第8話

「ユナさん! アルトさんを連れて帰ってきたって本当ですか!?」


 いきなりの大きな声量に驚き、俺も隣にいる彼女もその声の主である少女に目を遣った。


 少女は走ってきたのか、少し汗をかきながら息を整え壁に手を付いている。深呼吸をして落ち着くと俺と目があった途端、顔をほころばせて胸に飛び込んできた。

 軽い衝撃の後、俺はわずかの間思考停止に陥る。何とか頭を覚醒させて首を下に傾けると、改めて少女の身形を観察した。


 脊椎の辺まで伸びた小豆色の髪は一束がやや太めの三つ編みにまとめられている。柿色の瞳の縁からわずかに涙を滲ませ、淡いピンク色の唇から小さな嗚咽が零れていた。

 先のオペレーターが着用していた――恐らくここの制服であろう――半袖の白いカッターシャツに金色の三つのボタンが光る濃紺のベスト、同色のタイトスカートにやや黒めの赤い蝶ネクタイ。一目でここの職員であることを示唆している【SCCO】の刺繍が胸部の辺に施されている。


 俺はというと、胸にしがみ付いたこの少女を抱きしめるでもなく、かといって突き放すでもなくただ呆然と受け止めていたが、しばらくすると落ち着いたのか、少女は自分から顔を上げ少しの距離をとって言った。


「すみません……私……アルトさんが心配で……ユナさんから無事に助けたって連絡を聞いていたんですけど……自分で確認するまで安心できなくて……」


 ここで俺はもう一度この少女の声を再認識した。先程まで耳から聞こえていた心地良い声色の女性とのやり取りを思い出す。


「ひょっとして、エミか?」


 エミは笑顔を見せると、人差し指で涙を拭いながら自己紹介した。


「……はい、アルトさん。改めまして初音絵美です。よろしくお願いします」


「あぁ、こちらこそよろしく」


 そういえば、エミとはあの引っ手繰り犯に襲われ無線機を壊された後、一度も連絡を取っていなかった。手配された車に向かう途中、俺と一緒だった――俺と同じくエミの様子を呆然と見ている――隣で本革のソファーに座ったままの彼女が報告していたようなので気にはしていなかったが、心根が優しいのだろう。随分と不安にさせてしまったようだ。


「悪かったな、エミ。心配をかけて。それと、救急車を呼んでくれてありがとう。君の的確な指示のお陰で色々とやりやすかった」


 俺は普段話すよりも努めて優しい声色を意識して話した。


 隣にいる彼女には命を救われたとはいえ、朝から振り回されている分若干の苛立ちを隠せなかったが、この少女には協力して物事を成し遂げたある意味チームとしての一体感を感じていたので、感謝の意を表したかった。


「わ、私は自分の仕事をしただけですから!」


 照れくさかったのか、俺から少し距離を取ると謙遜するかのように両手の平をこちらに向けて言った。その数秒後、慌てて立ち上がると、お話の途中にすみませんと一礼して立ち去ろうとしたが、それまで無言だった隣にいる彼女に呼び止められた。


「初音さん、悪いけど少し待ってもらえる?」


「はい、何でしょう?」


「例のリストから立花咲良さんという人の名前を探しだして欲しいの。それと、速見君を第二部隊に迎えるから戦闘服を用意して貰える?」


「了解しました!」


 威勢のいい声で返事をすると、エミは退室しようとした。

 しかし、ここで俺は彼女の言葉に引っかかりを感じ、口を挟んでしまう。


「ちょっと待て。例のリストっていうのは、あんたが言っていた政府関係者のリストのことだろうから置いておくとして、部隊に迎えるとか戦闘服を用意するって何の話だ? 俺は話を聞くとは言ったが、あんたの要件に付き合うとは一言も言っていないぞ」


 俺は気持ちの赴くままはっきりとそう宣言した。


 ここ【SCCO】では、第二人種の犯罪を取り締まっていると説明を受けたが、ほぼ確実にこれから話されるはずの要件は、厄介事に巻き込まれる可能性が大きい。引っ手繰り犯を捕まえるのにも苦労した俺が、これ以上の労力を割いてまで危険なことに首を突っ込む気は無かった。


「そう言われてもね……。速見君にはもう拒否権はないわけだし」


 相も変わらずそれが当然のことであるかのように事も無げに隣に居座っている。


「勝手に決め付けるな。話を聞いて師匠のことを調べてもらったら帰らせてもらう。俺にはあんたらに付き合う義理もないからな」


「じゃあ、何であの女性を助けたの? 私達に任せておけばよかったのに。気が変わったとかいう曖昧な理由じゃなくて、速見君に何か思うところが会ったから助けたんでしょ?」


「それは……あの時、手伝わないと決めたら、あんたは俺にもう二度と会うこともないって言っていただろ? 師匠の情報を少しでも得るためには、協力して恩を売ったほうがいいと思ったからだ」


 本当は、師匠の言葉を――大切なものを守るという教えを――蔑ろにしたくなかったからだ。

 あの女性にとっての大事なものを失わせるのは、他人事であっても自分の教訓に反する行為だと心の何処かで思っていた。


「そう……。でも、速見君に拒否権はないと言ったのは別に強要しているわけではなくて、立場上の問題で言っているの」


 彼女は俺の言葉を信じていないようだったが、付け加えるように言った。


「立場上ってどういうことだ?」


「さっき第二人種の保護の話をしたでしょ? 能力を制御でき次第、いつでもここから出ていけるって」


「あぁ、だが俺は何度も言うが、既に能力の制御はできているぞ?」


「えぇ、分かっているわ。けど、問題はそこじゃないの。基本的に和ノ国では政府によって認められた第二人種以外の個人的な能力の使用は禁じられているわ。それに違反した場合、私達の組織によって強制的に収容施設に入れられてしまうの。無論、知らなかったじゃ済まされないわ。それで速見君は既に多くの人の前で能力を使っている……この意味が分かるわよね?」


 彼女は真剣な眼差しを向け俺の目を見つめると言った。凄んでみせてるつもりだろうが、俺はかぶりを振ってみせるとその目を見つめ返して言った。


「脅そうってつもりなら無理だぞ? あんたが事後処理を終えたって自分で言ったんじゃないか。それとも、実は何もしていなかったのか?」


 この質問に意味は無い。何故ならもし問題があれば、今頃俺はとっくに収容施設に入れられているはずだ。話を聞くために時間を設けられているのだとしても、わざわざこんな部屋に連れてくるような面倒な真似をせず、その施設とやらに入れた後でじっくり話を聞かせればいいだけだからだ。


「事後処理はちゃんとしたわよ? あなたもさっき確認したでしょ? でも、それは私が速見君を【SCCO】の一員として登録したからできたことよ。今ここで、話を聞くだけで帰ったとしたら登録が無効になって、私達はあなたを逮捕しなければならなくなるわ」


 とんでもないことをさらりと言われた。つまり、俺は勝手にこいつらの仲間入りをしていたって事か?


「ちょっと待て! だとしたら、あの時能力を使わせて最初から俺をはめるつもりだったのか?」


「いいえ、引っ手繰りが起きたのは全く以って偶然だもの。あの時は緊急でそうするより他に無かったわ。ちなみに、今の逮捕云々は能力が発現したばかりの十二歳以下には適応されないの。自制心が保てない場合が殆どだから。その証拠に速見君が能力に目覚めた時は何も無かったはずよ」


 確かに能力が目覚めた時にこいつらと出会った覚えはない。ESで居場所を把握されていたとしたら、師匠がいたとはいえ即刻捕まっていただろう。いや、そんなことはどうでもいい。


「それならここを出て行った奴は、今何をしているんだ? いつでも出ていけるとか言っておいて、その後すぐに逮捕したのか?」


「いいえ、私達の仲間になって貰えたら、連絡可能な状態にあって犯罪さえしなければ監視も必要ないもの。今は本人の自由に生きているはずよ」


 彼女の言葉を信じられない俺は視線をエミの方へと向けた。その場で話を聞いていたエミは視線を俺に合わすと無言で首肯する。


「そういう訳で、今から速見君には書類にサインして貰って、正式に私達の仲間入りをした後、引き続き話を聞いてもらうことになるわね」


 すると、彼女は立ち上って部屋の扉から向かい側の正面にある社長椅子とセットになった長机の引き出から書類を取り出した。

 その後、長机の上に置いてある筒状のペン立ての中から黒のサインペンを取り出すと俺に渡してくる。

 短い思考の後、漸く俺は口を開いた。


「……仲間になるしかないのは分かった。けれど、師匠の事を聞き出したら俺はここから出ていく」


「構わないわ。でも、速見君は私達に協力してくれるって信じているから……」


 縋るようなそれでいて信頼しているような目で見つめられ、思わず目を逸らした。

 無造作にペンを受け取り、書類にサインをすると彼女はそれを確認して言った。


「ありがとう。じゃあ、今から速見君は私達【SCCO】の仲間兼私の部下って事になるから、これからよろしく」


「あぁ。……うん? 部下ってどういうことだ? あんたはただの【SCCO】の一員だろ?」


 さっきから気になっていたが、組織の一員とはいえ、彼女のやり方は強引すぎる。普通の会社ならバレたらクビ相当なものだろう。それと、元からの性格なのかは知らないが、エミに対しての命令口調も気になっていた。


 恐らくエミは見た目からして、俺達より一、二歳年上の気がする。俺も普段からあまり口調には気を遣う方ではないが、年上への最低限のマナーは守っているつもりだ。


「あぁ、ごめんなさい! うっかりしていたわ。私としたことが、自己紹介がまだだったわね」


 彼女はそう言うと、小さく咳払いをして居住まいを正した。


「改めまして、長塚ながつか優奈ゆうなです。みんなには略称でユナって呼ばれているわ。一応、この【SCCO】の長官をしています」


「ながつか、ゆうな……」


 普段人とあまり関わらない俺にとって人の名前何てどうでもいいことであったが、こうして目の前にいる美女の名前は気にせざるを得なかった。つい頭の中で反芻してしまう。そのせいか最後の重要な言葉に気づくのに多少の時間を要した。


「……ん? 今最後、何て言った?」


「【SCCO】の長官って言ったのよ」


「そうか……って長官!? それってつまり組織のトップってことか?」


 彼女の唐突な発言に頭が追いついていない。歳は俺と変わらず、服装も私服を着ていて――この時点で政府の高官かどうかも怪しいが――とてもじゃないが上に立つ人間とは程遠いように思える。良くて上官じょうかんなら合点がいくが……。

 しかし、彼女の言葉を肯定するようにエミが口を開いた。


「ユナさんは、現在保護下にある人物も含めて、ここ【SCCO】本部に在籍する約三百人の第二人種とここに来訪される政府関係者の方々をまとめているすごい人なのですよ」


「…………」


 俺は思わず固まってしまった。この女が第二人種に携わる国の重要機関の頂点に立ち、その上仕事をこなす超エリートと言うべき存在であることを信じられるはずもなかった。


「……と言っても、私はただの代理だけどね」

 

彼女――ユナと呼ばれるこの少女が補足するように言った。


「……代理って長官は別にいるのか?」


 やっとの事で絞り出したこの質問に彼女は答えた。


「えぇ、そもそもこの組織は私の四つ上の兄が発足したものよ。私がここに来たのは三年前だし、その頃はこの組織はおろか、第二人種のことですらよく知らないままだったから……でも当時、長官として働いていた兄に色々なことを教わって一年で副長官の座に付いたわ」


 それを聞いてもなお未だに信じられない気持ちだったが、よくよく考えてみたら彼女のこれまでの第二人種についての知識や警察への態度、そして事後処理という名の情報操作を行うほどの権力者であるならばすべての事象に納得がいく。


「じゃあ、お兄さんは今何処に?」


 触れてはならない事だったのか、急に彼女の顔が曇った。


「いなくなったわ。一年前にね……。誰にも何も告げないで、突然行方を暗ましたの。仕事を投げ出すような無責任な人ではなかったのに……でも、今思うと私にすべてを託すために色々と知識を叩き込んだのかもしれないわね。自分にもしもの事があったら、この組織を頼むとも言われていたし」


 彼女は俯き様に悲愁を漂わせながら、当時を思い出すかのようにゆっくりと語った。

 俺はかける言葉を探ったが、どう言っていいか分からずただ話を聞くことしかできなかった。エミも彼女に同情しているのか、彼女と同じように悲しそうに目を伏せている。


「その後、いつまでも長官の座を開けておくわけにはいかないから。当時副長官だった私が自動的に長官の座に付いたってわけ」


「そうだったのか……けど大変じゃなかったのか? 副長官だったとはいえ、いきなり長官に抜擢されたんだろ?」


「大変ってもんじゃなかったわよ。副長官に就任した時点で、周囲からやっかみを受けていたのに、長官になってさらに妬まれて陰口や嫌がらせを受けたこともあったわ。まぁ、兄妹だから当然だって言ってくれる人もいたけど、それでも最初の一ヶ月くらいは政府関係者への事情説明やら謝罪で忙しかったわね。今でこそみんな私を支えてくれているけれど、何度挫けそうになったことか……」


 彼女は無理におどけて見せているようだった。

 俺はここで初めて彼女に親近感のようなものを感じた気がした。師匠と弟子の関係ではあったが、俺にとって家族同然の師匠が突然いなくなったのと彼女の実の兄がいなくなったのは偶然のようには思えない。


「お兄さんの手がかりは、何か掴め無かったのか?」


 彼女の兄が行方を暗ましたのが師匠と違って一年前と言うのなら、これだけの設備が整った場所なら直ぐにでも発見できそうだったが、彼女はかぶりを振って言った。


「組織に関する兄のデータすべてが消されていたの。たぶん、いなくなる前に長官の権限で兄が自分で削除したんだと思う。以前まで個人の記録データは機密事項として長官以外はアクセスできない仕様だったから……それに、補助型が兄さんをマーキング――ESから本人の居場所を探る――していたのにESも感じないの。きっとESを感じにくい程遠くにいるか、何処かの地下にいるのか、あるいはもう……」


 その先は彼女の口からは語られなかったが、何となく察しはついた。ESが消えるというのは、つまり本人の精神力が尽きるということ。それすなわち本人の死を意味しているのだと。 何だかまるで自分のことのように思えて、一瞬もしかしたら師匠も……何て不謹慎なことを考えたが直ぐに頭から振り払うと俺は彼女に対して言った。


「安易なことはいえないが、お兄さんは無事な気がする。きっと俺の師匠と同じように何処かであんたを見守ってくれているんだと思う」


「……そうね。私もそう思うわ。兄さんは簡単に死ぬような人じゃないもの。きっと速見君の師匠も同じね」


 彼女は少し気が晴れたのか、微笑んでいた。その顔を見て俺も恐らくエミもホッとしたんだと思う。二人の内心が顔に出ていたのか、それを見た彼女が場の空気を変えるように話した。


「まぁ、昔話はこれくらいにして、早速話を聞いてもらうわよ。初音さんも仕事に戻って、あと速見君の戦闘服を忘れないようにね」


 はい、と短く返事をするとエミは一瞬俺を見て少し頭を下げるとその場を退席した。その様子を見送った後、俺は彼女に話しかける。


「おい、俺はまだその話とやらに乗っかるつもりは……」


 ここまで言いかけたが、すぐさま彼女の言葉にかき消された。


「最近の連続殺人事件、速見君も知っているわよね?」


 それは恐らく今朝のニュースにもなり、教室でクラスメイトが話していた。例の事件のことだろう。


「突然何だよ? そりゃ、あれだけ世間を騒がせていたら嫌でも耳にする」


「なら、話は早いわ。もうわかると思うけど、あれは第二人種の犯行による一般人の殺害事件よ。既に警察の方からこちらに捜査協力の要請が来ているわ」


 今朝のクラスメイトの話を思い出す。確か刺傷に加えて感電もしていたってやつか。確かに、第二人種の能力によるものなら説明がつく。


「けど、遺体の状態から判断しただけだろ? まだ、第二人種の仕業とは断定できないんじゃないのか?」


「マスコミには公表されていないけれど、たまたま殺人事件の現場近くの防犯カメラから逃走する犯人の姿が映っていたらしいわ。これが、その最新映像ね」


 彼女はテーブルの上で両手の親指同士と人差し指の先をそれぞれ合わせ、歪なひし型を作ると、そのまま指先を離し素早く一定の距離を保った。すると、またもやモニター化されたホログラム映像が現れる。彼女の言う通り何処かの街路の様子が撮影されていた。


 映像には右下の辺に撮影時の時刻が表示されている。ニ〇三七年三月三一日午後十時ニ十分と白色のデジタル数字で表記されていた。

 映像が再生され、その数秒後に空中を何かの黒い物体が通り過ぎる。


「今の映像をスローで再生するわ」


 そう彼女が告げると巻き戻しが起こり、映像がゆっくりと流れた。今度ははっきりと謎の黒い物体の姿が映し出される。そこには黒いフードを被った人物が空中を飛んでいく様を捉えていた。


「こいつは……」


 映像が合成ではなく、紛れもない本物であれば、ここに映っている人物は幽霊でもなければ高確率で第二人種と言わざるを得ない証拠であった。


「最初の事件が起きてから、私達は第二人種の可能性を感じていたわ。ただ、現行犯でない限り最初はどうしても警察が捜査を行うことになるから、こちらへの連絡が来たのは三回目の殺人が行われた後だったの。急いで遺体を確認して僅かなESの反応を確認したから、直ぐに捜査を開始したわ」


「遺体からもESが検知できるのか?」


「ほんの少しだけだけどね。第二人種が能力を使用した場合、発散したESが残り香みたいに空気中を漂うの。時間が立つほど消えてしまいやすくなるから通常は補助型に解剖をお願いするわ。その結果、今回の犯人は武器系と判明したってわけ」


 仕組みは分からないが、補助型ならその人物特有のESから何タイプの第二人種かまで判明できるらしい。どうやら、いかずち属性を持つ剣で犯行に及んだようだ。


「そこまで判明しているなら、犯人を見つけるのは容易いんじゃないのか?」


「それが一度――四回目の犯行の時――直ぐにESを特定して現場に追跡班を送ったの。けれど、この犯人はどういうわけか格闘系並の俊敏さを持ち合わせていて逃げられたのよ。通常他のタイプと併用して能力が発現することはないの。少なくとも今は誰一人として確認された例はないわ。この犯人が初めての併用タイプの第二人種とはいえなくないけど、特定したESからはとても強力な第二人種とは思えないのよ」


 彼女はそう言い切ると、顔の前で指を組んで考えこむような仕草をしていた。


「疑うわけじゃないが、補助型の診断が間違えていて、元から格闘系の第二人種だったとか? もしくは犯人は二人組みで片方が殺人を行い、もう片方は囮で偶々そいつがカメラに映ったとか?」


 普段、小説もとい文庫本を読むのが好きな俺にとってこういうミステリー系の話は不謹慎ではあるが興味をそそられる内容だった。ついいつもの癖で推理をしてしまう。実際、小説では結論を急いだ警察が死因を間違うことが多々あるし、犯人が読者の斜め上を行く方法で犯行に及んでいる場合があるからだ。


「私は仲間に絶対的な信頼を寄せているし、現に補助型の報告に誤診があったことはないわ。それに撮影現場からは遺体と同じESが検知されたそうよ。同一犯と考えて間違いないわね」


 彼女は毅然と言い切った。こういう姿勢が上に立つものに求められるものであり、現在彼女が仲間から慕われている理由なのかもしれない。


「じゃあ、あんたの言った通り併用タイプの第二人種じゃあないのか?」


「そうだとは思うのだけれど……その場合、ただでさえ攻撃型はESを消費しやすいのにそれを併用して、しかも格闘系と武器系の能力を使い分けるならかなりのESの数値が計測されないとおかしいのよ」


「数値ってESは感覚的なものなんだろ? 数値化できるものなのか?」


「数値化って言っても一種の目安みたいなものよ。一から百までの数値を五段階に分けてAからEまでのアルファベットをつけるの。今回の敵は55レベル――Cランク程度のものでしかない。新種の併用タイプだとしたら、消費量から逆算して最低でもBランク以上はあるはずなのに。まぁ、本当なら百以上の数値がでてもおかしくはないわね。世の中にはAランクを超えたSランクの第二人種もいるらしいから」


 数値化のことはよく分からないが、だいたい平均くらいの強さってことか。それなら大した相手では無さそうだと思ったが、ふと自分自身のランクが気になった。


「なぁ、俺のESの大きさはどれくらいなんだ?」


「速見君の? そうね。私があなたに目をつけたのはESの大きさもあるのだけれど、あなたはだいたい65レベル――Bランクだそうよ」


 それを聞いて拍子抜けしてしまう。自分の実力を自負しているわけではないが、勧誘されるくらいだから最低でも80レベル以上はあると思っていた。


「強さがいまいち分からないが、それって強い方なのか?」


「もちろんよ。と言ってもESは所詮、第二人種にとっての能力の発動限界値みたいなものだからRPGでいうMPみたいなものなの。これが高いからと言って必ずしもその第二人種が強いとは限らないわ。ただ、これが高い分だけ能力が使いやすくなるから、戦闘に有利なのは確かね」


 彼女はゲームで例えることが多いが、ひょっとして趣味か何かなのだろうか?

 だが、今そこに突っ込むと話が終わりそうにないので、放っておいて次の質問に切り変えた。


「今回の犯人がCランク程度であんたらの組織の第二人種はどれくらいの強さ何だ?」


「そうね。保護下にある第二人種はだいたいランクEからDだけど、能力を制御して任務を遂行できるグループは、全員Cランク以上はあるわ。でも、大体第二人種の能力とESはかなりの努力をしないと成長しにくいっていう特徴があるから、Bランクに入るだけでも相当実力がある証拠でもあるのよ? だから、最初にあなたを見た時は驚いちゃった。既に能力を制御していてその上ESの大きさも高かったから」


「確かに、師匠には安定して能力が使えるまで稽古してもらったけど、そこまで厳しい努力はした覚えがないぞ? というか、さっき言っていたマーキング? だっけか、それで犯人を特定できないのか? いくらなんでも四六時中SABUYA区を監視していたら見つかりそうな気がするが……」


 実際、オペレータールームで見たモニターの数から推測すると京東全体を監視しているように思えた。犯人が京東ニ三区内の何処かに出てくるなら、ESを検知した瞬間を抑えれば日頃の行動パターンくらい分かりそうだが。


「時々いるのよ。速見君みたいにあまり努力しなくても元々の潜在能力が大きい人が。それとマーキングを行うには条件が二つあるの。一つは対象の第二人種の顔が判別できるくらいの距離にいること。二つ目は、対象の第二人種が能力を使っている状態であること。そのどちらかが守られていなければならないわ。その上で相手のESを検知した瞬間、補助型の能力で自身と意識共有して、発見した第二人種をスキャンすることで漸く対象の能力の詳細が判明して、追跡が可能になるの。補助型が現場にいれば、こんな面倒な方法は取らなくても直接スキャンするけれど、今回の犯人は、能力を一瞬しか使わないし逃走も早いからマーキングは難しいわ」


「そんな、面倒な条件があるんだな。……うん? ということは、俺を発見したのは偶然だったってことか?」


 京東に来てから能力をさっきまで一度も使ったことがなかった俺が、特定されるにまで至ったということは、近くに【SCCO】の人間がいたということになる。


「あぁ、それは私が速見君を見つけたのよ。これとは別件の捜査を終えた帰りに、車に乗り込もうとしたら後ろから物凄いESを感じて、振り向くと学校帰りのあなたがいたの。知らない人だったし、どんな能力かも分からなかったから、念の為に補助型に連絡して私を媒体に意識共有することで私の目で見たあなたをマーキングさせて貰ったわ。それで後日この事件が起こり、今回の犯人にはあなたの能力が打って付けかと思って、あなたの事を調べた上で今朝漸く接触したの」


 それは数奇な巡り合わせだった。俺は日常生活を過ごす中で、偶然彼女によって見出され、こうして今朝――彼女にとっては二度目だが――初めて出会い、その平穏無事な日常の歯車を壊されたにもかかわらず、向い合って話している。


「偶然って怖いな。俺はあんたに出会わなければ、何もしないまま人生を謳歌できたかもしれないのに」


「あら、もし私に出会ってなければ、速見君はきっと孤独のまま寂しさに震えていたわよ。実際、ESを感じなければ下校中のあなたは仏頂面で、ただ音楽プレイヤーで曲を聞くだけのモブキャラみたいな存在感しかなかったもの」


「誰がモブキャラだ、誰が」


 そんな風に彼女と軽口を叩き合っていると、あることに気づいた。


「なぁ、俺に協力して欲しいことってつまり……」


「ええ、その連続殺人犯である第二人種を捕まえて欲しいの」


「…………はぁあ!? いや、何いってんだ!? 相手は殺人犯だぞ? そこら辺の引っ手繰り犯とはわけが違う! 平気で人を殺すような奴だぞ! そんなの相手にできるか!」


 先程の引っ手繰り犯ですらこの女がいなかったらナイフで刺されていたかもしれない。ましてそれより凶悪な奴の相手などできるわけがないだろう。気持ちの赴くまま思い切り叫んだが、彼女は沈着な態度を崩さず言葉の先を折るように言った。


「別に真っ向勝負を挑め、なんて言っていないわ。速見君には犯人が逃走した後、一定の距離を保ちながら、犯人のアジトまで追跡して欲しいのよ。所謂尾行って奴ね」


「そんなことを言われてもなぁ……。大体、俺は相手のESを測れないし、補助型と意識を共有するのは無理があるだろ?」


 居場所が検知できないなら、誰かに指示を受けて追いかけるしかない。しかし、バイクに乗った相手でさえ手間がかかった。それが第二人種相手だと不可能にも思える。


「マーキング自体は私がやるわ。それと補助型は複数人に共有意識を持たせられるの。だから速見君と私の意識を同化させて犯人の位置を把握できるようにするから、その後あなたは尾行を開始して頂戴」


「だとしても、どうやって犯人を見つけるんだ? ESが感知された時点で現場に言ったとしても、犯人が俺と同じスピードかそれ以上だったら、逃げられるだろ?」


 彼女の話だと、既に一度追跡班が出動した時には、犯人の格闘系の能力で追いつく前に逃げられている。

 俺の能力で仮に追いついたとしても、マーキングが彼女にしかできない今、現場に時間もかけずに直行するのは無理があった。


「被害者全員に共通点があって、資本家や経営者などの金持ちが狙われているの。しかも闇サイトで投資をしていた可能性があって、恐らく何かの取引の最中に殺されたんだと思うわ。そこでいくつかのサイトに監視をつけて分かったことだけど、支払いが滞っている人が狙われていたの。だから、次に狙われる可能性がある人はそのサイトで同様に犯人に対して借金がある人ってことになるわね」


 質問に対する明確な答えにはなっていないが、俺は彼女の言葉の意味する所を直感した。


「まさかその次のターゲットになりそうな人物を囮にする気じゃないよな?」


「そのまさかよ。犯人側の情報を調べたら、逃げられる可能性があるけど取引相手ならそう警戒はされないわ。個人情報を調べて犯人とのやり取りを盗み見た後、取引場所を特定して包囲網を敷くの」


「それじゃあ何も意味ないだろ! 取引相手が狙われたらどうするんだ! 犯人を捕まえる所じゃないだろ!」


「あら、速見君がそれを言うのね。今朝私に他人の事なんかどうでもいいって言っていなかった?」


「ぐっ」


 彼女のまっとうな主張に何も言えなかった。 正直、今の俺は迷っていた。確かに俺はこの【SCCO】の一員となったが、彼女が話したように能力の訓練が不要な俺はこの件を聞かなかったことにして、すぐに日常生活に戻ることもできる。


 所詮は他人事。多くの人がそうであるように、自分に関わりのない犯罪には首を突っ込む必要はない。


 少なくともさっきまでの俺ならそう考えただろう。

 けれど、第二人種の実態を知り、今もなお世界中で第二人種による犯罪が起きているという事実を放置して、無視を決め込むほど無情な人間にはなれそうにもなかった。


「確かに、何らかの被害が出るかもしれない。けど、このまま犯人を野放しにしている方が何倍も危険だわ」


 打ちひしがれる俺を見て彼女は口を開いた。


「これ以上被害を拡大させないためにも、何としてでも次で決着をつける必要がある。だから、次のターゲットには悪いけど犯人逮捕のためにもある程度の覚悟を決めてもらわなければいけないの。私達は決して生半可な気持ちで捜査をしてはならないわ。第二人種ためにも、人間のためにもね」


 彼女の言うとおりだ。今ここで犯人を放置していれば、また次の犠牲者が出る可能性がある。彼女が今朝言ったように、誰かを助けられる能力があるならば、それを遂行することは俺の義務のような気がした。


「あの時とは違う……あの女性ひとにとっての大切なものを懸けているわけじゃない」


 言い終える前に、俺のこの言葉をどう解釈したか、彼女は俯いて言った。


「そう……やっぱり速見君に無理強いするわけにはいかないわよね。多少の危険性を伴うわけだし」


「いや、確かに危険かもしれない。けど、もし俺のこの能力が誰かを守ることに繋がるなら、協力してもいい」


 ぶっきらぼうな言い方になったが、彼女はそれを聞くと顔を上げて言った。


「本当!? よかった……ありがとう。決意してくれて嬉しいわ」


「だが、もし犯人が取引相手を傷つけるような素振りを見せたら、俺は全力で止める。例えマーキングの途中でもだ」


「……分かったわ。私達も被害を最小限に留めたいし、誰も傷付けずに犯人を捕獲できるならそうしたいから。でも、あくまで速見君の任務は追跡だってことを忘れないで」


 彼女は、俺の申し出に渋々了承してくれたようだった。俺も「あぁ」と短く返事をすると、彼女は話を切り上げた。


「さて、話がまとまったことだし、次のターゲットが現れるまで若干の余裕があるから、速見君は今日からここに泊まっていきなさい」


 彼女との話に夢中になっていたせいか、気づけば夜の八時を回っていた。今からアパートに帰るのは流石に面倒だったので、お言葉に甘えることにする。


「なら、そうさせてもらうよ」


 そう伝えると、彼女は再びエミを呼出し、俺を本部の隣にあった十階建ての学生寮のような建物に案内させた。聞けば、この寮は東棟と西棟に分かれておりそれぞれ二百人まで収容が可能らしい。西棟は同じく十階建てで女子寮となっており、男子禁制のため寮の玄関先でセキュリティ上追い出されてしまうのだとか。


 内部はビジネスホテルのような構造で、一室が個人専用の部屋となっており、仕事上泊まりに来た政府関係者が専用ルームとして使用したり第二人種の生活の場として利用されたりしているそうだ。


 俺はエミにルームキーを渡され五階の一室に案内された。


「ここがアルトさん専用の部屋になっていますので、遠慮なくおくつろぎ下さい」


「あぁ、でもいいのか? 俺は長くても任務に呼び出される数日間しか使わないのに」


「構いませんよ? もし不都合があれば、現在アルトさんが住まれているアパートを引き払ってこちらに永住して頂いてもいいですから」


 無垢な笑顔を向けられ、冗談で言っているわけではないと察すると慌てて言った。


「い、いや。別に今住んでいる所に不満はないから大丈夫だ」


 それを聞くとエミは「そうですか……」と呟き少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔を向けて言った。


「わかりました! では、もし何かあれば私を呼び出して下さい。部屋の中に内線の電話が設置されていまして、二番が本部と繋がっていますから」


「わかった。すまないエミ、仕事中なのに手間をかけて」


「いえ、案内も仕事の内ですから! では、私はこれで失礼します。あっ、アルトさん!」


 唐突に何かを思い出したようで、「どうした?」と尋ねると、「ユナさんに頼まれたアルトさん用の戦闘服を部屋に置いているんです。ここにいる間は、お手数ですがいつでも出動できるようにその服に着替えておいて下さい」と言われた。


 そういえば、先程そんな話を聞いた気がする。色々とあって素通ししていたが、少し気になっていた。


「戦闘服?」


「はい、格闘系の動きに合わせられるように、耐熱性と伸縮性を合わせた特殊素材の服です。私服だと激しい動きには耐えられませんから」


 言われて俺はここまでずっと学生服であったことに気がついた。慌てて身形を確認するが、時既に遅く服の端々が汚れたり少し破けたりしていた。


 ユナの話だと俺が学校に出席できない間は、特別休暇扱いになり成績にも影響がないらしいが……それが本当の話だとしても、日常生活に戻った時にどうしようかと考えていると、そんな俺を気遣うようにエミが話した。


「部屋の中には洗濯機がありますので、よろしければご利用下さい。乾燥機能もありますから」


「あぁ、そうするよ。流石にこのままじゃ汚いからな」


 そう告げるとエミは「それでは」と一礼し、笑顔を向けて去っていった。

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