第19話

 しばらくすると、病室にみずき先生が戻ってくる。兼先達を見ると、呆れたように言った。

「君達、まだここに居たの? 速見君を安静にしておくように言ったはずよね?」

「だって、先生! アルトの様子が気になったんだもん!」

 ナナがその言葉に反論するように言った。その隣にいた兼先も「だもん!」と短く真似をするが、気持ち悪いだけである。それを見た先生はため息を吐くと言った。

「これから、速見君は定期検診を行うから、ほら、野次馬は帰った、帰った!」

 その言葉に渋々といった様子でみんなが従う。帰り際に、兼先が振り返ると言った。

「じゃあな、アルト。また来るからよ!」

「あぁ……」

 見舞いに来た当初は煩わしいものであったが、いきなりみんなが居なくなると思うと少し寂しさを感じてしまう。そんな俺の感情を察したのか、兼先は続けて言った。

「心配するなって。お前の体調もすぐに良くなるよ。なんたってみずき先生が治療するんだからな」

 兼先は俺の側で診察の用意をしていた先生を見ていった。

 俺はちらりと先生の方を見遣る。カルテに何かを書き込みながら険しい表情をしていたが、その整った横顔がまた大人の色気を感じさせた。しかし、彼女は医者にしては若すぎる気もする。その腕前に若干の不安を感じた。

「そんなに凄い人なのか? そうは見えな……」

 思わず失礼な発言をしてしまい口元を抑え先生の方へと向いたが、彼女は気にしている様子はなく相変わらずカルテと向き合い唸っているようだった。

 兼先には聞こえていなかったのか、首を縦に振ると言った。

「こちらにおられる渋谷みずき先生はなぁ、単に知識の豊富な補助型というだけでなく、十代にして博士課程をすべて終了させ、数々の診療を行なってきた方なんだぞ。加えてあのベイカー博士の残した論文を解読した栄誉ある学者の一人でもあるんだ。まさに医療のスペシャリストって奴だな」

「ベイカー博士って確か、第二人種の元となるESに作用するウイルスを発見した人か?」

 付け加えて言うのなら、俺の師匠と何らかの関わりがあるかもしれないが、それは伏せておいた。

「おうよ。博士の学術は理解できる人が少ないからな。世界中探しても見つかるかどうか……とまぁ、こんな凄腕の人が見てくださるんだ、お前も安心して治療を受けろよ」

「兼先君、そんなに褒めても何も出ないわよ?」

 いつの間にかカルテから目を離し、俺のベッドの両脇に膝を覆うようにしてアーチ型の装置を取り付けていたみずき先生が話した。

「それから君も、医療ミスで口元を縫われたくなかったら、あまり失礼な発言は慎むことね」

 さっきの俺の発言はばっちり聞こえていたようで、背中に僅かな悪寒が走った。「す、すみません」と謝ると「冗談よ」と短く返される。

 冗談を言っている顔つきには見えなかったが、そんなことを言うと本気で縫われそうだったので黙っておいた。

「さぁ、検診を始めるわよ。兼先君も出て行って」

「は~い、それじゃあな、アルト!」

 先生の命令に素直に従った兼先はでれでれしながら病室から出て行った。

 その後、俺は一度ベッドに仰向けに寝かされると、先生が装置と繋がったリモコン型のボタンを操作する。

 すると、アーチ型の装置の内側から青い光が放出され、装置がゆっくりと上下に移動し俺の全身を照らしていった。

 視界に入ってきた光に思わず顔を背けそうになったが、先生から「動かないで」ときつく言われたので、じっとする。

 数分後、装置の稼働が止まり、診断が終了したことを知らせると、先生はリモコンに併設されているモニターに表示された数値を見ながら、カルテに書き込んで言った。

「うーん、変ね……」

 俺はその言葉が引っかかり先生に質問する。

「何かあったんですか?」

 すると、彼女は笑顔を向けると俺を安心させるように言った。

「いいえ、別に何でもないわ。これといって特に異常があるわけでもないから、あとはやはり安静にしておくだけね。これで診察は終わりよ。お疲れ様」

 そうして彼女は、機械を片付けながら退出準備を始める。何故唸ったのか気になったが、異常がないと言われれば信じるしかない。しかし、俺は兼先の言葉で気になったことがあったので、退出しようとしていた先生の背中に声をかけた。

「あの、渋谷先生!」

 先生は扉の取手に手を掛けるのをやめると、こちらに振り向く。

「みずきでいいわよ。そっちの方が言われ慣れているから。それと何? 何か問題でもあった?」

「あっ、いや、体に異変はありません。ただ、先生に聞きたいことがあって……」

 先生は訝しげに俺を見つめていたが、拒んではいないようだったので続けた。

「先生は、ベイカー博士の論文を読まれたんですよね? その中で、立花咲良という名前に見覚えはありませんでしたか?」

 先生は少し考える素振りを見せた後、首を横に振って言った。

「いいえ、私の覚えている限りでは見たことがないわ。その人がどうかしたの?」

「いや別に、少し気になっただけですから……」

 俺の言葉にまだ疑念を抱いていたようだが、それ以上は追求されなかった。すると、先生は過去を思い出すかのように遠くを眺めて言った。

「あの文献に興味があるのなら、言っておくけど……あまりオススメはしないわ。少なくとも私はあれを好きにはなれないもの」

 論文の内容が正しいかどうか議論するならわかるが、好き嫌いで語る人も珍しい。疑問に思った俺は理由を聞いた。

「好きではないってどういう意味ですか?」

「見解の違いというやつね。彼の思想は例えどんな手段を使ってでも、患者を救うことに躍起になっていたわ。私はそうは思わなかった、というだけのことよ」

 俺からしてみれば、出来る限り多くの命を救おうとするその姿勢は敬服に値するが、先生はそうは思わないらしい。

「どうしてそう思うのですか?」

「人は皆、全員が生きたいと願っているわけではないということよ。実際、私は十七年前の感染病による患者の治療に携わっていたけど、ワクチンが開発されるまでは酷い有様だったわ。中にはこのまま苦しみ続けるのなら、いっそ死によって開放してくれって頼み込む人もいたから……でも、博士は自分が何としてでも治療するからと政府に提言して聞かなかった。そのままワクチンの研究に没頭してその患者たちを放置したの……。私はあの時ほど自分の無力さを嘆いたことはないわ」

 先生の言葉の端々に悲しみや怒りが込められているのが伝わってくる。その様子を見ていた俺は何も言うことができなかった。そのまま先生は悲しみに目を伏せながら続けた。

「その後、皮肉なことに私もウイルスに感染していたと気づいたけれど、私は補助型であったから何の苦しみも、能力の暴走も無くここまできたわ。今でこそ彼のお陰でワクチンも開発されて、ウイルスによる被害は無くなったけれど、当時の患者たちの嘆きを私は決して忘れはしない。だから、世界が彼を称賛しても私は彼を認められない。医者として、患者の意思を無視した彼を同業者とは思えないの」

 そこまで言い切ると、先生は顔を上げて笑顔を作って見せた。

「さて、これで話はお終いよ。速見君もしっかり休んで早くその症状を治しなさい。いいわね?」

「はい……」

 俺は短くそう答えた。先生は、その返事を聞くと振り返り、扉に手を掛ける。……が、俺はここである異変に気づいた。

「あれ? 患者を治療したのが十七年前で、修士課程を終えたのが十代だとしたら、先生は今一体いくつ……」

 言い終える前に俺はまた失言をしてしまったことに気づいた。だが、時既に遅く俺の頬を手術用のメスが掠める。わずかに血が滲んだところで、彼女は脅すように言った。

「今度その矮小な脳味噌でくだらない愚慮を思いついたら、君の頭を解剖するわよ?」

「す、すみませんでした!」

 ブラッディ・レベルの殺人犯よりも恐ろしい殺気を感じた俺は、ぎこちない動きをしながらも全力で頭を下げた。それを見た先生は「まったく……」と不機嫌そうに言いながら今度こそ扉を開けて出ていった。

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