第11話
食堂の方もまたその広大さに驚かされる。推定だが、学校の体育館くらいの幅があるように思えた。
一台で二十人は楽に食事をとれそうな巨大な長机が、全部で十五台ほど並列されている。食堂全体の約三割を占める厨房が壁際にあり、中では注文を受けた十名ほどの料理人が食材を捌いていた。
現在は、午前七時過ぎ。朝食を取るにはちょうどよい時間帯であったためか、食堂は人でごった返している。
入り口に設置された三台の券売機や、厨房から出来上がった料理を直接受け取るためのカウンターの前には、長蛇の列が出来ていた。
「人が多いな……」
開口一番に出た感想は、我ながら子供染みていたが正直な感想だった。基本的に大勢で騒いで食べるよりも一人で食べる方が好きな俺は、孤児院にいた時も周りの声を気にせずに黙々と食べていることが多かった。
「はい! 自室でルームサービスを頼まれる方もいるんですけど、皆さん和気藹々とお食事をとられる方が多いみたいですよ」
俺の感想をどう受け取ったのかは分からないが、エミが朗らかに説明する。
ルームサービスがあったのなら、そちらを紹介してくれた方が良かったと思ったが、もちろん口には出さないでおいた。
「さぁ、アルトさん! 私達も券売機に並びましょう!」
少し間を置いてから高らかにそう言うと、俺の手を引いて列の最後尾に並んだ。
ようやく券売機の前に立った頃には、殆どの人がカウンターで食事を受け取り席に座っている状態だった。メニューが表記されたボタンを見ると和食から洋食まで多種多様な料理名がある。
名前から想像がつかない料理も存在し――例えば、甘辛い青春のラプソディーとサンダージュース、思い出のオルゴオールと和風ソースのシンフォニー等――どれに手をつければいいか迷っていると、隣にいたエミがある品をおすすめしてきた。
「アルトさんは、辛いものってお好きですか?」
「あぁ、それなりには食べられると思う」
「良かった! それならオススメの品がありまして……」
言いながらエミは、券売機のボタンの一つを指さす。そこには、【活火山と鮮血のカトレット】と書かれていた。
「えっと……これは、一体なんだ?」
「あ、心配しないで下さい。中身はカツカレーですから」
「カツカレーだって? けど……」
ちらりと券売機の右上の辺を見遣る。その辺りのボタンはカレーの種類が表記されていて、もちろんその中にはカツカレーもあった。わざわざ二つに分けるということは、何か工夫がされているのだろうか?
「このカレーは他とは一味違うんです」
俺の思考を読み取りその疑問に応えるように、エミが言った。
「一味違うって、どう違うんだ?」
「それは実際に食べて、試してみて下さい」
エミは意味ありげに含み笑いをしている。こちらとしては怪しげなネーミングの料理には、例え和ノ国の多くの人が好むカレーであっても遠慮したいのだが……。
しかし、ここで彼女のオススメとは違う料理を頼んだとしても、それはそれで失礼な気がする。
結局、逃げ場のない状況に気後れしつつも、物は試しとこの品を頼むことにした。
「じゃあ、これにしようかな……」
「はい! では、一緒に食べましょう!」
二人で同じ商品を買おうとこの【活火山と鮮血のカトレット】のボタンを押した。
余談だが、ここの寮の入居者は食堂の品を一日三品までなら無料で食べられるらしい。エミが俺の顔写真のついたIDカード――いつの間に用意したのか知らないが――を渡してくれたのでそれを券売機の読み取り部分に掲示すると全ボタンが緑色に光って購入が可能になるという仕組みだ。
その後、カウンターで料理人に発券された食券を渡すと、数分後にその料理が差し出された。
見た目は、確かにカツカレーそのものだった。スライスされた牛肉に、人参と玉葱やジャガ芋、極めつけに山盛りのご飯の上に乗った豚カツ。これだけなら食欲のそそられる完璧なカレーであっただろう。唯一つの欠点をあげるなら、そのカレーのルーに問題があった。
赤黒く染まったそのルーは異様なほど沸騰しており、泡が立つたびに蒸気が湯気と交じり合う。容量も多めだが、少しかき混ぜただけで黒ずんだ部分が真っ赤に変わり、その名の通り赤い血を想起させるような色をしていた。
「さぁ、アルトさん! まずは一口食べてみて下さい!」
当然同じメニューを頼んだエミの目の前にも同様のカレーが存在するのだが、彼女はそれに手をつけず、こちらが食べるのを見守っている。
後には引けない状況になりスプーンで一度ご飯とルーを絡ませて掬うと、口内の唾を飲み込む。覚悟を決めて一気に口に含んだ。
瞬間的に言葉では表現できないほどの激しい痛みが舌を刺激する。悶絶するかと思うほど辛くそして熱く、すぐに水を頬張り飲み込んだ。
激しく咳き込み何とか落ち着きを取り戻すとその様子を見ていたエミが声を掛ける。
「どうですか?」
恐らく料理の感想を聞いているのだろうが、それどころではない。未だに舌が痺れていたが、かろうじて声を出した。
「か、辛すぎだろ。物には限度ってものがある」
「でも、味は美味しいですよね?」
「…………確かに、辛過ぎるがそれを除いても充分すぎるくらい美味い……」
舌が慣れるまで時間が掛かるが、後味は今まで食べてきたカレーを上回るほど最高に美味かった。
「私は毎朝このカレーを食べて一日の活力にしているんです。嫌なことや辛いことがあっても、これを食べれば元気になるような気がして……ちょっと辛すぎますけどね」
エミは話しながら目の前のカレーをスプーンで掬うと一口食べる。やはり辛かったのかすぐに水を飲み、わずかに舌を出して笑った。
明るい性格の彼女でも悩んだりするんだろうか。こんな時普段から人とコミュニケーションを交わしていれば、相談にでも乗れるのだろうが基本一人でいる俺は躊躇してしまう。
その部分には触れないようにして会話を逸らすことしかできなかった。
「このカレーなら病み付きになりそうだしな。俺も毎日食べてみてもいいかもしれない」
「それは良かったです! オススメした甲斐がありました!」
そう言ってもう一度笑顔を向けると、再びカレーを食べだした。
どうにかカレーを全て平らげて、二人で雑談――といっても、口下手な俺はエミの話に相槌を打っていただけだが――を交わす。彼女はいつもどんな仕事をしているかとか、ここの料理名はユナが飽きさせないために料理人に頼んで考えさせたものだとか、取り留めのないことを話した。
しばらくして、彼女が今日一日の業務を開始しなければならない時間になったので、席を立とうとする。
「そろそろお仕事の時間ですのでこれで失礼しますね」
周りを見ると、さっきまでほぼ満席状態だったこの食堂もいつの間にか人が疎らになっていた。
「そうか。俺も何か手伝えることはないか?」
次の任務があるまで待機とだけ言われているが、自室でじっとしているのも性に合わない。暇な時は師匠を探しに行っていたが、いつ第二人種が現れるかも分からない状況ではそれもできない。それなら何か役に立てることがあれば手伝おうと考えた。
「気を遣わなくてもいいですよ? それにここにいる間はアルトさんがお客様ですから、ゆっくりしていて下さい」
「そう言われてもなぁ。文庫本とかがあれば暇を潰せるんだが、持ってきていたものは読み終えたからな……」
学校でならいつも図書室で暇を潰せるが、さすがに【SCCO】にはそういった施設はない。
「でしたら、他の第二人種の方とお話してみてはいかがですか? きっと私よりも色々な知識をお持ちだと思いますし、経験から学ぶことも多いと思いますよ?」
迷っている俺を見てエミが提案する。その配慮は有難いのだが……。
「えっと……その、俺は……」
人と話すのが苦手なので話しかけづらい、とはかっこ悪くて言えない。どうしたものかと迷っていると、急遽エミのアイフォに連絡が入った。
「はい、もしもし? あ、すみません。今行きます! アルトさん、急用ができたので私はこれで失礼します! それでは!」
「えっ、ちょ、エミ!」
俺の呼びかけも虚しく、エミは電話を切ると食器を片付け、厨房の返却口に置くと足早に食堂から去っていった。取り残された俺はその後ろ姿を呆然と見送る。
ふと辺を見渡すと未だにちらほらと第二人種らしき人物が食堂に残っていた。殆どが集団で談笑しており、とても話しかけられる雰囲気ではない。このまま自室に戻って大人しくしていようと思った矢先に後ろから肩を叩かれた。
振り返るとそこには、俺より少し年配と思われる男性が立っていた。一瞬何故かユナだったらと淡い期待をした自分の浅はかさを忘れ、その男の姿を凝視する。
茶色に染まった髪は左目に掛かるように固められており、右側の髪は後ろに全てなで上げられている。痩身長駆の体つきに、胸元まで開けた黒色のティーシャツと皺ひとつないスラックス。
整った細い眉と上がり目の碧眼、鼻梁の線は長く、口角の上がった笑い口。一言で表すならホストとでも言ったところか。
無論、こんな奴とは知り合いでもないので凝視したまま固まっていると、男の方から声をかけてきた。
「よっ、お前さん見たところ新人だな?」
何を言われるか警戒していたお陰で、その質問に応えるのに若干の時間を要したが、思い直して応えた。
「……そうですけど」
相手が年上だったことを考え、つい敬語になってしまう。だが、男は萎縮した俺を見て改めるように言った。
「あぁ、そんなに固くならなくてもいいぜ? ここじゃあ役人の連中以外は年齢に関係なくほぼタメ口を利いているからな」
努めて冷静に耳を傾けているとホストの見た目通りというべきか、男性にしては、柔らかな声色で軽いお調子者といった印象を受ける。普段ならこの手のタイプとは会話を避けるが、話しかけられたのなら仕方がない。
「……わかった。俺もその方が話しやすいから、そうさせてもらう。それで、確かに俺は新入りだけど、どうかしたのか?」
「いや、その……たいした事じゃないんだが……お前さん、さっきエミちゃんと話してだろ? 新人は何かと分からないことが多いから、先輩である俺が優しくレクチャーしてやろうと思ってだな?」
この男の意図するところは分かった。しかし、生憎だが俺は一刻も早く任務を終わらせて【SCCO】から離脱したかったので、なるべく他の連中と親睦を深めるのは避けたかった。
例え誰かと親しくなったとしても、ここから立ち去る時に名残惜しくなるだけだ。互いに辛い思いをするくらいなら、ここで出会う人は最小限に止めたい。
「えっと、俺は別に……」
「遠慮するなって! 一人でいたら聞くに聞けないことがあるだろ?」
言いながら男は机越しに先程までエミが座っていた場所――要するに俺の目の前の席だが――に回ると座り込んだ。結局、言っても聞きそうにないので、適当に会話を流しつつあしらうことにした。
「いいか新人? まずここ【SCCO】は、俺達第二人種を保護することだけが目的じゃないんだ」
「第二人種の犯罪を取り締まっているんだろ?」
「お、おう……」
出鼻をくじかれたこの男は、戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに気を取り直して言った。
「よし、なら第二人種は相手の気のようなものを感じ取ってだな……」
「それも聞いた。【ES】のことだろ?」
またもや話の腰を折られたこの男は、しけた顔をする。
「何だよ。やけに詳しいな。最近の【SCCO】は新人にここまでの知識を教養しているのか?」
「いいや。ここに入る時にユナから聞いたんだ」
「ユナってあのユナか?」
どのユナのことかは知らないが、恐らくこの組織のトップである彼女の事を指しているのだろう。俺は首を縦に振った。
「マジかよ! ということはお前優秀な人材ってことか?」
「いまいち基準が分からないが、ESの値は高いって言われたな」
「ちなみにどれくらいなんだ?」
「確か……65レベルだったと思う」
「ろくじゅうごぉ!!」
いきなり耳をつんざくような大声を発した。途端に周りにちらほら残っていた第二人種やスーツを着た役人たちが一斉に何事かとこちらに振り返る。
男は我に返ると、手のひらを合わせ周囲に謝罪のポーズを取った。その後、声を潜めて話しだす。
「それは、本当なのか? 何かの手違いとかじゃ……」
「勝手に計測されたから詳しいことは知らない。けど、ESの値が高かったたから目を付けられたみたいだな」
「嘘だろ……。俺なんてここに来た時は25レベルしか無かったのに……。65レベルって言えば、Bランクの範囲じゃねぇか。普通ならすぐに部隊入りだぞ」
ここで俺はユナの言葉を思い出した。確か部隊に迎えるとか何とか言っていた気がする。少し興味を覚えたのでこの男に質問した。
「なぁ、その部隊ってどういうものなんだ? ここで能力を制御できた奴はここを出て行くか、第二人種の犯罪を取り締まるその部隊に配属されるんだろ?」
「なんだ、そこは聞いていなかったのか? いいか、確かに能力を制御できるやつは入隊することもできるが、誰でも入れるってわけじゃない。まず、ある程度ESを高めた奴じゃないと入れないんだ」
「確か、部隊入りする連中は全員CランクほどのESを持っているんだよな?」
「そうだ。戦闘にあまり関与しない補助型の第二人種と違って、攻撃型の第二人種はESをかなり消費するからな。この【ES】、つまり精神力が高くないとすぐにばてちまうだろ? そんな奴は戦場では足手まといになる。そうならんようにここで鍛え上げるんだ」
俺は今一度、この能力を使い果たして倒れた時の事を思い出した。ユナも言っていたが、ESの消費量を考えながら、能力を使いこなすことが今の俺の課題だろう。
「しかも、厄介なことに能力を制御する技術や肉体面の強化と違って、この【ES】ってやつは伸びにくい。だから、ある意味素質みたいなものだな。お前やユナのESが高いのもそういうことなんだろう」
思考を巡らしていると男が続けて話した。危うく、最後の部分を聞き逃すところだったが、耳に残ったその言葉を何とか頭で整理する。
「ちょっと待て、ユナもESの値が高いのか?」
「何を言っているんだ? ユナに説明を受けたんだろ? 彼女のESを感じなかったのか?」
「いや、俺はそのESをうまく感じ取ることができないみたいなんだ」
「おいおい、ここに来たら真っ先に教わることだぞ? ESを把握できなければ、能力を制御するコツが掴めないからな」
男は少し呆れたような顔をして言った。小馬鹿にされたことに少しむっとしつつも、話の続きが気になった俺は男の発言をスルーすることにした。
「俺のことはいいんだよ。それに、能力の制御はとっくに終えている」
「何だって? それじゃあ、お前さん何でここにいるんだ? 部隊にも入っていないんだろ?」
「勘違いするな。部隊とやらに強制的に入れられたから聞いているんだ。それより、質問に答えてくれ。ユナのESはどれくらいなんだ?」
男はまだ聞き足りないと言ったような顔をしていたが、俺がその質問に応じない素振りを見せたので渋々話した。
「わかったよ。ユナと、あともう一人この組織最強の男がいるんだが……まぁ、そいつは普段ここにはいないから置いとくとして、彼女は75レベル――Bランクだよ」
耳を疑う内容だった。いや、組織のトップとしては、そのくらいの実力が求められるものなのだろうが……俺よりも彼女の方が上だとう言う現実を突き付けられ、俺の中の小さなプライドが粉々に打ち砕かれた気分だった。
「まぁ、でもユナは攻撃魔法をあまり使えないみたいだからなぁ。高いESの持ち主でも回復魔法しか使えないならあまり戦闘に向いてないよな」
男が隣で呑気にそんなことを言っていたが、
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