第6話

 SABUYA区へと戻り、被害者の女性に会う頃には、時刻はもう午後六時を回ろうとしていた。日差しはまだ明るかったが、夕暮れに近い赤く染まった空が太陽の光で照らされている。


 女性は俺の隣にいる今朝の彼女に言われ、律儀にも被害にあった場所で待っていたらしく、俺達の姿を見ると申し訳なさそうな顔をしながら駆け寄ってきた。


「すみません私、何もできなくて。あなた達に頼ってばかりで」


 そう言うとまた泣きそうな顔になる。また泣かれても面倒だと思ったのと、早く安心させてあげたかった俺は鞄を女性に返した。


「あっ、それ。ひょっとして取り返してくれたんですか?」

「あぁ、まぁ、その」


 何だか急に照れくさくなる。返答に困っていると、隣にいた彼女が代わりに答えた。


「彼が頑張って犯人を追いかけてくれたおかげで何とか取り戻せました。もちろん、中身も無事ですよ? あなたの大切な髪飾りも」


 女性は中身を確認して髪飾りを取り出すと安堵の溜息を吐き、それを抱きしめるかのように両手で自分の胸に押し当てて嬉し涙を流しながら笑った。


「本当に、ありがとうございます!」


 そう何度も感謝の言葉を述べながら深々と頭を下げると、お礼をさせて欲しいと迫られた。しかし、今日一日の出来事で気疲れしていたのと、この後彼女に付き合わなければならないことを考え断ることにした。

 その代わりに、俺が使用したこの能力について見たことを誰にも言わないでくれと約束した。


「はい、絶対に誰にも言いません! 本当にありがとうございました!」


 最後にもう一度頭を下げると彼女は笑顔で去っていった。


「もう二度と騙されないといいけどな」


 去っていく女性の背中を見ながら、自然と独り言のように呟いた。その言葉を隣にいた彼女が拾いあげる。


「あら、別にいいじゃない。もし、また何かの事件に巻き込まれても速見君が助けてあげれば」

「勘弁してくれ」


 あんな出来事は一日だけで充分だ。短くそう伝えると彼女は笑って言った。


「でも、良かったの? せっかくあんな綺麗な女性にお礼をしてもらえたかもしれないのに、カッコつけて断っちゃうなんて」


「別に、これ以上長く人と関わりたくなかっただけだ。それに、それを言うならあんただってそうだろ? わざわざ全部俺が解決したように伝えていたが、本来ならあんたも感謝されるべきだ」


 先程のやり取りで、彼女は俺一人で解決したかのように女性に伝えていた。訂正するのも面倒だったので黙ってはいたが、犯人を特定するまでに至ったのは彼女やエミのお陰であって、どちらかと言えば二人の功績が大きいだろう。


「私は別に感謝されるために人助けをしているわけじゃないもの。見返りなんていらない。ただ助けたいって自分の意志でそう思ったから実行に移したってだけ」


 毅然として胸を張るようにそう述べる。彼女の懐の深さを見た気がした。


「さぁ、そんなことよりこれで漸く事件が片付いたことだし、速見君には私に付き合ってもらうわよ?」

「あっ、ああ」


 正直もう家に帰りたい気分だったが、約束してしまったのは仕方ない。不本意ではあるが、彼女ともう少しだけ行動をともにするか。そう考えて気持ちを切り替えることにした。


「で、俺に聞いて欲しいことって何だよ? それと俺が探している人のことをどこまで知っているのか、あとさっきの能力についても話してくれ」


 引っ手繰り事件のおかげで忘れかけていたが、彼女には聞きたいことが山ほどあった。


「そうね。でもまぁ……ここじゃ誰かに聞かれて不審がられる可能性があるし、一旦本部に移動しましょう」


「さっきも言ったが本部って何だよ? セキュリティ会社なのか?」


「それも含めて着いたら説明するわ。車を手配させてあるから行きましょう?」


 はぐらかされた気もするが、本部とやらに行けば全部わかるというのなら黙って付いて行くだけだ。

 少し歩くと彼女の言った通り黒色でセレブ感の溢れる高級車が路肩に止まっていた。


「さぁ、どうぞ。ちゃんとシートベルトは閉めてね」


 彼女は後方座席の扉を開けると中に入るように促す。奥側に詰めて座ると彼女も隣に座った。


「って、ちょっと待て。運転はどうするんだよ?」


 乗った瞬間に違和感を感じたが、そこにいるはずの運転手が存在しなかった。


「あぁ、それなら大丈夫よ」


 彼女はまるで聞かれるのを予想していたかのように平然としてそう言った。


「いや、大丈夫ってあんたが運転するんじゃないのか?」

「私はまだ十七歳よ。車は運転できないわ」

「同い年だったのか。意外だな」


 彼女の素行を考えれば年相応とも言えなくもないが、警察を動かしたりエミと連携して指示を与えていたりと毅然とした対応からもう少し年上かと思っていた。


「ちょっと、それどういう意味よ?」


 彼女は頬を膨らませて少し拗ねた表情を浮かべる。こういう所は普通の女の子……いや、少し子供っぽい気がした。


「別に、深い意味はない。それより運転しないならどうするんだ? いや、それよりもここまでこの車を運転してきた人はいないのか?」


「だからそれも含めて大丈夫だってば、速見君って割りと心配性だったりする?」


 茶化すような目でこちらを見つめてくる。夜空に輝く星を見た時のようなその美しい瞳に思わず吸い込まれそうになり、気づいた時には慌てて目を逸らして話を続けた。


「俺のことはどうでもいい。それよりまたからかっているなら……」


 言葉をここで区切る。いや、区切らされたというべきか。彼女が運転席に向かって話しかけたからだ。


「本部までお願い」


 短くそう伝えると、突然エンジンが掛かる。ハンドルやアクセルが勝手に動き出し、車が発進した。


「かしこまりました。本部へ向かいます」


 品のある少しばかり高い女性の声色で機械的ではあったが流暢な声が流れた。その後、突然車体が揺れたかと思うと、窓の景色がゆっくりと下がっていく。どうやら車ごと宙に浮いているようだった。


 彼女は何事もなかったかのように座り直すと、口を開く。


「わかったでしょ? 大丈夫って言った意味が」


 愕然として運転席を見つめる。車は道路を辿るように、そして徐々に加速しながら正確に走る……もとい飛んでいた。


「どういうことだよ?」

「驚いたって顔をしているわね。まぁ、開発は二十年前くらいから既にされていたけれど、当時から普及はあまりしていなかったから無理もないか」


 あまり詳しくは無いが、自動で運転するならまだしも飛ぶ車が実際にあるというのは初耳だ。映画や小説の中での出来事くらいにしか、考えていなかった。呆然としていると彼女はご丁寧にも解説をし出す。


「センサーで人や周りの障害物の気配を察知するタイプは前々からあったのだけれど、これはそれに加えて人工知能、所謂AIを組み込んだものよ。それによって周囲への判断力が強化され、より安全な運転が可能になったわ」


 車窓から外を眺める。何台かの車が道路を走行しているが、それらを真上から敏速に追い越していた。


 彼女は俺の様子を気にもとめずに続ける。


「ジェットエンジン搭載、出力調整でホバリングや飛行が可能。カモフラージュ機能も搭載されていて、上昇した直後から私達も含め車体が見えなくなっているの。ただし、諸事情があって世間的には認知できない部分があるから、将来的に徐々に普及させていくつもりみたいよ」


「知らなかった。技術がこんなに進歩していたなんて」


 技術の発展は、絶えずされていくものだとは思うが、これに関しては自分の知らない世界を初めて覗いている気分だった。


「でもおかしくないか? その諸事情とやらは知らないが、普通はこういう技術は企業が公にするものだろ? テレビやネットでも見たことがないぞ?」


「そうね。本部に着くまで時間があるし、あなたや私のこの能力にも関係のあることだから、今話しておくわ」


 彼女は視線を外へと向け、どこか遠くを見て思いを馳せているようだったが、徐に語り出した。


「速見君は十七年前、ちょうど私達が生まれた2020年に世界規模の疫病が流行ったのは知っているかしら?」

「あぁ、テレビの特集とかで聞いたことくらいなら」


 当時は和ノ国で国際的なスポーツ大会が開催されていたのもあって世界中から注目が集まっていた。その中で観客や選手が急に吐血をしたり、高熱で倒れて救急車で搬送されたりとパニック状態となってテレビの放送が中断されるほど世間を驚愕させたらしい。


「当初は国家レベルでのテロやら神の裁きやら色々な憶測が囁かれていたけれど、WHPO世界健康維持機構が患者の体内から新種のウイルスを発見して伝染病による被害だということが判明したの」


「新種ってことは対応できなかったのか?」


「ええ。患者をすぐに隔離していた和ノ国とは違って医療設備が浸透していない貧困層の国ではしばらく感染が続いたわ。酷い所では人口の三分の一の人が亡くなったそうよ」


 説明を聞いただけでも当時の悲惨な状況が思い浮かんだ。今の環境がどれだけ恵まれているのか思い知らされる。


「そんな中でよく被害が収まったな? 感染症ってワクチンがなければそう簡単に治らないはずだろ?」


「もちろん、各国の医学者たちが急いでウイルスを研究して患者を救おうとしたわ。けれど、当時の医療技術ではどうしようも無いレベルまで到達していたの。でも、そこで救世主が現れた。医学で世界的権威をもつレナード・ベイカー博士が自らの研究によって新薬を開発し抗ウイルス剤を作り上げたの」


「レナード・ベイカー……」


 どこかで聞き覚えのある名前だった。彼女に言わせれば有名人なのは間違いなさそうだが、テレビや雑誌で見たというより直接誰かの口から聞いたような名前だ。物思いに耽っているといつの間にかこちらを向いていた彼女の言葉で我に返る。


「速見君? どうしたの?」


「あぁ、悪い。ちょっとその名前に聞き覚えがあったから」


「まぁ、その分野の人にとっては有名人だしね。聞いたことがあるのも無理は無いわ。話を戻すけど、ベイカー博士はこのウイルスに罹ったすべての人を治癒することを目的として、世界中の疫病に苦しんでいる人を治療しに回っていたの」


 ベイカー博士の名前が心に引っ掛かったが、彼女が俺の様子を気にする事なく続けるので俺も今は話に集中することにした。


「すごいな。その功績は表彰ものだろ」


「ええ。世界は彼に賞賛の証として賞を授与したいと申し出たわ。けれど、博士はそれを辞退した。『私が授賞式に参加し感謝の意を表明している間、世界中で病気に苦しんでいる人たちが今もなお克服しようと懸命に戦っている。ならば、私のすべきことは医療を発展させてその人たちを一秒でも早く健康にさせることだ』ってね。実際、彼は自分の研究を公にして医学の発展のために尽力したのよ」


 彼女は当時の様子をまるで見ていたかのように詳しく語った。だが、俺はここで疑問がさらに湧く。


「その博士がすごいのは分かったが、この能力と何が関係しているんだ?」


 それを聞いた途端、彼女は少し俯くと躊躇いがちに話した。


「ここからのことは一部の人間にしか伝えられていないのだけど、博士が記した文献には異能者についての記載があったの」


「異能者ってつまり……」


「ええ、私やあなたのような特別な能力を持った人のことよ。博士の文献では【第二人種セカンド】って呼ばれていたわ」


「第二人種……」


 過去の記憶を呼び覚ます。俺にこの能力のことを教えてくれたあの人のことを。しかし、能力の使い方は教わったが、何故俺にこんな能力があるのかそれについては教えてもらえなかった。ひょっとすると、あの人自身も詳しいことは知らなかったのかもしれない。が、ここで俺は気づいてしまった。


「待ってくれ。その文献の内容って一部の人しか知らないんだよな?」


「ええ、外部に漏らすことは禁止されているから知っている人はごく僅かだと思うけど」


「なら、あの人は……師匠せんせいは俺のこの能力について何で最初から知っていたんだ?」


「師匠って?」


 あまりしっくり来ていない様子の彼女に俺は念を押すように言った。


「だから、俺が探している人だよ! あんたもさっき一緒に探すって言っていた!」


「あっあぁー、速見君の探している人ってあなたの師匠だったのね」


 彼女は、たった今理解したような口ぶりで話す。ここで俺は違和感を覚えた。


「師匠だったのねって俺のことを調べあげていたんじゃなかったのか? その上で師匠のことも知ったんだろ?」


「調べたわよ。でもそれは記録に残っているものでしかない。」


 予想通りと言うべきか、彼女は俺の出生記録などを調べたようだ。でも、だとしたら尚更理解できない。


「じゃあ何で師匠の事を探しているって分かったんだ?」


「さっき話したでしょ? 速見君の日頃の行動パターンも観察していたって。あなたアルバイトが無い時は、人の多い場所に行っては声を掛けるわけでもないのに若い女性を次々と見ていたじゃない。はたから見れば不審者丸出しだったわよ?」


 彼女の今朝の行動を考えれば心の中で誰しもが思ったであろうが、あえて突っ込ませてもらおう。


「お前が言うな!」

「ごめんなさいってば」


 彼女は口元で手のひらを合わせながら、謝罪のポーズを取ると会話を続けた。


「でも、そういう訳で私は速見君が誰かを探していると予想して、あなたが話を中断しないように餌として人探しを手伝うって言ったの」


「じゃあ、あんたは師匠のことは何も知らなかったのか」


「ええ、だってあの時引っ手繰りがあって有耶無耶になっちゃったけど、私は師匠なんて一言も言っていないでしょ?」


 先ほどの出来事を思い返してみる。確かに、師匠という言葉は出てこなかった。


「はぁ、つまりあんたに一杯食わされたってことか」

「人聞きの悪い事言わないでよ。勘違いしたのは速見君の方でしょ? それで、その師匠が知っていたってどういうこと?」


 彼女に聞き返され俺は師匠の事を思い出しつつ語った。


「師匠は俺が赤ん坊の頃から九歳の時まで面倒を見てくれていた人だ。色んな国を一緒に回って旅をしていたのをうっすらと覚えている。その時に身の回りのことやこの能力について教わったんだ。それも俺のこの能力がいずれ発現するのを予期していたみたいだった」


「なるほどね。文献が公表された後でそれを読んだ一部の人間ならともかく、あなたの師匠はこの能力について以前から知っていたという点が矛盾していると言いたいわけね」


 話し終える前に言いたいことを汲み取られる。犯人を追い詰めたほどだ。やはり彼女は頭の回転が速い。それでも俺は話を補足するために続けた。


「あぁ、しかも七歳を過ぎた辺から本当にこの能力が発現した。そして約二年間はこの能力を制御することを教わったんだ」


 ここまでの俺の話を聞いていた彼女は伏目になり、顎に右手を当てると考える素振りをした。


「うーん、確かに変ね。可能性があるとしたら、あなたの師匠はベイカー博士の知り合いで研究に携わっていた。もしくは、文献を披露することが許された一部の人間のリストに実は含まれていたとかね」


「その一部の人間ってどんな奴が対象なんだ?  師匠のような一般人も選ばれるものなのか?」


 俺の問に彼女は再び顔を上げこちらを向くとかぶりを振って答えた。


「いいえ、多くは政府関係者のはずよ。それもかなりの役職についた人ね。まぁ、口外はもちろん禁止されているけれど、国によってはその後、国内の特定の人に伝えたらしいわ。例えば、和ノ国では警察の上層部と細胞や遺伝子について研究して功績を上げた人とかにね」


 彼女の説明によるとやはり特別な地位にある人物が選ばれたようだが、俺はそれを否定するため首を振って答えた。


「だとしたらその可能性は低い。師匠は自分の事になると何も教えてはくれなかったが、少なくとも俺を育ててくれた九年間はできるだけ他人と話さないようにしていたからな」


 他人との接触を避けていた師匠が、特別な役職についていたとは思えなかった。また誰かと連絡を取り合う素振りも見せていなかったはずだ。


「それは引っ掛かるわね。世間で第二人種の存在が囁かれだしたのは近年の事だし、文献が出た当初はその存在自体を知るものは少なかったはずよ」


「とういうことは、師匠がそのベイカー博士ってやつと知り合いだった可能性が高いってことか……」


 彼女の話が確かなら俺の師匠との過去を合わせると、俺と出会う前に師匠は第二人種の研究に携わっていたことになる。その時ベイカー博士に出会ったのなら辻褄が合うだろう。この考えを肯定するように彼女が頷きながら言った。


「そうなるわね。ところで、聞いてもいいかしら? 速見君と師匠はどうやって出会ったの? 速見君は孤児院育ちだし、今聞いた話だと親代わりってことになるわよね?」


「あぁ、師匠は俺の本当の両親についてあまり話してはくれなかった。ただ何かの事故で亡くなったとだけ聞いている。その事故の後、俺の親と知り合いだった師匠が赤ん坊だった俺を引き取ってくれたらしい」


「そうだったの。ごめんなさい。書類には速見君の九歳からの記録しか無かったから気になっていて……辛いことを思い出させてしまったわね」


 彼女はそう言うと申し訳なさそうに少し頭を下げた。


「別に今さら気にすることじゃない。本当の両親のことが気にならないわけじゃないが、俺にとっては師匠と一緒に過ごす時間が何よりも楽しかったからな」


 彼女を慰めるわけじゃないが、変に気を使って欲しくもなかった俺は本心を伝えた。彼女はそれを聞くと少し安堵したようだ。


「そう。でも、それなら何故師匠はあなたを孤児院に預けたの? 生活が苦しくなったとか?」


「いや、師匠はそれなりにお金を持っていたみたいだ。いつ働いてどこで稼いでいるかはやっぱり教えてはくれなかったが。けど、俺を孤児院に預ける前は何か思い詰めた表情をしていることが多かったな」


 そこまで話した瞬間、ある一つの考えが思い浮かぶ。急いで彼女に確認しようと思い立った。


「なぁ、ひょっとしたら、師匠はベイカー博士の所にいるんじゃないのか?」

「どういうこと?」


 いきなりの質問に彼女自身もよく分かっていないようだった。補足するように説明する。


「師匠は何かなすべきことが合って俺を孤児院に預けた。自分の事を話したがらない師匠の事だ、俺にもその内容をばらしたく無かったんだろう。その後、一人になった師匠は自分の知人であるベイカー博士に会いに行ったんだ。そのなすべきことを手伝ってもらうために」


「それにしては、随分時間が掛かっていない? 速見君が九歳の頃だから八年も前のことでしょう?」


 当然の疑問だが、師匠の性格を知る俺には確かな自信があった。


「きっと壮大な計画を立てているんだろう。普通なら大勢の人の力が必要なくらいのものを師匠は秘密主義者だったから殆ど一人でやろうとしているんだ」


「それは無いと思うわ」


 彼女は俺の考えを否定するときっぱりと言った。


「何でそう思うんだ?」


 少しむっとしてしまう。師匠への逢いたい気持ちが焦りを生んでいるのか、冷静さを欠いていた。


「理由は二つ。一つは時間よ。ベイカー博士に会いに行ったとしても八年前ならそれは不可能だわ。何故ならベイカー博士は十七年前のウイルスに対しての治療を行い、世界中の患者を救った後忽然と姿を消したの。文献だけ自身のラボに残してね。それは今から約十二年前と言われているわ」


「そうなのか!? けど、師匠と緊急の待ち合わせ場所で出会っていたとしたら?」


 彼女は俺の切り返しを想定していたのか、諭すように続けた。


「第二人種のことが各国の政府に知れ渡り、世界中の国が博士に詳しい話を伺おうと捜索したわ。それも秘密裏にね。あなたの師匠だけならともかく顔も素性も知られている博士が、何年もの間何処かに隠れ続けることなど在り得ないわ。文明が発展していない昔ならともかく今はどこへ行くにも何かしら記録に残るはずよ」


 確かに筋は通っている、だが俺は他の可能性についても言及した。


「なら、師匠は博士には会わずに一人で何かやろうとしているとか?」


「その可能性はないとは言い切れないけれど、もう一つの理由として場所があるわね。速見君の師匠の計画がどんなものか分からないけれど、第二人種のことを知るものはプライベートまでも一切調べられるの。第二人種の能力を悪用されないようにね。もし速見君の言う通りなら博士のラボや文献に師匠の記録や痕跡が残るか、政府関係者のリストに名前が上がっていると思うわ。関係者でないなら話は別だけど、やはり監視されながら何処かで何かを一人で行うことは無理よ。怪しい活動をすれば、取り押さえられるのが現状だもの」


「取り押さえるって、師匠はそんな間違ったことをするような人じゃない!」


 つい感情的になってしまう。師匠の事になると冷静さを失ってしまうのが、俺の悪い癖だ。

 俺の態度とは対象的に何事もなかったように落ち着いて聞いていた彼女が少し微笑みを浮かべると言った。


「もちろん、分かっているわ。話を聞く限り優しい人だって伝わってくるし、速見君を育てた人ですもの。良い人に決まっているわ」


 急にそんなことを言われ言葉に詰まる。顔が火照るのを感じた。それを悟られないように続けるがぶっきらぼうな言い方になった。


「あ、いや分かっているならいい。怒鳴ってすまなかった。でもだったら何故あんなに思い詰めていたんだ?」


「恐らくだけれど……何か理由があったにせよ、速見君を孤児院に預けるのに葛藤していたと考えるのが普通だわ。我が子のように育てていた人を手放すことになって相当悩んでいたはずよ」


 それは違うと言いたかったが、はっきりと言い出せなかった。

 実際に師匠は悩んでいるようだったし、子供だった俺は師匠に頼ることしかできなかった。それが負担になっていたのなら孤児院に預けたのにも頷ける。

 けど、そうじゃないと信じたい。俺と過ごした最後の日まで師匠は俺と話す時に笑っていたし、何より辛くなったから俺を手放すなんて無責任な理由で行動する人でもなかった。


 俺は自分の気持ちを肯定するように彼女にも伝えた。


「それでも、俺は師匠を信じたい。今も何処かで俺を待ってくれているって。それに昔約束したんだ。もし離れ離れになっても俺が大切なものを見つけてそれを守るために強くなればいつかまた会えるって」


 俺は師匠と最後に会った日のことをもう一度思い出す。師匠に教えを受けた後、俺は師匠と離ればなれになることを知らされた。子供だった俺は駄々をこねて泣きじゃくる。そんな俺を慰めるかのように、師匠は約束してくれた。


「いい? アルト、強くなりなさい。大切なものを守れるくらい強く」


「……強くなったらまた師匠と会える?」


「えぇ、約束するわ。必ずまた会えるって」


「本当に?」


「私が嘘をついたことなんて今までにないでしょう?」


 その言葉を聞いた俺は右腕で涙を拭うと師匠の顔を見つめる。これ以上涙を見せないように虚勢を張ったつもりだったが、涙目になっていたことだろう。それを誤魔化すかのように意を決して宣言した。


「……わかった。俺強くなるよ。強くなって師匠にまた会いに行くから!」

「えぇ、その時を楽しみにしているわね」


 俺と師匠は指切りを交わした。その後、当時旅の途中で近くにあった地元の孤児院に預けられ現在に至る。


 ふと我に返ると、俺の心情を読んだのか、彼女は場の空気を変えようとわざとらしく明るく振舞った。


「まぁ、大丈夫よ! 私達も速見君の師匠の捜索に全力を尽くすし、いずれ会うことができると思うわ。あぁ、そうだ! 速見君、師匠の名前を教えてくれる? ひょっとしたら、政府関係者のリストに入っているかもしれないし」


「あぁ、名前は立花たちばな咲良さくらさん、黒髪でポニーテールにしていることが多かったけど、子供の頃の記憶だし、それ以外のことはあまり良く覚えていないんだ。しかも師匠はさっき言ったように自分の事になると何も教えてくれなかったからな」


「そう……今のところ確実な情報は名前だけってことね。でも、秘密主義者だったのなら偽名の可能性もあるけど……後で調べてみるわ。約束したからね」


 そう言うと彼女はまた微笑んで見せた。俺は相槌を打つように一言「頼む」とだけ伝えると不意に彼女は大声を出した。


「ああ!」

「どうした!」


 突然の出来事に驚き体がこわばるのを感じた。彼女は慌てて言い出す。


「何か師匠の事で話が纏まっちゃったけど、元々第二人種について話していたんじゃない!」


「あぁ、そういえばそうだったな」


「そうだったじゃないわよ! 速見君が突然語りだすから脱線したんでしょ?」


 責め立てるように言われたが、話に乗っかっていたのだからお互い様だろう。そう言いたかったが、面倒くさいことになりかねないので取り敢えず謝っておいた。


「悪かった。それで第二人種がどうしたんだよ?」


 彼女は一度ため息をつくと落ち着きを取り戻し、話を続けた。


「ベイカー博士の文献に記載されていたのは第二人種の存在とその全貌についてよ。そこにはこう書かれていたわ。第二人種は元々人間が体内に持つ第六感のような特別な能力を具現化できる存在であること。そして十七年前、世界に拡散されたウイルスの感染者が突然その能力に目覚めた可能性があるということよ」


「なっ!? それってつまり博士が治療した世界中の人間が第二人種になった可能性があるってことか?」


「いいえ、博士の研究だとウイルスはあくまで感染した人物が元々持っていた力を増幅させる言わば補助装置みたいな役割しか持っていないそうよ。つまりウイルスに感染したからといって誰でも第二人種としての能力を使えるわけではないの。それを能力として使えるのは元々その人に一種の才能のようなものがあったから。自分の未知の能力に気付けない人は例え感染したといってもそのまま一生を終える可能性だってあるわ」


 頭の整理がつかなくなってきた。この能力は生まれながら何か特別な役割を担った人間が開花させるものだと思い込んでいた。師匠の教えから大切なものを守ることでその役割を果たす義務があるのだと。それが自分以外にもいたとは想像がつかなかったし、少なくとも世界中に存在していることなど信じられなかった。

 しかし、今朝彼女が目の前に現れ、俺と同じ人智の理解を超えた能力を発揮した。これだけで彼女の言うことに信憑性があると言い切れるだろう。


「なぁ、そうなると俺やあんたはそのウイルスに感染している可能性があるってことか?」


「そうなるわね。精密検査を受ければ速見君の体から細胞と結びついたウイルスが発見される可能性が高いわ」


 これまで至って健康に過ごしてきたつもりだったが、いつの間にかウイルスに感染していたことを考えると自分の感覚の鈍さに呆れてしまう。しかし、ここで俺は単純な疑問を思いつき口にした。


「なら、どうして俺は苦しまなかったんだ? ウイルスに感染した人は吐血や高熱が出て倒れるほどだったんだろ?」


「詳しいことは文献にも書かれていなかったわ。ただ推測だけど、元々秘められていた能力が巨大な人ほどウイルスが強く結びついて体を安定させているんだと思う。ウイルスに適合できない人、もしくは弱い能力の持ち主は急な体内の変化に対処できないんじゃないかしら? その証拠に能力が発現した場合、その個人の器量を超えていれば、能力が暴走してしまうことがあるらしいわ」


 俺はこの能力が発現した当初のことを振り返った。突如体が熱くなり、内側からエネルギーが爆発するような感覚になったのをうっすらと覚えている。すぐに側にいた師匠の言葉で何とか落ち着いて事なきを得た。その後は、能力を制御するのに集中して修行した。今にして思えば、もし師匠が側にいなかったら一人ではどうしようもなかったかもしれない。


「師匠は俺がウイルスに感染したと思って俺が能力に目覚めると予想したのか……」


「そうだと思うわ。あなたの師匠がどこでウイルスと第二人種の関連性を知ったのかはわからないけど普通は大惨事を引き起こしてもおかしくはないの」


 彼女は淡々とそう語る。第二人種について詳しいほどだ。恐らく何処かでその現場を見たことがあるのかもしれない。ここで一つ気になったことを聞くことにした。


「そもそも何でそんなウイルスが発生したんだ?」


「そうね。通常は人為的なものでなければ、動物から人へとウイルスが独自に進化を遂げながら感染していくわ。サンプリングとして感染区域の動物の検査も行われたけれど、それらしいものは見つからなかったそうよ。だから、今回は人に直接感染したものだと思う」


「誰かに作られた可能性はないのか?」


「当初は、テロ組織の犯行と捉える人もいたけど世界中で徐々に感染していったのと、今までのテロと違って被害発生時に不審なものや動きをする人が見られなかったのもあるし、人が大勢いる場所だけで感染したわけじゃないから自然発生の説が濃厚になったのよ」


 今までの話をまとめると、突如発生した感染型のウイルスが世界中で流行し、そのウイルスの効力によって特別な能力に目覚めた人物が次々と現れた。そして、その能力を操る人物を医学者であったベイカー博士が第二人種と名付けたってことか。


「無茶苦茶な話だな。そんなの俺みたいに能力を操る奴じゃない限り普通は誰も信じないだろ」


「ええ、そうね。でも博士は証拠の映像とともに各国の政治家の目の前で治療中だった第二人種の少女を連れてきていたの。そして、その子は何もない所から炎の塊を出現させたわ。隕石と思われるくらいの巨大なものをね」


「その後どうなったんだ?」


「それでも、信じない人はいたの。トリックだとか難癖をつけてね。でも、その子はそれに激昂したのか、言い掛かりをつけた人に向かってその火の塊を放ったの。当然会場はパナックになり、博士の薬ですぐに少女は眠らされ拘束されたわ」


 話を聞いていただけでも悲惨な光景が目に浮かぶようだった。現実から目を逸らすように頭の中からその心象を振り払うと漸く口を開いた。


「……すごい話だな。その少女はどうなったんだ?」


「博士の話だと、自分でも制御できていなかったみたい、隔離施設で能力が暴走して自分自身に火をつけたそうよ。消火しようとしても炎が途絶えることはなくて、その内に亡くなったみたい。後味が悪い話だけどね」


 彼女は悲観するような眼差しで俯きながら語った。俺が昔、感じたようにその少女もまた自分の能力に辟易していたのかもしれない。そう思うと遣る瀬無かった。俺はその思いを紛らわすため続きを聞くことに徹した。


「政府の連中はどうなったんだ?」


「能力を浴びせられた人は亡くなったわ。その後、すぐに第二人種についての対策会議が行われたの。先進国の主要国家は軍事利用できないかと真っ先に考えたらしいわ。利権しか考えない大人の代表みたいな連中だもの。当然といえば、当然よね。実際にテロリストのアジトに第二人種を潜入させて壊滅させた例もあるし」


 彼女は皮肉染みた言い方をしていた。国の代表者が第二人種や一般人の身の安全を確保するどころか、政治利用することしか頭にないと分かったら、俺でも失望すると思う。


「なら、第二人種は軍隊として今も扱われているのか?」


「いいえ、その逆よ。むしろ人間の脅威と見なされて犯罪者同等の扱いを受けているわ。でも仕方ないことかもしれないわね。これまでの常識が第二人種には一切通用しなかったもの。もはや核兵器を超える生きた武器がそこら中に歩いている状態よ? 一般人から見れば恐怖にしか映らないわ」


「そんなにすごいのか第二人種は?」


 他の第二人種を見たことがない俺にとっては今一強さが想像できない。


「第二人種は基本的に普通の人よりも高い運動神経と強靭な肉体を持っているの。第二人種同士ならともかく、一般人で第二人種と戦って勝つことはまず在り得ないわ。戦場で空からの爆撃や地雷に耐えた防御系の能力者もいたみたいだし」


「けど、全員が人に危害を加えたわけじゃないんだろ? そこまで騒がれることなのか?」

 人間にも善人と悪人がいるように、第二人種も能力の差はあれど普通の人と変わらないなら、俺のように無難に日常を過ごすことだってできるはずだ」


 しかし、俺の質問に対して彼女はゆっくりと首を振りながら答えた。


「その理屈は一般人にとっては無意味よ。例えば、速見君が何も能力を持っていない人間だったとして、銃を持った相手に出くわしたら、もしその人が護身用に持っているだけで何もして来なかったとしても近寄ろうとは思わないでしょ?」


「そうは言うが、このままいけば多くの第二人種が誤解を受けるだけだろ? 黙っているしか無いのか?」


「そうね。国にもよるけど、実際に国内外で第二人種による犯罪が年々増加したわ。彼らが日頃から受けた苦痛や差別を理由にね。でも、そんなことをしても余計にお互いの憎しみが広がるだけ。だからこそ、各国の政府は私達のような組織を公認しているの」


「あんたらのような組織って?」


 ここまで言いかけた時、いつの間にか車が都内のSABUYA区にある建物内に到着した。  車体の着地による僅かな揺れと同時に車の音声案内が終了したことを告げ、その直後に彼女が切り出す。


「あら、もう到着したみたいね。続きは本部の中で話しましょうか」


 そう言って彼女は扉をあけて外へ出ると、後に付いて来るように促した。

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