、彼女は顔を上げて目に涙を溜めながら、悲痛な面持ちで話しだした。
「私が速見君をここに連れてきたせいで、あなたを危険な目に合わせてしまったわ。それに、あの時危なくなったら助けに入るって言ったのに間に合わなかった……本当はもっと早く謝るべきだったけど、あなたの容態を確認するのが怖かったの……だから、ブラッディ・レベルを調べることを口実に貴方に会うことを避けていた」
暫く会えなかったのは単に忙しいだけだと思っていたが、まさか避けられていたと思っていなかった。
ユナは申し訳なさそうに視線を逸らし俯く。そして、一度呼吸を整えると再び俺の方を向いてと続けた。
「……けど、今は違う。私があなたにしてしまったことへの責任を取りにきたわ。あなたにどんな罵声を浴びせられても構わない。許してくれなくてもいい。けど、私にできることがあれば何でもするから、どうか償わせて……」
そう一遍に語ると最後にユナはもう一度頭を下げた。
俺はその様子を呆然と見ていたが、ナナや兼先にユナが俺に対して責任を強く感じていると言っていたのを思い出し、自分の正直な想いを告げることにした。
「顔を上げてくれ、ユナ……」
俺がそう言うと、未だに目に涙を溜めながら彼女は顔をゆっくりと上げた。その顔を見つめながら、俺は続ける。
「俺は別に、お前に対して何も怒ってはいないんだ。だから、ユナが責任を感じる必要はないよ」
「けど、あなたに声をかけなければ、こんなことにはなっていなかったわ!」
ユナが声を上げて口を挟んだ。しかし、俺は首を横に振って言った。
「最初に今回の事件のことを聞いた時、首を突っ込まずに逃げることもできた。俺は自分の意志でここに残った。だから、責任はすべて俺にある」
「でも、それは私が強制したようなものだし……」
「気にしないでくれ。それに……俺はユナにもう一度会ったらお礼を言おうと思っていたんだ」
「えっ?」
俺の言葉を予想していなかったのか、ユナは目を見開いた。
俺はゆっくりと気持ちを整理しながら声を出す。
「確かに、最初は巻き込まれたことが嫌で仕方がなかった。ここでの務めを早く終わらせて普通の日常に戻りたいと思っていた……けど、今はそうじゃない。ここでみんなと出会って、一人でいることが好きだったはずの俺が、いつの間にか誰かと一緒に過ごすのも悪くないと思うようになった。そんな機会をくれたのは他ならぬユナ、君なんだよ。だから……ありがとう、ユナ。俺が変われたのはユナのおかげだ」
そう言い切った途端、ユナは口元を抑えながら涙を流すのを必死に堪えた。そして一度後ろを向くと、指で目を擦る。それから一息つき無理矢理明るく振舞って言った。
「そこまで言われたらしょうがないわね。速見君は私に恩義を感じているみたいだし、これからもびしびしと働いてもらおうかな!」
「い、いや、そこまでは言っていないだろ?」
俺の慌てぶりをおかしく思ったのか、ユナはくすりと笑うと振り返った。
「まぁ、冗談はこのくらいにして、本題に入るわよ?」
気持ちの切り替えが早いのか、ユナは真剣な顔つきに変わると続けて言った。
「速見君に頼みたいことだけど……さっきも言ったとおり、取り調べが難航していてどうにもならない状態にあって……だから、速見君にはそれを手伝って欲しいのよ」
「手伝うって……俺は何をすればいいんだ?」
俺が疑問を投げかけた後、彼女は躊躇いがちに話したことは予想もしていないものだった。
「速見君が今回捕らえた、【ブラッディ・レベル】の一員であるあいつを尋問してくれない?」
「…………はぁ!?」
唐突な提案に、一時的な思考停止に陥る。はっと我に返ると慌てて言った。
「いや、無理だって! 俺にそんな経験ないし……」
「そんなこと分かっているわよ。その上で頼んでいるのだから」
「なら、尚更無理だってわかるだろ? 他に方法があるはずだ!」
「あの犯人が収容されてから怪我の回復を待ってすぐに取り調べが開始されたわ。けど、組織への服従が強いのか口を割ろうとしないのよ。 SCCO内で拷問によって吐かせる提案がなされたけど、政府関係者の中で弁護士連合会と繋がっている連中が、犯罪者の人権を主張していて、なかなか手が出せないでいるわ。だから他に方法がないのよ」
ユナの事情や心労は察するが、俺はその意見に反論した。
「それなら、俺がやっても同じだろ? しかも俺は捜査に関しては全くの素人だ。そんな奴が現場にいたって何の役にも立たない」
しかし、ユナは首を横に振ると、またもや意外なことを話した。
「それがそうでもないの。被疑者が速見君との面会を要求しているのよ。あなたになら情報を与えてもいいって」
それを聞いた俺は眉を顰めた。少しの不安を覚え、ユナに尋ねる。
「何であいつが俺を呼ぶんだ?」
「それは私にも分からないわ。でも、速見君にしか情報を聞き出せないことは確かよ。だからお願い、私に今から付いて来て?」
彼女の真剣な願いに頷きそうになったが、俺はみずき先生に言われたことを思い出して首を横に振った。
「そうしてあげたいが……みずき先生に今日一日は安静にしておくように言われているんだ。ここから抜け出すことはできないよ」
しかし、彼女はそれを聞くと俺に笑顔を向けて言った。
「あぁ、それなら大丈夫よ。ここに来る途中に先生の許可を頂いてきたから。速見君はもう動けるんでしょう? ほら、行きましょう!」
「なっ、ちょっと待てって!」
俺の返事も聞かずに彼女は病室から出て行った。何だかんだと彼女には毎回驚かされてばかりな気がする。俺は慌てて病衣を脱ぐと、病室の片隅にある衣装櫃に乱雑に入れ、ナナから渡された紙袋の中から戦闘服を取り出し、素早く着替えてユナの背中を追いかけた。
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